心残り人の街
一 不思議な街の存在
あなたは、死んだら蘇ることは無いと思っていますか?
ところが、蘇った人たちだけの街がひっそりと存在しているのだ。全世界で行方不明になった人や誰にも知られることなく死んでしまった人が集まって不思議な生活を送っている街がある。しかも、全世界から集まっているにもかかわらず、全員言葉が通じているのである。この街には太陽の光が降り注ぐという日は無く、雨が降ることもない。一年中、薄暗い曇りの日が連続しているだけだ。当然、生きている人は誰一人としていない。もちろん、この場所は人には知られていないので、自らやってくることはできない。ここで生活する人たちは、現実世界と完全に隔離され、不思議な力によって蘇った人たちが生活を営んでいるのだが、もし、生きた人間と出会って話をしてしまうと、話をしたこの街の住人は消えて無くなってしまう運命を背負っている。二百年ほど前に一度、迷子になった子供と話をした住民が一瞬で消えてしまったことがあったようだ。
この街に一人でやってくることはできない。「案内役」と呼ばれる黒いスーツを纏った男が迎えに行って連れて来てくれるのだ。世界中を駆け巡って連れてくるので、移動手段も普通ではない。抵抗が少ない空気の密度がうすくなっている場所を縫って、夜中に迎えに行く。当然、「案内役」は人間ではない。表情ひとつ変えることなく世界中どこへでも飛んでいける。それに誰もがこの街にくることができるわけでもない。生きているうちに、いいことをたくさんしていたにも関わらず、予期せぬ事故で若いうちに死んでしまった人だけに、「案内役」が迎えに行く。本来ならもっと長く「生きている生活」を楽しめたはずの人たちだけが、この街に住めるのだ。そして、その人が事故にあわなかったとした時の寿命が尽きるまで生活することができる。寿命が来たら、天国からのお迎えがやって来て、この街からは姿を消してしまうことになる。唯一の例外は生きた人間と話をしてしまうということだった。生きた人間と話をしてしまうとその瞬間に寿命が尽きて、天国からのお迎えを待つことなく消えることになるようだ。
そうやって、この街の人口も一定数が保たれ続けていたが、最近は少しずつ増加傾向になって来た。世界的に少子化になっているにも関わらず、若いうちに死んでしまうケースが増加しているのだ。虐待、交通事故、戦争、災害、無差別殺人などの犠牲者がどんどん増加しているので、この街の人口も増え続けている。もっと平和な世の中になれば、長生きできる人口も増えるのだが人間のエゴがそうならない世界を維持していることは悲しいことだった。
二 旅行者とワイン
バックパックひとつで旅行をしながら世界中を歩き回っている日本人のケンという若者がいた。一人で旅行をするのが好きでいろんな国を旅行していた。大抵は、訪れた国でも田舎の方ばかりを旅していた。格好はいつも同じでシャツにジーパン、トレッキングシューズというハイキングにでもいく格好だ。ただ、テントやシュラフを背負っているのでリュックは大きめだった。もちろん、突然の雨にも困らないように大きめのレインコートも常備している。知らない土地の都会は怖いし田舎の方がなんとなく親切な人が多く、事件にも巻き込まれにくいだろうとケンは考えていたようだった。それに、ケンが旅行をする目的は、観光ではなく世界の人たちと触れ合うことがメインだったので、伝統や風習が残っている田舎を好んで旅していた。
ある時、フランスの田舎の葡萄畑が多くある地域を歩いていると、ワイン作りをしているマリーという女性から声をかけられた。薄化粧で長い髪を後ろで結び白いシャツがよく似合う笑顔が素敵な女性だった。
