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先ほどまでの気弱な態度はどこにいってしまったのか。それは不良たちだけの疑問ではなく、わたしも是非答えを教えて欲しかった。
全くの別人物になったかのように目の前の殿下は堂々としていて、自身に満ち溢れていた。猫背の背中は伸び、肩は開き、一回り大きくなったように錯覚する。挑戦的な表情を浮かべて不良たちに対峙していた。
「僕の名前が知りたいんだっけ? いいよ。いくらでも教えてあげる。アルフレッド・レオニディスだ」
その名前を聞いた不良たちは、誰が見ても分かるくらい血の気が引いていた。
リーダー格の生徒だけは、信じられないという表情を浮かべている。
「……うっ、嘘だ」
締まった喉で、自分に言い聞かせるようでもある言葉が絞り出される。
「アルフレッド殿下の名を騙っているだけに決まってる。不敬なのはおまえだ」
「面白いことを考えるね、君は。マスタング伯爵家と言ったっけ? 覚えておこう」
自信たっぷりにすらすらと話す殿下の姿がいまだに信じられない。わたしは振り上げたゴミ箱を下ろすことも忘れ、ただただ彼の顔を見つめていた。
殿下は呆気にとられる不良たちを面白そうに眺め回す。
「あいにく、証明を求められることがないから証拠はないんだよ。だって、おまえはほんとうに王族なのかって尋ねられる場面って、どういう状況なんだろうと思わない? その台詞を言える人って、よほどの大国の皇帝とかだと思うんだよね。ひょっとして、君こそ伯爵令息というのは嘘で、大国の皇太子だったりするのかな?」
「ぐう…………」
やりこめられて何も言えなくなってしまった不良のリーダー。ぎり、という歯ぎしりの音が廊下に虚しく響いた。
「この学園も質が落ちたなあ。セリアーナに会いたいから来てるけどさ、ほんとうは城で勉強や執務をした方がよほど捗るよ」
(――――!? わっ、わたし!?)
突然自分の名前が出たので、心臓が口から飛び出しそうになる。えっ、まさか見えてないよね!?
あるいは心臓の鼓動が誰かに聞こえていやしないかと心配になる。姿は消せるけど、音まで消すことはできない。
殿下は妖艶に笑いながら、不良たちを断罪した。
「もう図書館に行きたいから、君たちとはさよならだ。殴る前までは許してあげようと思ってたけど、もうダメ。この学園に君らみたいな生徒は必要ない。明日から来なくていいよ」
「そっ、そんな…………!!」
不良たちは一転して手の平を返す。哀れっぽい顔をして殿下に取りすがった。
けれども殿下は氷のように冷たい表情で、その手を勢いよく振り払う。
「ああもう、うるさいなあ。処刑を免じてやっただけでもありがたく思ってほしいね? おまえたちみたいに弱い者いじめをする者が、僕は一番腹が立つんだ。分かったなら、気が変わる前にさっさと失せろ」
地の底から出るような低い声に、不良たちは震えあがった。ヒエッという小さな悲鳴を残して、彼らは蜘蛛の子を散らすように去っていった。
静かになった廊下には、わたしの異常に速い心拍音だけが響いている。
殿下はゆっくりと身を屈めてメガネを拾い、スチャっと装着した。その瞬間、一帯に満ちていた殺気と緊張感がふっと緩んだのが分かった。
「あっ、ああ~。ヒビが入っちゃった。修理に出さなきゃなあ。ああでも、セリアーナ嬢に会いたいから図書室にも行きたいし。いや、今日はパトロールの日だったっけ? じゃあもう帰ろうかな……」
(――――えっ????)
メガネをかけた殿下は元通りになっていた。
日なたで丸くなっている猫のように平和で心が和むような存在。しゃんとしていた背中は再び丸くなり、おどおどして自信がなさそうな様子も復活している。
「本だけ借りて帰ろうかな。……仕方ないけど、やっぱり姿を見られないのは寂しいなあ。バロンド侯爵令嬢だっけ? ぼっ、僕を頼ってくれたら一発で調べ上げるし一瞬で潰せるんだけどなあ。でも、セリアーナ嬢が頑張っているのを邪魔しちゃ悪いよね。我慢我慢」
――――聞いてはいけない独り言を聞いてしまった気がした。ひどく恐ろしい内容と恥ずかしい内容が入り混じっていて、わたしの感情は混乱を極めた。
殿下が現場を去った後も、わたしは赤い顔のまま、しばらくそこから動けずにいたのだった。




