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アルフレッド殿下が人目を忍ぶようにジャレット公爵家を訪れたのは、 その晩のことだった。
すでに寝支度を済ませていたわたしとコルネリア様は慌てて着替え、応接室へ急いだ。
「こんな時間にいったいどうしたのかしら?」
「礼儀正しい殿下が明日にしないということは、急用かもしれませんね」
応接室に入ると、制服姿のままの殿下が待っていた。いつもキラキラと輝いている銀色の髪はぺしゃりとして重たそう。表情には疲れが滲み出ていた。
それでも殿下はわたしたちを見ると、さっと疲労をしまい込んで微笑みを貼り付けた。
「こっ、こんな時間にごめんね。君たちには、早めに伝えたほうがいいかなと思って……」
「何事でしょうか」
わたしたちが向かいに腰を下ろすのを見届けると、殿下はすぐに口を開いた。
「かっ、簡潔に言うね。王城から軍事機密に関わる重要な書類が盗まれた」
「軍事機密!? それは、かなりまずいわね。どのような内容なのです?」
コルネリア様が顔色を変えた。
ここジャレット公爵家は王国の軍をつかさどる将軍家だ。軍事機密が漏洩したということは、一族の一大事でもある。
そういえば、夕食の席に公爵様はいなかった。若いころは戦ばかりで家を空けることが多かったからと、必ず夕食はご家族でおとりになるのに。どうしたのかしらと思っていたのだ。
緊急事態のために帰って来ることができずにいるのだろう。
政治のことはよくわからないけれど、二人の強張った表情から、かなりまずいことが起こっていることは分かった。
場を支配する緊迫感に身を硬くしていると、アルフレッド殿下は言った。
「ぬっ、盗まれたのは、今度の軍事遠征の計画書なんだ」
「軍事遠征?」
「三年に一度行っている、大規模な演習ですわ。特に今年は王族内で不祥事が発生しましたから、国王陛下の権威を表すために、いつもより大規模に行うのだとお父様がおっしゃっていたわ」
言葉を濁したコルネリア様だったけれど、不祥事というのはユージーン殿下のことだと思われる。
「軍事遠征に多くの騎士達が参加するから、その間はいつもより少ない人員で通常業務を行うことになるのよ。治安の維持とか、国境の警備とかね。武器の配分も異なるし、指揮体制も若手中心の臨時体制になると聞いているわ。……こういう状況で計画書が盗まれるということは、どういうことが分かる? セリアーナ」
「え、えっと」
自信はなかったけれど、頭に浮かんだことを口にする。
「盗むっていうぐらいですから……悪用されてしまう危険がある、とかでしょうか?」
「正解よ! さすがセリアーナね」
推しに褒められて危うく昇天するところだったけれど、これはまったく喜ばしい話ではないので踏みとどまる。
盗んだ人間は、警備が手薄になる期間に何を企んでいるのだろう? 一体誰が、何のために。
けれども、この場で頭の上にハテナが浮かんでいるのはどうやらわたしだけみたいだった。賢くないわたしと違って、殿下とコルネリア様は腑に落ちたような顔をしている。
「だから殿下はうちにいらしたのね」
「あっ、ああ。ねえセリアーナ嬢。今から伝えることをよく聞いて」
殿下は見たことがないくらい真剣な顔でわたしを見た。
「最近の怪しい動きを含めても、ばっ、バロンド侯爵が一枚噛んでいる可能性は高いと思うんだ。ことは嫌がらせで終わらなくて、もっと大きな闇が隠れているかもしれない。パトロールはもうやめて、放課後は図書室にも寄らずに、明るいうちに屋敷に帰ってほしい」
「侯爵様が何か企んでいるのなら、不仲な当家にも何か仕掛けてくるかもしれません。いいえ、もうあなたが被害に遭っていると考える方がいいわね。参観日の件はほんとうに悪質よ。エスカレートする前に距離を置きましょう」
わたしはぶんぶんと首を縦に振った。
「しょっ、承知しました! すぐに下校します!」
「わっ、分かってくれて嬉しいよ、セリアーナ嬢」
ずっと緊迫した表情をしていた殿下は初めて頬を緩める。
ついでに目線を床に落として、もじもじと両手の指を弄り始めた。
「その……。今日、この件があったから茶会ができなくて。ひどい気分だったんだけど、君がくれたメッセージカードを見て、すっ、すごく元気が出た。ありがとう」
「あっ! いえ。えっと……。ありのままの気持ちを書きすぎたかもしれません。ご不快な思いはされなかったですか?」
「ぜっ、全然。嬉しかったよ……」
あれだけ強気なメッセージを書いたくせに、心臓がドキドキしてきて、何を話せばいいか急に分からなくなってしまう。
赤面して黙り込むわたしたちと違って、コルネリア様だけがとびきり楽しそうだった。
「あらあら! 何かあったのね!? 可愛いわあ、二人とも!」
コルネリア様は淑女の鑑だけれど、人の恋愛事をウオッチングするのが意外とお好きなのだ。
最近も、毎晩のように「ねえ、殿下といつお付き合いするの?」と尋問されているくらいだ。全知全能の女神様からすると、今のわたしたちはじれった過ぎて見ていられないらしい。
殿下はコルネリア様のはしゃいだ声に反応することなく、真っ赤な顔を上げてわたしを見る。
メガネの硝子に絶妙な入射角で照明の光が当たり、奥に潜む美しい黄金色の瞳が透けてみえた。
「……セリアーナ嬢のことは、僕が必ず守るから。もう二度と、嫌がらせだってさせはしない。今までは君のやりたいことを尊重していたけれど、これからは僕の全てを使って徹底的に調査する。……いいね?」
殿下は一度もどもることなく、はっきりと言い切った。
「…………っ!! はっ、はい……」
始終胸がドキドキしっぱなしで、わたしは全く落ち着かなくなっていた。
そしてやっと理解する。わたしはもう、殿下に恋してしまっているのだと。
いいお友達ではなくて、それ以上の関係性になりたいと望んでしまっている。この優しくて聡明な、少し引っ込み思案だけれど素晴らしい王子殿下の隣に並べるようになりたいと。
自覚したら、ますます顔が熱くなる。
だから、コルネリア様が小声で「あら。わたくしのことは守って下さらないのね。従妹なのに」とぼやいていたことは、全く聞こえなかったのだった。