「ねぇ、どこからきたの。私はマリー。みんなからはメリーと呼ばれているわ。バックパックでこんなところまで来るなんて、もしかしてワインが好きなの」 「あっ、日本という国から来ました。ケンといいます。世界中を回っているんです。いろんな人に会って話をしたいので。なので、ワインが特別に好きというわけではありません」 「なあんだ。ただの旅行者なのね。てっきり、ワインの仕入れ交渉にきたひとかとおもっちゃったわ。残念」 「すみません。なんだか期待を裏切ったみたいですね。よかったら、その期待の訳なんか聞かせてもらえませんか。力にはなれそうもないけど、話を聞くことはできますよ」 「あら、意外と積極的なのね。ケン、、だっけ、名前は。じゃあ、私の自慢のワイン工場に行って話でもしましょうか。もう、夕方になるし、何か食べ物も用意してあげるわ」 「うわーっ、ありがとうございます。実はお腹空いていたんです」
ケンとメリーは一緒に歩き出した。歩きながら、お互いに自己紹介を兼ねた話で会話が弾んだ。メリーは、数年前に事故で両親を亡くし、今は一人で葡萄畑を維持しワイン工場でワイン作りに励んでいるらしい。もっとも一人で全てはできないので、村のみんなの助けを借りて維持しているようだった。しかしながら、メリーが作っているワインは両親が作っていた時ほどの味わいがなくなり、なかなか売れないのだそうだ。このままだと、工場も葡萄畑も手放すことになるかもしれないという切羽詰まった状態だった。ケンは、何もできないのにとんでもない時にやって来たなと思いながらも、少しでも明るくしようと話をした。真っ先に思いついたのが、日本のレトロな車でスカイラインという名前のかっこいい車のことだった。
「そういえば思い出したんだけどね。日本にはね、僕たちの名前がついたかっこいい車があったんだよ。だいぶ昔だけど。ケンとメリーのスカイラインっていう車なんだ。すっごい人気があった車なんだよ。その車のコマーシャルで使われていたのは日本の北海道というところなんだけどちょうどここみたいに広大なところにヒョコンと立ってる木のところでコマーシャルが撮影されていたんだ。もちろん、ケンとメリーが恋人みたいに出演してたんだよ」 「すごーい。じゃあ、私たち恋人同士だね」 「あっ、いや、そういう意味じゃないけど」 「もう、冗談よ。きっと私の方がおねえさんでしょ。今高校生くらいかな」 「やっぱり日本人って若く見られちゃうね。これでも29歳なんだけど」 「えーっ、嫌だごめんなさい。じゃあ、おにいちゃんだ。びっくり」
こんな話をしている間に、ワイン工場についた。どうやら、自宅と繋がっているようだった。凄まじい樽の香りに包まれている場所でワイン樽がものすごく沢山並べられているところだったが、ケンは嫌いではなかった。メリーはワイングラスを二つ持って奥の方の樽から白ワインを注いでチーズと共に持って来た。
「どうぞ。これもご縁。我が家のワインを召し上がれ」 「うわー、ありがとう。本場のワインだね」 二人は、グラスを軽く傾けカチンと音を立ててワインを口に運んだ。 「お味はどお。ちょっと薄く感じない」 「言われてみれば、サラッと飲めるような感じがする」 「どうしてもアルコール度数が上がらないのよね。これで5%も無い位なの。たぶん葡萄の糖度が足らないのよね。でも今の状況ではこれ以上無理なのよ」 「あぁ、だからこんなに飲みやすいんだ。じゃあ、アルコールが弱いことを売りにすればいいかも知れないね」 「えっ、どういうこと。アルコールが低いことを売りにできるの」 「うーん、ネット上で、超低いアルコール度数の飲みやすいフランス産ワインみたいなキャッチで販売してみると面白い気がする。仕事をしている女性の家飲みとかにマッチしそうな気がするな」
ケンは、いろんなところを回っていろんなアルコールも飲んできたけど、最近はあまり強く無いお酒が好まれる傾向にあることを感じていたので、こんな話をしたのだった。この後しばらくワインの話をして、メリーがふと気づいたかのように聞いて来た。
