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「あなたに嫌がらせをしているのは、十中八九バロンド侯爵令嬢でしょうね」
意外な名前が出てきた、というのが最初の感想だった。
「ローズ様でしょうか? クラスも違いますし、お話ししたことさえないのですが……」
ローズ様は学年一の美貌を誇る、お名前の通り大輪の薔薇のように華やかなお方だ。きりっとした眉に、艶のある深紅の髪と唇は女の子たちの憧れ。社交界のファッションリーダー的な存在である――。ということは、わたしでも把握しているほど有名な話。
わたしとは対極にいるようなお方とはいえ、一言も会話したことがないのだから、嫌われる理由が思いつかなかった。侯爵位は公爵に次ぐ高位だから、妬みの対象になるようにも思えない。
すると、コルネリア様は「甘いわね」と真剣な眼差しになる。
「ローズ嬢が野心家だということは、社交界では有名な話よ。ご自分のライバルになりそうな人間は裏で手を回して潰し、利になりそうな人間は金銭をちらつかせて囲む。あなたが急浮上して人気を集め出したものだから、危機感を抱いているのかもしれないわ」
「で、ですが。わたくしには才能なんてありませんし、潰さなくても無害ですよ」
「あなたはそう思っていても、あちらはそう捉えていないということよ。それに、お父上のバロンド侯爵様は、我がジャレット公爵家と不仲ですもの。あなたを疎ましく思う十分な理由になると思うわ。……あえてこういう言い方をするけど許してね。つまり、一人娘のわたくしには手を出せないから、養子のあなたに嫌がらせをしているんじゃないかと思うのよ」
「ははあ、なるほど……!!!!」
貴族の関係ってムズカシイ、と思っていたところだったので、最後の理由にはすごく腑に落ちた。コルネリア様に手を出すと公爵様の報復が怖いから、養子のわたしならいいだろう、ということか。
「お父様に報告をして、抗議いたしましょう。それが一番確実よ」
毅然として言い切るコルネリア様。
「で、ですが。まだローズ様と決まったわけではありません。証拠がありませんから、バロンド侯爵様は否定するのではないでしょうか」
「うーん。そうねえ、確かに憶測で動くのはまずいわね。……でも、このままあなたがやられているのを黙って見ていることはできないわ」
「うん、僕もそう思うよ」
「――――!?!?」
驚いて声の方を見ると、斜め後ろの席でアルフレッド殿下が深く頷いていた。い、いったいいつからそこにいたのかしら!?
慌てふためくわたしとは対照的に、さすがコルネリア様は表情を崩さない。
「あら、アルフレッド様。いらしていたのですね。すみません、セリアーナをお借りしておりますわ。この子の一大事なので」
「セリアーナ嬢をいじめるなんて。な、なんてやつだ。ぼっ、僕も父上に報告しようかな」
ちょっとちょっと!! 殿下のお父様って、国王陛下でしょう!?
『後輩がいじめられているから、なんとかしてほしい』なんて言われても、陛下も困っちゃうでしょう。
このお二人は、自分たちの立ち位置が相当高いことを正しく自覚していらっしゃるんだろうか。コルネリア様も、うんうんと頷かないでください!
天上人と違ってしっかり地に足がついているわたしは必死に言い募る。
「ご心配はありがたいですが、わたしは大丈夫ですから! 実家で受けていた扱いに比べたら、これぐらいは可愛らしいものですし」
すると、二人は哀れみの目でわたしをじっと見るものだから、発言が不適切だったことを瞬時に理解した。
「あっ。えーと。ですから……」
お父上方への報告、というトンデモ案がジワリと一段階濃くなった気配を察知して、わたしは必死で頭を巡らせる。
「……あっ、そうだ! だったら自分で犯人を見つけます。透明人間になれますから、張り込んで現場を押えれば証拠になります。一言謝ってもらって、もうしないと言ってもらえたらそれでいいです。公爵様を巻き込んで大事にはしたくありません」
「まあ。それはいい考えね! 探偵みたいだわ」
ぱっと表情を明るくするコルネリア様とは対照的に、アルフレッド殿下は浮かない顔つきだ。
「あっ、危ないんじゃないか? 相手が逆上でもしたら……」
「そんじょそこらのご令嬢よりは、わたくしのほうが腕っぷしは強いと自負しております。だてに長年家事をしておりませんから」
「まあ。たくましいのね、セリアーナ!」
ミステリーや探偵ものの本が好きなコルネリア様はすっかり乗り気だ。良家のお嬢様ながら、スリルやハラハラするようなことが結構好きなのだ、このお方は。
そんな姿を見て、次第にわたしは物語の主人公になったような気持ちになっていた。「でも……」と歯切れの悪いアルフレッド殿下には申し訳ないけれど、そもそもこれはわたし自身の問題だ。犯人を見つけて、コルネリア様のお下がりを汚した罪をしっかり謝罪してもらわないと。
「大丈夫です。万が一敵いそうにない相手だったら、姿を現さずにいったん帰ってきますから。お気遣いありがとうございます、殿下」
「ややっ、約束だよ、セリアーナ嬢」
まだ心配そうな顔をしている殿下だったけれど、一応納得はしてくれたみたいだった。
明日の放課後さっそく張り込むことにして、わたしたちは図書室を後にする。
帰り際、コルネリア様がお手洗いに行っている隙にゴミ箱を覗いたのだけれど、不思議なことに教科書類は姿を消していた。
(……話し込んでいるうちに、清掃の方が回収してしまったのかしら)
宝の山を手に入れ損ねて残念な気持ちになったけれど、いやいやこういう欲が身を亡ぼすのだわと思い直す。
わたしには、コルネリア様やアルフレッド殿下がいる。それだけで、十分幸せな毎日なのだから。