26. 冒険者ギルド
そこは町というよりも、のどかな農村だった。 それでもラッキーなことに宿屋は一件だけあったので、僕らはまた架空のダメ父を使ってその宿に泊まることにした。
宿泊料金は一泊銀貨1枚と安かった。 事前情報としてコインロード王国と通貨が共通なのは分かっていたが、実際に使えたので少し安心できた。
その宿の設備は料金なりだったが、追加料金を払うことで久しぶりに料理らしい料理にありつくことができ、肉料理とか魚料理とかが大変美味しかった。 育ち盛りの僕たちには、良質な食事こそが必要なものだと改めて思い知らされた。 宿屋で落ち着いたところで今後の方針を決めたかったが、疲れてしまったのでその日はそのまま寝てしまった。
翌朝起床すると、また以前のように架空の父を出汁にして、”私たちを見捨てるんですか”と宿屋さんに訴えて、もう一泊の予約も取ることができた。 今僕らの使える宿泊カードはこの2枚だけで、何か特別な事件とかがなければ2泊だけに限られてしまうところがもどかしかった。 そしてその翌日には再度架空の父をでっち上げてここを離れねばならないのだ。
それはさておき、僕たちは山の中の移動で約1か月半を過ごしたのだが、その間に戦争の情勢がどうなっているかを知ることができなかった。 あの後クローク伯爵領はどうなったのか、なんとか情報を得ようと試みたが何分ここは田舎の農村で、有用な情報は得られなかった。 つまりこの農村は極めて平和だったのだ。
僕はこのような平和な所で、できる限り<ギフト>の研究をしたかった。 けれどもアスナにとっては違うだろう。 やっと習得した<文字記録ボード>を活用したくて堪らないはずだ。 図書館の本に飢え、博物館や植物館などの知識にも飢え、なんでもかんでも記録したいという途方もない欲求があるはずなのだ。 そして残念ながらそれはこのような農村では無理で、大きな町や都市でないと実現できないのは明白だった。 そう考えると僕らの当面の目標は、”大都市で定住できるようになる” ということになったのだと思えた。
2日後僕らは別の農村へとやって来ていた。 またもや架空のダメ父をつかって一泊目の宿泊だ。 毎回嘘をついて宿屋の人を騙すこと、それは僕の精神を少しずつ蝕んでいるのが感じられるようになった。
これではいけない。 やはり誰か大人の味方が必要だ。
大人の味方さえいれば、お金が続く限り定住できるのだ。 移動可能な大人を味方にできれば、故郷へ帰ることさえ可能かもしれないのだ。 そこで僕は大人の味方を手に入れる方法をちょっと考えてみた。
1. 子供に親切で善良な大人に頼る。
2. お金を払って信用できる大人を雇う。
3. バカな大人を騙して使う。
4. 大人の隷属者を買う。
騙しや隷属者は論外と考えると、やはり信用と親切が大事ということになる。 それには孤児院関係か、宗教関係、冒険者ギルドなどに頼るのが現実的だと思えた。
とりあえずアスナに相談してみることにした。
「アスナ~ また相談があるんだけど」
「なに? 私今忙しいだけど 後にしてくれる?」
「一人でニマニマしてちょっと気味悪いんだけど、……ま、まさか恋愛小説とかいう本を呼んでるんじゃないよね」
「……」
お! 狼狽えた。 狼狽えたぞ! そうか、やっぱりか。
”甲斐性なし”とかいう言葉はそれで覚えたのか。
本当に恋愛小説、特に異世界恋愛は教育に良くないな。 健全な青少年はハイファンタジー程度に抑えるべきだ。 アスナのような7才児が読む代物じゃない。
「……カイン兄さんに恋愛小説の何がわかるっていうの? これだからケツの青いガキは、全く」
「僕だってわかるさ。 そういう”ケツの青いガキ”とか、”甲斐性なし”とかいう悪い言葉を覚えるための教育書みたいなもんだ」
「兄さん、……本当にガキだったのね。 悪い言葉は、まぁ私が悪かったわ。 使わないようにするわ」
「あ、アスナ。 よりにもよって、まだ僕をガキ扱いか! お前こそ、〇ッチな本なんか見たこともないガキのくせに!」
「えっ? 〇ッチな本って何?」
しまった! つい感情的になって失言してしまった。
これはまずい、まずいぞ! 考えろ、考えるんだ打開策を。
「〇ッチな本はね、数学の微分積分を修めたら読めるようになる本だよ」
「微分積分? じゃ頑張って勉強してみるね」
「あ! ごめん 微分積分じゃなかった。 フェルマーの最終定理っていうのを自力で証明できたら読んでいい本だった」
「ふ~ん、そのフェルマーの最終定理というの、兄さんは証明できたんだ」
「あ、いや間違えた。 偏微分方程式だった。 ちょっと混乱してたよ。 ごめん」
「……」
「何か嘘くさいけど、まぁいいわ。 今は許してあげる」
アスナに許されてしまった。
ヤバかった本当にヤバかった。
