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ミニハープをなくしてしまった翌日。
今度は教室のわたしの机に異変が起きていた。一限目の領土統治学の教科書を取り出すと、なんとビリビリに破れていたのだ。
「えっ……??」
続いて取り出したノートも破られている。もはやノートというより紙吹雪。同じく置き勉していた宮廷作法学の教科書には黒いペンでぐちゃぐちゃに落書きがされている。――どれもこれも、使い物にならないレベルで汚損していた。
「せ、セリアーナ様。どうされたんでしょうね、これは」
「ひ、酷い奴もいるもんだな。はははっ」
『セリアーナ嬢がいじめに遭っているようだ』という現場を目の当たりにして、周りにいた子たちは一斉に顔をこわばらせた。心配するようなことを言いながら、当たり障りない理由を口にして散り散りになっていく。
あっという間にわたしの価値が地に落ちた瞬間だった。
けれども、正直自分の価値なんてどうだっていい。そんなものは最初から無いに等しいのだから。
それより何より重要なのは、教科書が使えなくなってしまったということだ。
(これもコルネリア様のお下がりだったのに――――!!!!)
書き込みがあるからとか綺麗じゃないからとか、渋るコルネリア様を説得して入手したSS級のレア品だったのにッッ!!!!
頭の中が瞬時に沸騰した。
昨日のミニハープも、なくしたんじゃなくて隠されたんじゃないかしら?
(いったい誰がこんなことを? ハープも教科書も、コルネリア様の記名があるのに。わたくしが気に入らないのは仕方がないにしても、コルネリア様も侮辱するような真似はやめていただきたいわ)
怒り心頭で脳天から湯気が出そうだ。同時に、わたしのせいでコルネリア様も巻き添えにしてしまったことがとてもすまなく思えてくる。こういう形で迷惑をおかけしてしまうのは心苦しいから、お下がりをいただくのは当面見合わせた方がいいだろう。
(……お知り合いになって、一緒に暮らせるようになって、妹にまでしていただいて。十分恵まれているのに、お下がりなどと欲を出した罰が当たったのかもしれないわ)
全くその通りだと、自分の考えに納得する。近頃のわたしはどこか浮ついていて、欲張りになっていた。
ここはもう一度気を引き締めて、以前のように慎ましく過ごさないといけない。コルネリア様の迷惑になるようなことだけは、なんとしても避けたかった。
(……大半の子たちはわたしの肩書に魅力を感じているみたいだったけど、一部の子からは睨まれているような気もするのよね。いきなり成り上がったことが面白くないのかもしれないわ)
地味で目立たなかった生徒が突然公爵令嬢になったのだ。妬みの対象になっても不思議ではないと思う。
ほとぼりが冷めるまでは続くかもしれない。しばらくは我慢だわと思いながら、使えなくなってしまった教科書類を、大事に鞄にしまったのだった。
◇
放課後、図書室にて。
三年生だったらしいイチャイチャカップルが卒業し、図書室は実質わたしとコルネリア様、そしてアルフレッド殿下の三人貸し切り状態の日々だ。
殿下はまだいらしていなくて、わたしとコルネリア様の二人だったので、声量を抑えずに今日の出来事を切り出す。
「実は、教科書が使えなくなってしまいました。せっかく下さったものなのに、申し訳ありません」
「使えなくなった? どういうことかしら」
不思議そうな顔をするコルネリア様に、鞄から無残な姿になった教科書を取り出し広げてみせる。ほんとうは推しの尊い瞳にこんなものを映したくないのだけれど、新しいものを購入してもらうことになる以上、事情は伝えなければいけなかった。
予想通りコルネリア様は柳のような眉をひそめ、「まあまあ」と口元に手を当てた。そして、痛ましい表情でわたしに視線を移す。
「セリアーナ。あなた、もしかしていじめられているの? 話してちょうだいな」
「わたくしがいじめられるのは構わないんですが、教科書と……あと、多分ミニハープもです。頂いたものが使えなくなってしまったことが、悲しくてたまりません。コルネリア様にもご迷惑をおかけしてしまって、本当にすみません」
「わたくしに迷惑だなんて。そんなことは一切ないから、気にしなくていいのよ」
コルネリア様は深いため息をついて、汚損した教科書類を掴んで立ち上がる。すたすたと図書室の隅まで歩いていき、何のためらいもなくゴミ箱に捨てた。
「えっ! 捨ててしまうのですか」
「当たり前でしょう。もう使えないもの。不思議なことを言うのね、セリアーナは。それに、あれを持ったままだと思い出してしまって辛いでしょう? 嫌な思い出は捨てるに限るわよ」
その言葉に、わたしはユージーン殿下からの頂き物を断捨離するコルネリア様の姿を思い出した。殿下が辺境に流され、正式に婚約解消がなされたその日に、コルネリア様は満面の笑みを張り付けてあれもこれもゴミに出していた。
とてもすっきりしたお顔をしていたから、コルネリア様にとってはそれが良かったんだろう。
――でも、わたしは違う。
汚れたって使えなくたって、コルネリア様のお下がりであることは変わらない。その一点において、価値は全く下がっていないのだ。どんなに大粒のダイヤモンドより貴重な宝である。
後で拾って大事に保管しなきゃと思いながら、ゴミ箱――もとい宝箱に視線を送る。
「でも、誰がこんなことをしているのかは気になります。わたくし個人はともかく、コルネリア様――ひいてはジャレット公爵様も敵に回すような行為ですし……」
ふとした疑問を口にすると、コルネリア様は淑女の笑みで答えた。
「ふふふ。なかなかいい推理ね、セリアーナ。そういう視点で行くと、わたくしはある程度犯人の目星がついていますわ」
「えっ!? そうなのですか。教えてくださいませ」
目を見開いて尋ねると、コルネリア様は焦らすこともなく、はっきりと教えてくれた。