「この辺りはホテルもないわよ。夜は、どうするつもりだったの」 「あぁ、いつもシュラフは持って回っているから、最悪は野宿。そんなに寒くも無いし」 「よかったら、泊まっていいよ。部屋は余っているから。あっ、変な考えはなしだからね。ケンはとってもいい人に感じたから。それに、、」 「うわー、助かるなぁ。ん、それにって何かあるの」 「うん、この地方では、向こうの山を越えたあたりからほのかな灯りが見えるんだけど、行くと何もないの。で、その中に入っていった人で戻って来た人がいないの。噂でしかないけど、村の人たちは、祖先の呪いかもしれないと言って近寄らないのよ。だから、夜は家の中にいた方が安全よ」 「えっ、恐っ。じゃあ、喜んで部屋を借ります」
こうして、メリーの家にケンは泊まることになった。正直ホッとしたという感じだった。メリーは一応パソコンも持っていて、快適とは言えないまでもインターネット環境もあった。そこでケンは、メリーのパソコンを借りて、日本で酒屋を経営している同級生にメールを送ってみた。今、日本はお昼くらいだからきっと見てくれるだろうと思った。
キヨシへのメール 『今、南フランスのワイン工場にいます。ここで作られたワインは大量出荷は厳しいけど5%弱程度の低アルコールのワインで飲みやすいのが特徴なんだけど、キヨシのところで輸入して販売なんて可能性はないかな。検討をおねがいします。ケン』
思った以上にレスポンスが良くすぐに返事が来た。
キヨシからの返信 『ケン、相変わらず旅してんだな。いいよなお前は気楽で。ワインの件だけどちょっと扱ってみるよ。試しに五十本くらい送ってくれるように言ってくれ。決済の仕方なんかも取り決めないとダメだけど、その前に現物確認しないとな。 キヨシ』
どうなるかわからないのでメリーに内緒でメールしてみたけど、嬉しい返事だったので、横にいるメリーにすぐに話した。ケンから説明を受けて、飛び上がって喜んだ。早速、明日日本に送る準備をするといって喜んでいた。人助けができたような気になったケンもなんとなく気分よく眠りにつくことができた。
翌日、ケンも荷造りを手伝ってこのワイン工場を発つことにした。ちょっぴり別れが悲しくもあったが、また帰りに必ず立ち寄ることを約束して出かけた。再び戻って来た時に、ワイン販売が軌道に乗っていることを願いながら。
三 奈落の底
ケンは、前日聞いた「祖先の呪い」というのが気になっていた。明るいうちなら特に問題はないだろうと思い、山を越えて行ってみることにした。何しろ徒歩なので時間がかかる。明るいうちに行けるかと思ったら、とんでもなく遠かった。しかも民家はどこにも見当たらない。仕方ないと思い、一人用のテントを広げてシュラフにくるまって寝ることにした。幸い雨も降ることなく星空が綺麗に見えていた。ランタンを消して寝ようかと思っていたら、昨日聞いていたほんのり明るい光が見えている。気にはなったが、そのままテントに入り込んで眠った。
翌日は早く起きた。今日は太陽の光があるうちになんとか辿り着きたいと思っていた。荷造りを終え、早速歩き出した。ケンはだいぶ近づいたと思っていたが、残念ながらこの日もそばまで行くことはできなかった。仕方がないと思い、またしてもテントを張って寝ることにした。持っていた食料もだいぶ少なくなり、明日はなんとかしなければと思いながら、眠りについた。しかし、深夜0時を回った頃、なんと無く胸騒ぎがして目が覚めた。テントの外に出て綺麗な星空を見ながら伸びをしていると、ほんのり明るい光が確実に昨日より近くに感じた。ケンは流行る心を落ち着かせながら、ほんのり明るい光に向かって歩き出していた。ほとんど無意識だった。まるで引き寄せられるかのように、じーっと灯りだけを見ながらしばらく歩いていた。
「うわっ、ま、まずい。落ちる。わーっ」
