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「なあ、今わざとぶつかってきたよな? 肩、すっげえ痛いんだけど」
「いっいやっ! わざとじゃないです。すみません」
「謝ればそれで済むと思ってるのかなあ? 俺んち知ってる? マスタング伯爵っていうんだけどぉ~」
「……っっ」
ガラの悪そうな三人の生徒に囲まれているのは、銀髪に丸ぶち眼鏡、そしてすらりとした長身の男子学生。やや猫背なところを含めても、どう見たってアルフレッド殿下だった。
相手方は、制服がいやに綺麗なところからして一年生だろう。どことなく垢抜け切れていない、不良に片足を突っ込んだばかりのような、生意気そうな感じ。
(相手が王子殿下だということを、知らないのだわ)
無教養にもほどがある。――それか、あるいは。名前と顔が一致していないパターンか。
その昔自分もアルフレッド殿下とメガネ君が一致しなかったことを思い出し、ぐうと苦い気持ちになる。殿下はいい意味で王族らしくないからこういうことが起こってしまうのだ。
屋上で透明人間になり、階下に降りてきたところで遭遇した殿下の危機。はらはらしながら状況を注視する。
「おまえの家、どこなんだよ? 今日のこと、父上に報告しちゃおうかなあ」
ニヤつくリーダー格風の男子生徒。
「えっと……それはその……」
殿下は言葉に詰まり、言おうかどうか悩んでいる様子だった。
優しい殿下のことだから、ここで第三王子だと名乗り出てしまうと、相手が不敬罪になってしまうことを心配しているのだ。わたしは一瞬で彼の気持ちを理解した。
(……というか、そもそもよ。殿下からぶつかるわけがないわ。いつも廊下の壁スレスレを歩くようなお方だもの。おおかた、相手が廊下いっぱいに広がって歩いていたんでしょう)
つまり、完全に悪ノリで絡んでいるのだ。同学年の地味な生徒を相手に、自分の力を誇示したい。仲間内での自分の価値を高めたい。彼らにはそんな意図が見え隠れしていた。
運の悪いことに、放課後ということもあって近くに他に生徒の姿はない。助けは望めなさそうだった。
「言えないくらい下級爵位なんだな? ハハッ!! 無様だなあ~」
「俺たち、優しいからさ。一万ペナンで許してやるよ。治療代ってことでさ」
「おっ、お金が必要なのですか??」
完全に調子に乗っている不良一年生たちは、あろうことか王子殿下を相手にカツアゲを始めた。
さすがの殿下も驚いて目を見張っている。
そして、わたしの腸は煮えくり返っていた。
(全然怪我なんてしてないじゃない! しかも一万ペナンですって? 高額すぎるわ。小さなダイヤモンドが買えてしまうもの。だめです殿下、こんなやつらにお金を渡してはいけませんっっ!!)
手に汗握りながらアルフレッド殿下の返答を待つ。
焦りながらもしばらく悩んでいた殿下だったけれど、そこはきっぱりと言い放った。
「えっと……すみませんがお支払いはできません。おっ、お怪我は僕が病院を斡旋しますから。かかった治療代と療養費について、慰謝料分を上乗せしてお渡しします。えっと、それでいかがでしょうか」
真っ当な提案を受けた不良たちは青筋を立てた。
「はぁ!? おまえ、舐めてんのかよ。下級貴族の病院になんて行けるわけないだろ」
「反省してないみたいだな。生意気言いやがって!」
大柄なリーダー格の生徒が勢いに任せて殿下の胸ぐらを掴む。
「ぼっ、暴力はいけません。放してください。今ならまだ間に合いますからっ」
「はあ? 何だよ今ならって。ほんとおまえムカつくな」
今ならまだ不敬罪で処刑されないから――――!
殿下はそう言っているのだけれど、すでに頭が沸騰してしまっている相手にはふざけているように聞こえたらしい。
とうとうリーダーは拳を振り上げ、わたしが動く間もなく殿下の頬を一発殴ってしまった。
鈍い音の後に、殿下のメガネが吹き飛んでいく放物線がみえた。
牛乳瓶の底みたいに厚いレンズがついたメガネは床に落ち、少し滑ってわたしのつま先にぶつかった。
(でっ、殿下っ…………!!!!)
頬を抑えて床にしゃがみこむ殿下。
我に返ったわたしは咄嗟に傍らのゴミ箱を掴み、殴ったやつに向かって助走をつける。
満足そうな顔をした不良たちの顔色が変わったのは、わたしがゴミ箱を振りかぶったときのこと。くつくつという笑い声の後に放たれた台詞に、場の誰もが耳を疑った。
「……ふぅん? せっかくチャンスをあげたのに、ずいぶんなことをしてくれたね? 処刑される覚悟があるとみていいのかな。まったく、愚かな末端貴族だよ」
すっくと立ち上がる一人の男子生徒。
月光のように輝く銀色の髪に、濃厚な蜂蜜に似た飴色の瞳。しかしそこにいつもの穏やかさは一かけらも無くて、鋭い怒りの色が宿っている。
――言葉の主は、アルフレッド殿下だった。