この世に微分積分も偏微分方程式も存在しているし、ある程度の文明があれば存在するのは当然の事だ。 ただし、フェルマーの最終定理って、フェルマーっていう個人名が冠されてるから、絶対に無理がある。 その無理を通せても、挑んだ数学者を大勢倒した世紀の超難問が僕に解けるわけがない。
嘘はいけないのだ。
偏微方程式は、……僕の記憶にある世界では多分理系大学生が習うレベルの課題だ。 まぁアスナが超頭が良かったとしても12才ぐらいまでは習得できないはずだ。 その頃なら 〇ッチな本を覚えても良いかもしれない。
……いや良くない気もするが、とりあえず今は凌げた。 悩むのはやめよう。
こうして、”大人の味方”を手に入れるという目標は煙に巻かれて消え去ってしまったのだった。
僕らはその後、何度か農村や小規模な町を渡り歩いた。 最早僕らは小さな流浪の民といった感じだ。 そして、このサトエニア共和国に入ってから約1か月後、やっと大きな町へと辿り着いていた。 アスナは、村や町を転々とする度に図書館コールを繰り返していたが、この町にならば満足できる規模の図書館があるだろう。 僕はアスナが満足できるぐらい長く滞在できる方法を模索してみることにした。
それにしても、どう考えても今の僕らに必要なのは、やはり ”大人の味方” を得ることだ。 この件についてはアスナに相談しても中々うまくいかないし非常に面倒だ。 彼女は僕にすべてを任せている状態(ただし失敗すると怒られる)なので、今度は僕だけで調査してしまおうと考えた。
大人の味方を得るための調査対象として、不思議な知識からまずは教会のボランティアを考えてみた。 そう教会だ。 ……教会? そういえばこの世界に宗教関係の本や建物を見たことが無い。 この世界には教会は無いようなのだ。
こうなると次点の調査候補は、孤児院だ。 孤児院のシスターさんだ。 ……シスターさん?
教会が無いのだからシスターさんもいないのか……。 僕は不思議な知識のシスターさんを思い浮かべてかなりガッカリしてしまった。 いや、シスターさんが居なくても孤児院はあることは分っている。 この国の事情を僕のライブラリで検索して調べてみると、孤児院は冒険者ギルドの中で運営されていることが分かってしまった。 結局僕の選択肢は、冒険者ギルドだけに絞られてしまったのだ。
冒険者ギルドには怖い人がいるそうなので、極力行きたくない。 だがこれは必要なことだ。
僕は意を決して、度胸一発ということで堂々と冒険者ギルドの建物の中へ入って行った。
「おい坊主、ちょっとこっち来い」
ギルドに入ってすぐに強面の冒険者から呼ばれてしまった。
この展開で無視すると殴られるパターンなのかもしれない。 僕は素直に強面の冒険者さんの方へと歩いていった。
「えっとな、この酒と、この牛飯を頼む。 早く行ってこい。 いいな?」
僕は頼まれてしまって、行かされることになってしまった。 ……果たしてどこへ?
わからないので辺りをウロウロしていると、今度は凄みのある冒険者に呼び止められた。
「何やってんだ、こっちへ来い」
僕はその凄みのある冒険者に手を引かれて連れられて来てしまった。
そこは洗濯場?のようだった。
すると僕を連れてきた冒険者は去って、またも僕は右往左往することになってしまったのである。
「ちょっとそこで何してるのよ、早くあっち行って取ってきてよっ!」
そして優しそうなお姉さんに、洗濯場?から何かを取りに行かされてしまった。
う~ん。 何が何だかわからないが、だんだん事が悪化しているような気がする。
今日は一旦退却してしまおうか、とギルド入口から逃だそうとした。
「ん? 貴方見ない子ね。 ここで何をしているのかしら?」
今度は緑の制服を着た怖そうな、いや綺麗なお姉さんに絡まれてしまった。
無視して逃げようとしたが捕まった。 振りほどこうと藻掻いたが腕力の差は歴然で、僕はギルドの中まで強制的に連れ込まれてしまった。
「さて、全部話してくれる? 貴方のお名前は?」
「はい、ぼくはアレ…カインと言います」
「貴方、アレって言いかけてなかった?」
「あ、アレっ? 僕はアレ、アレが気になってしまったんです」
「ああ、アレは、最近オープンした食堂なのよ。 もしかしてお腹空いてる?」
「いえ大丈夫です」
ヤバかった、僕は”アレンです”って言いそうになったが、何とか煙に巻けたようだ。
「で? ここで何をしてたの?」
「えっとですね、簡単に言うと、 行って来いって言われて、こっちへ来いと言われ、それからあっち行って、と言われたんでそうしたんです。 けどちょっと面倒になったので一旦外へ出ようとしてました」
「……複雑な事情のようね」
「……」
「それで、貴方はどこの子なの? 学校はどうしたの?」
「どこの子と言われましても、複雑な事情なのでお答えできません。 学校は卒業しました」
「このぉ~くそガキがぁ~ ナメたまねさらしてんじゃぁ~ね~!!」
奇麗なお姉さんはいきなりキレた感じで僕を威圧してきたのだった。