いきなり、足元にあったはずの地面がなくなっていた。暗くて全く気づかなかったが、谷底につながる亀裂があったのだ。深さは五十メートルはありそうな感じだった。谷底には小さな川が流れていた。左足は亀裂のヘリを捕らえていたので気づかず、右足を一歩前に出したとき、当然あると思った地面がなかったのだ。地面がないと認識した時は遅かった。全体重は右足にかかっていたのだ。重力は容赦無く襲いかかって来た。飛び降り自殺をするかのように真っ暗な亀裂の中にケンは落ちていった。落ちていく途中で、「ここで死ぬのか」とケンは覚悟した。そして、亀裂の底を流れている小さな川底に叩きつけられた。ドン、バシャーンという大きな音も亀裂の中ではかき消されてしまった。
どのくらい時間がたったのだろうか。ケンもわからない。上の方をみると高いところにうっすらと空のような空間が少しだけ見える。しかし、あんなに高いところから落ちたはずなのに痛みがどこにもない。一体どうなっているのだろうと思っているところに、黒いスーツを着た男がどこからともなく現れて話しかけてきた。
「私は案内役です。あなたと同じような境遇になった人たちがたくさんいる街にお連れします。さぁ、私の手をとってください」男は右手を差し出して来た。「ちょ、ちょっと待って。同じような境遇ってどういうこと」「生前は良いことをしたのに予期せぬ事故で命を失ったという境遇です」「うわっ、混乱するなぁ。ということは僕は死んだっていうことなのかな」「はい、人間としては死んでしまわれました。本来はもっと長生きするはずでしたが、あなたがワイン工場に立ち寄ったところで、時間の歪みが発生し、結果としてあなたは死んでしまいました」「そんな。こんな遠いところで死んでしまったのか」「さぁ、行きましょう。あまり時間がありません」ケンは男の手を取った。
案内役の手を取った瞬間、二人は空高く舞い上がり、落ちた場所を越えはるかに高いところまで昇っていった。上を見上げて微かに見えていた空まで舞い上がり、自分が落ちた亀裂も確認できたし、遠くにはメリーのワイン工場も見えた。何が起こっているのか理解できないまま、二人は空間を縫うように移動した後、静かに地面に降り立った。そこは、静かな街だった。そう、ほんのりと見えていた灯りはこの街のものだったのだ。案内役はケンに一言だけ告げて、静かに消えていった。「ここが、今日からのあなたの家です。自由にお使いください。ただし、生きている人間と出会っても決して話をしてはいけません」
ケンは不思議な感覚のまま、その家に入りしばらく休憩していた。なんとなく薄暗い感じはあるが、とても清潔に保たれている家だった。どことなく懐かしさを感じるような家だった。ケンは「そうか、おじいちゃんの家に似ているんだ」と思い余計に親しみを覚えた。部屋の中で一人くつろいでいると、隣人のおばさんが挨拶にやって来た。
「おや、いつの間にか隣に家ができたようね。お兄さんはどこから来たの」「初めまして、ケンといいます。僕は日本からきました」「ニホン、えっとアジアのほうの国だったかしら」「ええ、そうです。失礼ですけどどなたさまでしょうか」「私はフランス出身でワイン作りをしていたのよ。ここに来てもう三年目よ」「そうなんですね。そういえば、ここにくる前にメリーさんという女性が一人でワイン工場をしていましたがご存じですか」「えっ、メリーに会ったの。元気だった。何か困っていなかった」「あっはい。お元気でした。ただ、ワインが売れないらしくて。日本の友達を紹介してあげました。うまくいけばワインも売れると思います」「あっ、元気なのね。よかった。私の娘なのよ。メリーは」「えっ、じゃあ、メリーさんのお母さんですか。メリーさんからは事故で亡くなられた、と、聞きましたが」「そんな話もしたのね。そうなの、でも夫は間に合わずにそのまま天国に行ったわ。多分それが運命だったらしいわ。私は一緒にいる予定じゃなかったんだけど、なぜか夫と一緒にいたかったからついていって交通事故に巻き込まれたのよ。それで私だけここに連れて来られたのよ」「そうだったんですね。まさか思いもよらない場所で会えるなんてびっくりです」「メリーのことが聞けてよかったわ。これで安心してあの人の元に行けるわ。