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図書室には再び平和が戻ってきた。
大きな窓から温かな午後の日ざしが差し込む。コルネリア様はいつもの前から五番目の席、自分はその三つ斜め後ろ。前の方に睦まじいカップルがいて、メガネ君は一番後ろの端の席。各々が自分の好きなことに打ち込み、邪魔をする者はいない。
婚約破棄に端を発する事件から二か月が過ぎ、ゆったりと時間が流れていた。
国王陛下は問題の元凶であるユージーン殿下を廃嫡とすることで公爵様の怒りを収めた。多くの取り巻きを引き連れて校内を闊歩していた殿下はぱったりと姿を見せなくなった。辺境に流されたという噂があったが、真偽は定かではない。
王族のちょっとした事件の影で、実は我が家――元実家のランタス伯爵家にも異変が起きていた。なんと没落してしまったのである。
長年に渡るお母様と妹の無駄遣いに加え、領地の大凶作で収入が激減。ないなら領民から搾り取れという短絡的思考で重税をかけたところ、ストライキが発生し、支払いの首が回らなくなったのだそうだ。
〝うちのセリアーナがお世話になっていますわね″から始まる、援助を要請する図々しい手紙が公爵様宛てに来たけれど、どの口が言うのか。「セリアーナが希望するなら尊重するよ」と親切な公爵様はお声を掛けてくれたけれど、丁重にお断りした。その次の日には没落の知らせが入ったから、いずれにしろ間に合わなかっただろう。
本当の意味で家がなくなったわたしは公爵家の養子となって引き取られ、形式的にはコルネリア様の妹になった。涙を流して神に感謝し、数日間は興奮で眠れなかったことは言うまでもない。
世の中こういうこともあるのねとぼんやり考えていると、視界に映るコルネリア様がペンを横に置いた。これは休憩の兆しであるから、すすっと歩み寄って隣の席に腰を下ろす。
「お疲れさまです、コルネリア様」
「ありがとう。セリアーナも休憩かしら? いつもタイミングが合うわね」
後ろから見つめているからです、とはやっぱり言えない。妹になったからって、コルネリア様が尊く不可侵な存在であることは変わらないのだ。コルネリア様という女神と出会い、そして悪役令嬢になったことで、自分の人生は大きく変わったと思う。もちろん、いい方向に。
「そういえば、セリアーナ。殿下の件は一段落しましたから、もう悪役令嬢は引退でしょう。次の夢はおありになるの?」
コルネリア様に笑顔が戻ったので、おのずと悪役令嬢は出番を失った。
もう男はこりごりだと言うコルネリア様は、卒業後は隣国に留学して外交官を目指してみたいのだと夢を教えてくれた。語学の魔能を持つコルネリア様にぴったりな展望だけれど、離れてしまうことはすごく寂しい。
今の自分にコルネリア様のように立派な夢と言えるものはないけれど。ずっと心に秘めていた憧れが、強いて言えばそれに近いのかもしれない。
「はい。実は、アルフレッド殿下にお会いしてみたいんです。図書カードにいつも名前がありますでしょう? 王子ですからそうお目にかかれないでしょうし、わたくしなんかがおこがましいですけど」
「えっ? それなら――」
何かを言いかけるコルネリア様。
すると、ちょうど横の通路を通りがかったメガネ君がビクッと肩を揺らし、バラバラと本を取り落とした。
「あっあっ。ご、ごめんなさい!」
「大丈夫ですか? 拾いますね」
中和剤を作った日以来、きっかけがなくて彼とは会話していない。
(もろもろ落ち着いたことだし、このあとお茶に誘ってみようかしら? まだお名前もお伺いしていなかったし、本のお話もまだまだ話し足りないもの)
そんなことを考えながら床に散らばった本や文房具、赤い便箋などを拾い集める。
――筆箱から飛び出た万年筆には、流れるような筆記体で『アルフレッド・レオニディス』と記名があった。