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「それで、そのまま帰ってきたのね? なんてお人好しなのかしら、わたくしの妹は」
「申し訳ありません。アン様を責めることは、どうしてもできませんでした」
寝る前にコルネリア様のお部屋を訪問し、一連の出来事を報告した。美しい紫色の瞳を輝かせながら聞いていたコルネリア様だったけど、お咎めなしでアン様を帰したくだりになると、明確に眉をひそめた。
「怒りの矛先を向けるべきなのは、アン様の裏にいる黒幕だと思いました」
「バロンド侯爵令嬢だと思うけれど、はっきりとは言わなかったものね。いったいどんな圧力をかけたらそんなに怯えるのかしら。セリアーナの言う通り、アン嬢も気の毒ではあるけれど。でもねえ……」
コルネリア様は女神のように穏やかで優しいけれど、一方で自身や周囲に悪い影響を及ぼすものは徹底的に懲らしめるという一面もある。ユージーン殿下の時がまさにそうで、廃嫡にまで追い込んだのは公爵家家族ぐるみでの暗躍があったからだと、のちにアルフレッド殿下がこっそり教えてくれた。
でも、それぐらい豪胆でないと公爵という役目は務まらないんだろう。もちろんダークサイドのコルネリア様もわたしは推しますけどね。光の面も闇の面もひっくるめた箱推しってやつです。
「今回の件で、黒幕は多少警戒すると思うんです。バレてもいいと思っていたなら別ですが、もしそうなら名前を口止めはしないでしょう。ということは正体をバレたくない気持ちがあるんだと思います」
「そうねえ。これで止めてくれたらいいけど、少し時間を置いたらまた何かしてくるかもしれないわ」
そうなのだ。犯人が誰にせよ、一回バレたくらいで嫌がらせが終わる保証はない。
だからわたしは提案をする。
「これから定期的に校内のパトロールをしようと思っているんです。透明になって。ローズ様の周辺も調べてみるつもりです」
「セリアーナったら、ほんとうに探偵みたいね!」
「図書室にも行きたいので、毎日ではありませんけれど。犯人が分るまで、週に二,三日くらいです」
「わたくしは賛成するけれど。ふふっ、アルフレッド様はいいお顔をしなさそうね」
「どっ、どうして殿下のお名前が出てくるのですか」
急にニヤニヤし始めたコルネリア様。ううっ、恥ずかしい。
推しに問い詰められたら洗いざらい吐いてしまう自信しかないので、わたしはヘマをする前に部屋を辞することに決めた。というか、さっきからこのお部屋、とってもいい香りがするんですよね。もう身体が悲鳴を上げています。供給過剰で頭がショート寸前です。
「……明日も学校ですので。これで失礼いたします」
「あらあら、照れちゃって。ほんとうに可愛いわねえ」
背中に熱い視線が突き刺さるのを感じながら、わたしは逃げるようにお部屋を後にした。
◇
そんなわけで、翌日から放課後はローズ様の張り込みと図書館とを、交互に行くような生活が始まった。
そこにどこか一日――たいていは週の真ん中の日だけれど――アルフレッド殿下とのお茶が入る。我ながら多忙な生活になったものだ。
案の定、殿下はわたしが犯人捜しを継続することに難色を示した。ローズ様が怪しいという線が濃厚になったからか、今回は危ないからというより、わたしの特殊な魔能が誰かにバレることを懸念しているようだった。
「そっ、その能力は、槍にも盾にもなるでしょう? 知れた相手によっては利用されることだってあると思う。セリアーナ嬢がそういう風になることは、ぼっ、僕は嫌だな」
自信なさげな口調だけれど、言葉には芯があった。いつものように一生懸命、殿下は伝えてくれる。
「魔能の発動には十分注意します。透明になるときも戻るときも、必ず人が見ていないか確認します。それか、いっそ決めてしまいましょう。透明になるときは屋上で行い、元に戻るのは公爵邸でと決めれば、殿下もご安心いただけますか?」
屋上なんて誰も来ないし、大きな貯水槽の物陰でやればまず誰にも見られない。公爵家のご家族はわたしの魔能を把握しているから安心だ。
具体案を示したことで、アルフレッド殿下の表情は少しだけ和らいだ。
「ほんとうに、大丈夫? ぼっ、僕は頼りないかもしれないけど、何かできることがあったら遠慮なく言ってほしい」
「殿下は頼りなくなんてないですよ。教科書、ほんとうにありがとうございました。コルネリア様のお下がりも素敵ですが、殿下のお気持ちがこもった新品も、とてもモチベーションが上がります」
「やっ、役に立てているなら、よかったよ……」
殿下はボフンッと音を立てて顔を赤くした。
王子殿下なのに、まったく偉ぶったところがないアルフレッド様。謙虚で勤勉なお姿をいつも目にしているからか、頂いた教科書を開くたびに、わたしまでその恩恵にあずかっているような気持ちになる。実際、前より小テストの点数が上がってきているのだから不思議なものだ。
殿下にもご報告したし、張り込み活動は順調な滑り出しをみせたかのように思われた。
けれども翌日。張り切ってパトロールに向かうわたしが目にしたものは。
――廊下で下級生にからまれる、アルフレッド殿下の姿だった。