私の寿命はあと何年かわからないけど、こうしてメリーにあったひとと話ができてしかもお隣さんなんて、あの案内役も粋なことをするのね。ところで、あなたはなぜフランスに来ていたの」「僕は、旅行が好きで世界中を回っていたんですよ。それで、今回はフランスに来て歩いていたらバッタリとメリーさんとお会いして、話をして一晩泊めていただきました。その時にご両親が健在の時のようにワインが出来なくて売れなくなっていると聞いて、日本の友達がワインを扱っているので連絡をしてなんとか日本で販売できるようになると思いますよ」「まぁ、そんなことまでしてくれたのね。ありがとう、ありがとう。そうなのね。よかったわ、メリーがあなたに巡り合えて。そうそう、あなたは世界を回っていたのなら、ここの街の中を歩くことで世界旅行ができるわよ、それでここの住人といろんなお話をすればいいわ。きっとあなたがやりかたったことができると思うわ」「そうなんですね。僕もここに来たからには有意義な時間を過ごしたいと思います。お隣さんにもなったことなので、これからよろしくお願いします」「こちらこそ、よろしくね」
ケンは、案内役に言われるがまま連れてこられたこの場所が、そんなに悪くないなと感じ始めていた。自分の死を自覚することはなかなか出来ないけど、これまで同様に話もできるし楽しめそうだなと感じた。自分が住んでいる場所で世界の人たちと話ができるなんてことは、生きていたらできないことだなと前向きに考えることにした。
四 ワインの販路
ケンの友人であるキヨシが経営する酒屋にフランスのメリーからワインが届いた。白ワインばかり五十本入っているのを確認した。キヨシは弟のヨウジとともにワインを一本とって試飲した。「めちゃくちゃ軽くて飲みやすいワインだな。これは女性をターゲットにすればブームを起こせるかもしれないな」「兄さん、僕もそう思うよ。さっそくネット広告も検討したいけど、その前に提携しているホテルに売り込みをしてみよう」「そうだな、感触をまず確かめたいから、ホテルに行ってみよう」
二人は、ワインを車に積んで、取引しているホテルに向かった。少し小高い丘の上に建っている瀟洒なホテルで女性客に人気がある。旅行雑誌などにも取り上げられていて人気が上がって来ているホテルだ。ホテルの担当者と女性のお客様専用に夕食時にサービスでつけるワインとしてどうかという相談をしたのだった。結果、物は試しということでとりあえず週末限定でお試しプランを作ってみようということになった。手応えは十分である。その後、旅行サイト経由で女性専用ワイン付き宿泊プランを出したところ、大人気となりすぐに完売。その後はホテルへの問い合わせも殺到して来たほどだった。ホテルとしてはプランの拡大を実施せざるを得ない状況となり、追加でワインを注文したいと持ちかけられた。いきなり嬉しい誤算である。
試飲して気に入ったキヨシは、自らフランスのワイン工場に行ってみる気になった。作っているのが女性ということも気になっていた。もしかしたら突然製造を止めるなんて言われると困るし、取引中止も困ることになる。キヨシは自分の目で確かめておきたかった。その間、店は弟のヨウジに任せることにした。ネット環境にも強いのはヨウジの方だったので心配はない。キヨシは、善は急げということで、思い立ったら実行しないと気が済まないタイプだった。一週間後にはフランスのワイン工場についた。
「こんにちは。ケンの友達のキヨシです。あなたが送ってくれたワインはとてもいい商品だと思います。直接お会いしたいと思い、ここまで来てしまいました。日本のホテルでも人気が出ると思っています。ついては、ぜひ我々と専属契約をしていただけませんか」「わぁ、本当ですか。とても嬉しいです。でも、私一人で作っているので数はそんなに作れないんですけど」「年間何本くらい出荷できそうですか」「村の人にお手伝いしてもらっても五千本が限度だと思います」「では、まず年間五千で契約しましょう」「ありがとうございます」
