22 序列
旦那様は、豊満な胸に埋もれた腕を引き抜き、着物をピシッと締め直す。
そして、突如女の胸ぐらを掴み上げ、叫んだ。
「テメェよぉ! いっちょ前に愛だなんだの語る前によお!
自分自身の姿と種族を愛そうって気はねぇのかよ!!」
「ひぃっ!?」
それは森中の鳥も、獣も、空気さえも静まり返るほどの怒号。
当然、言葉を発された相手もまた、相手がしょせん人間でしかないということも忘れ、恐ろしさに震えるのだった。
「はぁ……。ルーヴ、飯できたら呼んでくれ」
「かしこまりました。旦那様」
すっと元龍の女を地上に下ろし、小さなため息とともに旦那様は、再び畑へと歩みを進める。
私はへたりこむ女の手をとり、立たせると、家へと連れ帰るのだった。
「いったい……。いったい何が、あのお方の機嫌を損ねたのでしょうか……」
「あぁ、私の時も似たようなものでしたから、気にすることないですよ」
「へっ……? 貴様も同じような……?」
昼食の準備をしていれば、居場所もなく彷徨うようにオロオロしながら、タツミと名乗る女はつぶやく。
旦那様のことだから、どうせこの女も追い出さず、家に居させることだろう。
なので、先輩として世話してやってもいいと思っている。
なんたって、狼は群れを作る獣だ。
旦那様というリーダーが群れに入ることを許可し、そして当人も序列を守るのであれば、世話してやることもやぶさかではない。
「まぁ、あそこまでの怒気は含んでなかったですし、理由を話せば謝られましたけど」
「一体何が……?」
「簡単なことです。旦那様は、自分のせいであなたを人間にしてしまったと、後悔してるんですよ」
「後悔……?」
「私も、元は狼でした。けれど、狼だと不便なんですよ。
ずっと一緒にいたいし、旦那様のお手伝いもしたい。
けれど獣は、普通の人間には恐れられるものです。
だから私は、今の姿になりました」
「それは我も同じこと。
人間と番になれるものは、人間しかおらぬ」
自らの肩を抱き、不安気に床を眺めるタツミ。
最善と思った行動が、裏目に出たのだから不安なんだろう。
「けれど旦那様は、相手が人間じゃなくてもいいと思うほどに、相手を大事にできる方なんです。
むしろ、相手を自分の都合で変えてしまったことに、罪悪感を覚えるような方なんですよ。
だから、あなたにドラゴンの姿で来られたなら、もしかすると喜んでいたかもしれませんね」
「そんな人間など、いるはずが……」
「ふふっ、人間の男の落とし方は勉強したようですが、旦那様のことは何も分かってなかったようですね。
旦那様のことは、私の方がよーく分かっているんですよ?」
ギリギリと歯を食いしばり、悔し気にするタツミ。
格下だと思っていた私が、一歩リードしていることに屈辱を感じているのだろう。
といっても、正直私も危ないかもと思っていた。
なにせ人間の男にとって、今のタツミは理想的な体型だ。
つまり、村の酒場の酔っ払いの言う「出るトコ出てて、引っ込むトコ引っ込んでる」というやつだ。
もし、元々龍でなく、純粋な人間だったなら、ともすれば危なかったかもしれない。
「ならば、龍に戻れば可能性はあると……?」
「そうかもしれませんね」
「貴様はなぜ、狼に戻らない?」
「…………」
「まさか戻れないのか?」
「っ……! そっ、そうですよ!
戻ろうとしたけど、頭の耳と尻尾しか戻れなかったんですよっ!」
「ぷっ……、あははは! 無様なヨツミミだとは思ったが、そうかそうか! この勝負我の勝ちだな!
魔力が回復次第、元の姿に戻り、あのお方をこの手におさめてやろうぞ!」
「なんですってぇ!?」
ヨツミミとは、なんたる屈辱! 甘い顔をすれば図に乗りやがって!
やはりコイツは、番犬としてしっかり追い払うべき相手だ!
「旦那様の優しさにつけこみやがって!
さっさと出ていけ! この泥棒猫が!」
「フン! 言われずとも出てゆくわ!」
ばんっ! とドアを開けて追い払えば、意外なほどにすんなりと出てゆく。
その後ろ姿を睨みつけていれば、畑の方へと進むではないか。
「待てー! そっちじゃないでしょうがっ!!」
「別れの挨拶と、必ず戻ると伝えるのは当然であろう」
「そうやってたぶらかすつもり!? させませんよっ!?」
走って逃げる龍女を、私は全力で追いかけたのだった。
規律を重んじる狼と、自由奔放な龍の日常が始まる。




