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銀色の長い前髪の間から見える、金色の瞳。
いつもは午後の温かな日差しのように穏やかなそれが、今や獲物を見定めた獣のように鋭く光っている。
四つん這いで覆いかぶさる殿下の両手はわたしの手首にあって、ソファに縫い付けられている。わたしはこれから豹に捕食されるウサギのように、抑え込まれてまったく動くことができなかった。
「ひどいねえ、セリアーナ。僕を誘惑しておいて、突き飛ばすなんて。でも、そんな君もすごく可愛いよ。僕を翻弄できるのは世界で君だけだ」
「で、殿下……!?」
からからになった口から出た声は掠れていた。
いつもと殿下の雰囲気が違う。そして一拍遅れて気がついた。もしかして、メガネがないからなの――――!?
メガネは一体どこに行ったのか!? 慌てて顔を動かすと、机の下に転がっているのが見えた。
けれども、顔を背けたことを殿下は不快に思ったようだった。わたしの頬に手を添え、優しいけれどしっかりとした力で顔を正面に戻した。
「ねえ、僕を見て。よそ見なんてしないで、ずっと僕だけを見ていてほしい。セリアーナの可愛らしい、プラチナのような瞳で」
仄暗い微笑みが端正な顔に広がる。
闇などとは無縁な、縁側で丸くなる猫のように平和ないつもの殿下らしくない。こんな一面も併せ持っているのかと、思わず肩がすくんだ。
「それとね、殿下なんて止めてアルフレッドって呼んでほしいな。これも君だけだよ。……僕はね、君にならすべてを捧げるよ。この心だって、身体だって。全部ね」
殿下はわたしの耳元に顔を寄せ、うっそりとささやいた。低い声はどこか艶めいていて、危ない雰囲気を否応にも感じさせた。
ボンッと顔に熱が集まる。心臓が今にも飛び出しそう。いや、いっそのこと飛び出して死んでしまいたいぐらい、わたしは羞恥心でいっぱいになっていた。
過剰な砂糖は毒にもなる。この危機的状況を一刻も早く脱しないとまずい。
(自己防衛のためにも、そして殿下のためにも! これ以上こうしているとまずいわ。元に戻ったときの殿下が可哀想すぎるもの……!!)
第二人格(?)のしでかした行いを、いつもの殿下が何とも思わないわけがない。
わたしはごくりと唾を呑み、小さく深呼吸をする。そして叫んだ。
「痛っ! 手首が痛いです殿下っ!!」
「えっ? すまない。強く抑え過ぎただろうか」
驚いた顔でパッと手を離す。大根役者の演技でも、心配してくれる殿下はやっぱり優しい。
自由になった身体で素早く殿下の下をかいくぐり、机の下のメガネに手を伸ばす。
わしっと掴み、ダイブするように殿下の顔に装着した。
「……」
「……」
緊張感を孕んだ静寂が部屋に流れる。
殿下の色白な肌はどんどん青くなっていき、そして漫画のようにだらだらと冷汗が流れ始める。曇った牛乳瓶の底のようなメガネの向こうでは、せわしなく目が泳いでいた。
いてもたってもいられなくなったわたしは先手を打つ。
「ええと、殿下。先にわたくしから申し上げますが、どうぞお気になさらないでください。何とも思っておりませんわ」
「…………」
返事はない。殿下は完全に頭が真っ白になっているようだった。
わたしはもう、ここにいないほうがいいかもしれない。勉強どころではなくなってしまったし、殿下も一人にした方がよさそうに見える。わたしがいては落ち着くものも落ち着かないように思えた。
「わたくし、失礼いたしますね。今日はお時間をとってくださって、ほんとうにありがとうございました」
教科書類をまとめてドアに向かう。
お気の毒な殿下。振り返ろうか悩んだけれど、なんだかこれ以上見てはいけないような気がして、わたしはそのまま部屋を後にしたのだった。
◇
迎えた参観日当日。
「今日は楽しみにしているよ。また後で」と笑顔を浮かべる公爵様夫妻に見送られて、コルネリア様と登校した。
コルネリア様の参観は二限目。わたしのほうは午後一番の四限目だ。「お互い頑張りましょうね」という推しの励ましに大きな勇気をもらい、いよいよ一日が始まった。
(予習もばっちりだし、準備は万端よ。公爵様にいいところをお見せできるに違いないわ!)
――けれども。わたしが張り切ると、物事はいつだって反対の方に進むらしい。
朝持ってきて、ロッカーにしまった薬草学の教科書。授業の前に取り出そうとしたら、それは忽然と姿を消していたのだった。