この後メリーはキヨシをワイン工場をひととおり見学して葡萄畑を見て周り、再度、ワイン工場に戻って来てケンの話をしながら、新しいワインの開発をしているのだという話になった。そして、メリーの両親が亡くなりなんとかして一人で切り盛りしているという話も聞くことができた。
「何日間か滞在させていただくことはできますか。何日か畑や仕事の内容を見せていただきたいのですが」「いいですよ。私一人ですから。ケンの友達なので信頼してます」「ありがとうございます。実はワイン作りにもちょっとだけ興味があるんですよ」「わぁ、そこはケンと大きく違うところですね。彼は一晩だけ泊まってまた旅行に出ていってしまいましたよ」「あいつは、昔っからそんなやつでした。でもすごくいいやつなんですよ」
他愛もない話で盛り上がり、メリーとキヨシの距離も少し縮まったような感じだった。数日間滞在している間は、収穫期ではなかったので、葡萄畑の手入れや樽に入ったワインのボトル詰などがメリーの仕事だった。収穫期には村の人が応援に来て葡萄を収穫し、ワイン作りをするので十人くらいが手伝ってくれるのだということも聞いた。ワイン樽はかなりの量がストックされているように感じたが、一人でボトル詰の作業、ラベル貼りなどを実施することになるから年間の出荷数が増やせないということも薄々わかって来た。
「メリー、僕を次の収穫期のワイン作りまでここに置いてくれませんか。給料は要らないので部屋と食事だけ提供してもらえれば問題ありません」
突然の申し出にメリーは驚いたが、真剣な目で見つめられたので、受け入れることにした。そして、それから約半年の共同生活が始まったのだ。キヨシが手伝うようになってから二ヶ月が経過しようとしている頃になると、さすがに離れて暮らしている村人たちにもキヨシの存在が知れ渡っていた。「メリーはいつの間にか外国人の男と一緒になっているみたいだ。物好きな外人もいるもんだな」という噂がいつの間にか広がっていた。それに伴い、メリーもキヨシもまんざらではない気持ちが芽生え始めていた。
収穫期が来ていつものように村人たちが手伝いに来てくれた。みんなで葡萄を収穫し、皮や種を除いて絞った果汁を樽に入れ発酵させるまでが大変な作業となるので村人の助けがないととてもできない作業なのだ。樽の数としては百五十樽を有に超えるくらいの量がある。ボトルにすると、五万本くらいは出荷できるはずだ。しかし、実態としては街に出荷する分とキヨシの店に出荷する分を合わせても2万本にも満たない。キヨシはここで覚悟を決めることにした。収穫期の作業が終わって、手伝ってくれた仲間との打ち上げの場でキヨシはプロポーズした。
「メリー、君のひたむきさと優しさに惹かれてしまった。これからはずっと一緒にワイン作りを君と一緒にこの場所でやっていきたい。僕と結婚してください」 ざわついていた周りにいた村人は一瞬で静寂さを醸し出し、全員の視線が一斉にキヨシとメリーに集まった。静まり返った打ち上げの場でメリーは口を開いた。
「えっ、このタイミングで。。。でも、うれしい。喜んで受けるわ」
周りから大きな拍手が沸き起こり、打ち上げの場は、いつしか結婚披露宴に変わっていた。そうなると、手伝いに来ていなかった村人たちも集まってきて、盛大なパーティに変わった。街から神父さんまでも駆けつけ、文字通り、結婚式が執り行われたのである。最高に幸せの瞬間だった。オンラインでつながっているパソコンの向こうから弟のヨウジがパーティの様子をみて拍手していた。
五 幸せな生活
メリーとキヨシのワイン作りは、軌道に乗ってきた。常時働いてくれる人を3人ほど雇う余裕も生まれて来た。その時には、ワインの出荷量も五万本を超え、熟成された樽で過去人手不足で出荷できなかった分がプレミアムなワインとして追加出荷できるようになり、十二年サイクルでワインの出荷を計画できるようにまでなっていた。そして、待望のジュニアも誕生した。男の子だった。二人は、この男の子にケンと名付けた。
