59 赤き月(9)
バキバキと木々をまるで小枝のように折りながら現れた巨大な熊。
目は赤く光り、体毛は血に濡れたようにどす黒く光を飲み込む。
「総員退っ……ガハッ!!」
前線に立つリーダー格であろう男は、仲間とともに下がろうとするも、ブラッドベアの振るった腕で村を囲む壁へと叩きつけられた。
「ちょっ……、あれ当たってたか!?」
「当たってなくとも、風圧で飛ばしたってところか……。しかし、間に合ってよかった」
「間に合った? 何がだ?」
「こっちの話だ」
攻撃が入る寸前、一帯の人間と動物に、俺の使える最強の防御魔法をかけておいた。
事前に何かあると察知できてたおかげで間に合ったが、もしそれがなければ、壁に残ったのは赤い染みだけだっただろう。
「クロウ、お前は村の中へ」
「そうだな。さっきの攻撃で壁が壊れなかったんだし、中は安全そうだ」
「あぁ。負傷者を運んでくれ」
「なんてな、やなこった! ここで逃げたら、男がすたるってもんよ!」
「おい! んなこと言ってる場合か!? 待てっ!!」
俺が止めるのをきかず、クロウは駆け出す。
さっきの攻撃が、重症程度で住んでしまったがゆえに、クロウは相手の力量を測り間違えたのだ。
「副長! 怪我人を中へ! 俺はアイツをとめる!」
「っ……! わかった!」
副長は俺に任せるよりも、自身で行こうと考えたようだ。
けれど、俺がすでに駆け出している状況で、いまさらそれを言っても遅いと判断した。
そしてなにより、彼がそれをやらなければ、負傷者の救助が遅れてしまうのだ。
状況を瞬時に理解し、判断を下す事に長けた彼は、もっとも合理的な選択肢を選んだまでだ。
その判断が本来、俺とクロウを見捨て、他の者たちを救う決断だったとしても、誰も責めることはないだろう。
それを示すように、彼は他に動けるものたちを使い、俺たちを置き去りに素早く撤収したのだった。
おかげで、俺はクロウの動向にのみ注視すればよくなったのだ。
「おらぁ!!」
「グォォォォ!!」
クロウは素早くブラッドベアとの間合いを詰めるが、それを許す相手ではない。
雄叫びと共に腕を振り抜き、周囲の木々だけでなく、地面をもえぐる。
どんなに強力な防御魔法であっても、タダじゃ済まない攻撃だ。
けれど、それでも間一髪避けるクロウは、向かってゆくだけの自信と実力はあるのだろう。
ただし、それは回避という点だけであり、避けられたところで勝てるわけではない。
「クロウ! 大丈夫か!?」
「おっさんはひっこんでな!」
「んなわけにいくか!!」
風圧でよろめくクロウに近づけば、これだけの威力を見せつけられたにも関わらず、まだそんな口を叩いている。
こんなのは、勇敢ではなく蛮勇だ。しかし……。
「次こそ仕留める!」
「おい待て!!」
一度痛い目を見た方がいいかと頭をよぎった時、すでにクロウは二撃目を繰り出さんと走り出していた。
すでにこれ以上なく過保護なまでの防御魔法は付与しているが、それでも直撃したならば、五体満足ではいられないだろう。
なのに一直線に、熊の腹に向かって剣を突き立てんと猛進しているのだ。
そんな考えなしを叩き潰さんと、ブラッドベアの腕はクロウの頭上高くに振り上げられた。
「やられる前に! やるっ!!」
突っ込むクロウ。しかし、巨体に似合わずブラッドベアは素早い。
腕をすり抜けんと加速するが、合わせるように腕も速くなる。
これ以上は無理と判断し、俺は駆け出した。
「へっ……!? なっ、なんだ!?」
クロウを後ろから抱え上げ、熊の腕を駆け登る。
そして空高く跳ねたところで、クロウは現状に気付いたようだ。
「なっ、なんでおっさんが!? それよりなんで空飛んでるんだ!?」
「飛んでねえよ。絶賛落下中だ。しかし、このまま降りれば熊の餌食。少し移動しよう」
風魔法を起こし、その風に乗って俺たちはブラッドベアから距離をとった。
とうの熊といえば、手の届かぬ先の、風に乗りふわふわと逃げる獲物の姿を、その赤く光る目で睨みつけるばかりだ。
もうすぐ一区切りつきそうです。
元々はこんな長い連載にする気なかったのになぁ……。




