プロローグ4
五年生の教室は三階にあった。分校は二階建てだったからなんか新鮮だ。若干足が重く感じるのはやはり重力のせいだろうか。
「こちらが私達の教室になりまーす。」
入口の前に立ち、手のひらを上にして扉のほうへ向ける。商品の説明をする店員さんのポーズだ。うん。見た感じ一年棟と変わったところはほとんどない。ただ一つおかしいところは…、まぁいいか。
詩花の頭上の表札を見上げる。五年一組。長方形のでっぱりにそう書いてあった。
「…。」
今日からここに通うことになる。道中では想像するしかなかった新しい生活が今、目の前にあるのだ。白いモヤに隠れていたものが姿を現した時、私の中でなにかのスイッチが入った。心がやけに静かになり、音や視線に敏感になる。
だからだろうか。ここは物凄くうるさい。先生の声しか聞こえなかった一年棟とは大違いやな。
「席替えでもしてるんか。えらい賑やかやな。」
「いつもこんな感じだよ。」
「ほーん。」
声と声が重なり、合わさり、一つの音になっている。ワー…という雑音が絶え間なく続いていた。
〇
「…。」
「…。」
…。これ以上は無理だ。
「しーちゃん。」
「んー?」
「どうしてあの男の子は半分教室からはみ出してるん?」
冒頭から気になっていた、奇妙な男子について思わず尋ねる。スルーしようかと思ったけれど、彼からの根視線に耐えられなかった。
「あぁ。ハーフ野口ね。あいつはあれで満足してるよ。」
ハーフ野口…。あと満足してるってなにがや。
後ろの出入り口にちょうどはまるような形で男子が座っている。床にある引き戸のレールが真ん中に来るように机、椅子、そして自分自身がいる。まさにハーフだ。
そしてなにより姿勢がいい。背筋はぴんと伸ばされ、ひざには握りこぶしが置かれている。まぁ壁が邪魔して、教室に入っている右半身は見えないんだけど。
「よろしゅうな。」
クラスメイトになる奇人にあいさつをしておく。ちょっと変だけど、人畜無害そうなひとやな。花束を持っていない方の手を振る。ガサガサやってスイートピーの花びらが落ちたら嫌だし。結果、つないでいた詩花の手も持ち上がり思うようにひらひらできなかった。
無表情のままゆっくりと頷く彼を見とどけてから、話を進める。
「はやく中入ろうや。」
とっととみんなに挨拶を済ませて落ち着きたい。朝からいろんなことがあって、もうキャパオーバー寸前だ。
「うん。」
詩花がドアに手をかける。いよいよだ。「扉が開いてもとにかく自然体でいよう。」自分に言い聞かせた。
「…。」
「しーちゃん?」
詩花が取っ手に手をかけた体制のまま動かなくなってしまった。私に背を向けているから彼女の顔は見えない。どうしたんだろう。まさかまた演技始まっちゃった?
「しーちゃん?」
もう一度呼び掛けてみる。
「…京ちゃん。」
さっきより声が重い。
詩花がゆっくりとこちらを向き、見上げた。顔に影がある。
ただごとではない雰囲気に私は身構えた。
彼女の薄い唇が動く。
「助けて。」
―シン
その瞬間、周りの雑音がしなくなった。脳に負荷がかかり保育園の頃の記憶が強引に引き出された。もしかして詩花は同級生から…。不吉なひらがな三文字が頭をよぎった。
「なにがあったん。」
先を促すこちらの声も低くなる。
「私達がさ、こうして再会できたのって何かの縁だと思わない?」
「へ?あぁ、まぁ思うよ。」
意外な切り口に肩透かしを食らう。いきなりは言いずらいか。
唐突で驚いたけれど、私の返事は本心だ。本校の五年生が足りなくなり、分校から私が転校することになり、転校先のクラスには保育園時代の親友がいて、その親友は今いじめられている。確かにこれは「なにかの縁」だ。
さっと半分男子を一瞥する。ここで話を続けていいのか。
「ハーフ野山に聞かれてまうで。半分だけやろけど。場所うつそか?」
野山に背を向け声を潜める。詩花が誰からどんな仕打ちを受けているのか分からない以上彼にも油断はできない。そうやって見ると無表情で不気味なやっちゃ。
「あいつは大丈夫だよ。無害な奴だから。」
前言撤回。野山、すまん。
「あと野山じゃなくて野口。」
「苗字なんて今はどうでもええ。続き聞かせいや。」
「うん。実はいま大変な事態に直面してるんだ。私達だけじゃ乗り切れないかもしれない。」
ツキンッ
胸が痛む。私が美弥ちゃん達と笑っていたとき、対岸で詩花は戦っていたのだ。でも、詩花は今「私達」と言った。友達がいない訳ではないらしい。独りぼっちでいた訳ではないのが唯一の救いか。
「だからさ。」
繋いでいた手にキュッと力がかかる。
「京ちゃんの力を貸してほしいの!」
その瞬間、反射的に口が動いていた。
「当たり前や!!」
ふわっと詩花の頬が緩む。
「京ちゃん、ありがとう。」
「ええんやで。」
ふと熱さを感じ、視線を落とした。いつからか結んでいた手は、温かいを通り越してホカホカしている。
あの頃のようだ。手がホカホカしようがボカボカしようがずっと繋いでいた。ずっと二人一緒にいた。「またウチが守ったるからな。」そう心の中でつぶやいた。
〇
その時、勢いよく扉が開いた。
「見つけた。」
え、髪ながっ!私達を見るなりため息をついた女の子は、ロングヘア―の右側を一本に編んでいる。それが長い。ショートカットの詩花とは対照的だ。
「どこ行ってたの。時間ないよ。」
「ごめん露。準備はできてるから。」
あらわ。この子が詩花の友達なのかな。
「そう。司会に伝えておく。…!」
私を一瞥した後、女の子は踵を返して戻っていった。おさげの先についたリボンが遠心力で輪を描く。
準備に司会。これから何かあるのかな。
開け放たれた入口からは、クリップボードを片手にした少女が見える。何やら紙をめくっているようだ。
「京ちゃん。」
「ん?」
「京ちゃんには保健相と外務相をお願いしたい。」
「ほけんそう?」
聞きなれない言葉は、ひらがなのまま私の頭上を漂っている。
「原稿読んでくれるだけでいいからさ。」
「え、原稿?ウチが読むん?」
「時間がない。さ、行こ。」
ぐっと手を引かれ、体もそれに続く。
「ちょっと待って!状況がよく…わっ」
つんのめりそうになりながら、右足が教室に踏みこんだ。
スピーカー越しに声が響く。
「皆様たいへん長らくお待たせ致しました!ただいまより一色詩花学級代表の就任式及び各大臣の任命式を挙行いたします!」