「そういえば、あれ以来ケンから連絡が無いけど元気で旅行しているのかな」「そうね、また帰りに寄るっていってもう四年も経ってしまったわ」「僕らがこうなることができたのはケンのおかげだからな。礼をいいたいよな」「本当にそうね。おかげで家族もできたのだから」
月日が流れるのは早く、それから十八年が経過し、ケンは立派な青年に育っていた。家の手伝いも率先して実施していた。ワイン工場もさらに大きくなり、葡萄畑も広くなっていた。それに比例して出荷量も二十万本にまで膨らみ、経済的な余裕も生まれていた。日本の酒屋はヨウジが切り盛りしていたが、順調に大きくなり、特にインターネット経由の取引が急速に増加し、年商も二百億円近くにまでに達していた。兄弟共に順調な成長を遂げ、フランスでのワイン生産と日本の酒屋からの販売というビジネスは盤石なものとなってお互いに幸せを噛み締めていた。
そんなある日、息子のケンが提案して来た。「お父さん、お母さん、周りの土地を散策してくるよ。もっと葡萄も増やせればもっともっとワインを作れるようになるだろ。それには畑が必要だ。まず山の向こうを確認してくるよ。もしかしたら、手付かずの畑もまだあるかもしれないし」「おお、そうか。もうそんなことを考えてくれるようになったか。じゃあ、寝泊まりができるような荷物を持って、そうだなぁ、ひとりで2週間くらいの旅をして来なさい。一応、念のためにスマホとバッテリーは持っていきなさい」
一人で行動するようになったんだという喜びとともに、キヨシとメリーはケンを送り出した。田舎で育っていてここから一歩も出ずに育っているから、少しは周りを知るのは悪くないなと思って送り出したのだ。
六 不思議な出会いと別れ
ケンは初めての一人旅に興奮していた。今回は飛行機や列車を使った旅ではないが、今まで行ったこともないところに一人で行くということ自体に興奮していたのだ。背負ったリュックの重さも全く気にすることなく、いつも見ていた丘の向こうのそのまた向こうの景色を見てみたかった。なんとなく、不思議な力に導かれるかのようにひたすら歩いた。
偶然なのかなにかに導かれたのか、二十年近く前に、旅行者である日本人のケンが落ちてしまった谷底のそばまで来ていた。しかし今は昼間なので亀裂がよく見える。そっと覗き込んでその深さを確認していた。
「うわっ、ここ危ないなー、夜に来てしまうと落ちてしまうかもしれないな。柵を作った方が良さそうだ。帰ったら村の人に言っておこう」
ケンは、亀裂に沿って歩いた。一時間くらい歩いたところに、亀裂の向こう側に渡れる橋がかかっているのを見つけた。長さは五メートルくらいの小さな吊り橋である。走ってジャンプすれば越せそうな亀裂だが、谷底を見るとそんな勇気は出ない。橋を探して正解だった。とりあえず橋を渡り、亀裂の向こう側へと渡った。橋を渡る前は快晴とも言える真っ青な空だったはずなのに、橋を渡った途端に、どんよりとした雲に覆われた空に変わった。
「変だな、なぜ一瞬で空が変わったのかな。そういえば、霧のようなもので先がよく見えなくなっているな。でも、なんとなく灯りがついている気がする」
ケンは慎重に足を進めていた。初めて来た場所なので、足元には十分注意しながら進んだ。一歩一歩と進んでいくたびに視界が悪くなっていった。それでも、なんとなくぼんやりと見える灯りに向かって歩いていった。すると少しずつ霧のようなものが薄らいで、曇り空の下に街が見えて来たのだった。
「えっ、こんなところに街があったなんて。聞いたこともないな」
一番手前の家の前まで来たが、通りを歩いている人はいない。しかし、家の灯りはついているようだ。家の中をちょっと覗いては見たが、人の姿は見えない。まるでゴーストタウンのようだった。勇気を振り絞って大きな声を出してみた。ケンが立ち止まって覗いた家は、日本人旅行者だったケンの家だった。そしてその隣がメリーのお母さんの家だったのだ。そう、ケンのおばあちゃんだ。
「すみませーん、誰かいますか。僕はふたつ山の向こうのワイン工場から来たケンといいます。もしだれかいるなら声をかけてください」
ここの住人は人間には見えない。住人同士でしか姿を確認することはできないのだ。通りからの声に気づいたメリーのお母さんは、隣のケンの家に行った。扉が開いて閉まる音は、やって来たケンにも聞こえていたし、扉が開閉するのも見えた。しかし、人は見えない。少し背筋が凍りつく思いになりつつあった。その頃、ケンの家ではメリーのお母さんとケンが話をしていた。
「ケンさん、表にいるのはメリーの子供よ。なぜかあなたと同じ名前よ。きっと、わたしの寿命がやってきたんだわ。私はあの子と話をするから、あなたは決して話をしてはダメよ。これまであなたが隣に住んでいてくれて本当によかったわ」「お、おばさん。気をつけて」
メリーの母親はケンの家から出て、表にいるケンに話しかけた。「あなたはメリーの息子なの」その声が聞こえた途端に、ケンの目の前に老女が現れた。「えっ、はい、そうです。あなたはだれですか。どこから現れたのですか」「私は、あなたのおばあちゃんよ。死んでしまってるけど、ここに今までいたの。あなたに会えたことでやっと天国に行けるわ。メリーは誰と結婚したの。あなたのお父さんは誰かしら」「僕の父は、日本人でキヨシという人です。お父さんの大切だった友達の名前を僕に付けたと言ってました」「そうなのね。そのお父さんのお友達の家がここよ。ケンさんというの。二十年くらい前に、近くの谷に落ちて亡くなったそうよ」「えっ、そうだったんですね。なんかすごい複雑ですけど、おばあちゃんに会えてよかった。お母さんを呼んでくるから待ってて」「あっ、ケン。それは無理なのよ。もうすぐ私は消えるわ。生きている人と話をしたら消える運命なの。だから、あなたから伝えてね。メリーに愛していると伝えて。最後に孫の顔まで見れて幸せな人生だったわ。そろそろお迎えが来たようだわ。さようなら、ケン。お母さんとお父さんを大切にしてね」「おばあちゃん、おばあちゃん」
ケンの呼ぶ声が虚しく響いていた。おばあちゃんの姿は徐々に薄くなり、そして消えてしまった。そして、ケンは自分の父の友達も亡くなっていたということも知った。自分の知らない世界を知るということはこんなにも衝撃を受けるものなんだということをケンは身をもって感じていた。
それをじっと見守っていたのは、家の中にいたケンだった。大粒の涙を流しながら、声をかけたい衝動を一生懸命に堪えていた。「そうか、キヨシとメリーが結婚したんだ。ケンとメリーというわけにはいかなかったけど、キヨシなら安心だ。それに子供の名前に僕の名前をつけるなんて。お前らしいな、律儀で。ありがとう。二人の子のケンはメリーさんによく似てるよ」
おばあちゃんが消えるのを目の当たりにしたケンは自分の体験がまだ体から冷めない内に家に帰ろうと思い、来た道を戻っていった。吊り橋を渡った途端に晴天の青空が広がった。渡り切って後ろを振り返ると、今渡ったはずの吊り橋は消えて亡くなっていた。そこにあるのは深い谷底へつながる亀裂だけだった。
「もしかすると、だれかが僕を呼び寄せてくれたのかな。おばあちゃんと会えるように」
急いで家に帰ったケンは、一部始終をキヨシとメリーに話した。二人は、大粒の涙を浮かべて聞いていた。そして、かけがえのない家族と友達の大切さを噛み締め、ここにケンがやって来た年にできたビンテージワインの栓を抜き、メリーの両親の分と親友のケンの分のグラスも準備し、食卓に並べた。そして、親子三人で夕食とともにワインで乾杯した。親子三人は、グラスを合わせ、両親とケン三人の冥福を祈りつつ、変わらぬ家族の愛を誓ってワインを飲んだ。
このワイン工場は後に、「ワイン工場ケンとメリー」と名付けられ、代々繁盛していったということだ。
了