21 竜の恩返し
あれからもう、何日たったでしょうか。
旦那様と一緒に帰ってきたあの日、繋いでくれたあたたかい手を思い出す。
私には旦那様が必要で、旦那様にも私が必要で……。
そう感じたのに、今でも旦那様はつっけどんです。
「はぁ……。やはり、変化したのは失敗でした」
そんな独り言とため息を、はたきで落とす埃と一緒に掃き捨てる。
ゴミを捨てに出た外は、今日も晴れ渡る気持ちのいい空だ。
日々の掃除は、妻である私の勤め。森を守る役目から、家を守る役目に変わっただけ。
けれど、ただそれだけ。旦那様にとっての特別には、いまだ至れていなかった。
ピクピクと動く頭の耳は、今日も畑で仔狸と戯れる旦那様の気配を感じとる。
そう、旦那様にとっては、人間の姿をする事は、逆効果だったのだ。
そりゃもちろん、一緒に村への買い物にも行けるようになったので、全部が全部悪い事だとは言わないけれど……。
そんな考えを巡らせていると、村から歩いてくる人間の足音を捉えた。
普段、村の人たちがここへ来ることはあまりない。
それは、獣の姿であった時の私が、ここに居ると思っているからだ。
それなのにやって来るというのは、供物の献上以外が、何か大事な用事がある時くらいだ。
さっと身なりを整え、私は来客の方へと向かった。
そこに居たのは、一人の女。真紅の着物を着た、重そうな胸の女だった。
なんだかその姿に嫌味な雰囲気を感じ、無意識に胸に手を当てた。
ううん、私はまだ成長途中なだけだから!
あと数年もすれば、このくらいは大きくなるから!
そんな心のうちを抑えるように、静かに問いかける。
「いらっしゃいませ。何か御用でしょうか?」
「おや、貴様は……。
失礼、ここにイーナムという男はおらんか?」
「……。ご用件をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「なに、大したことではない。
それに、貴様には関係あるまい」
「いえ、関係あります。妻として、お客様のお相手をするのは当然です」
「ほう、妻とな? あやつは、ああ見えて好きものよのぅ……」
瞳が見えないほどに、薄く開けられた目から、金色の視線が私の胸をさす。
なんだか、コイツは旦那様に近づけちゃダメな気がします。私の精神衛生上の問題で。
「旦那様への侮辱は、許すわけにはいきません」
「失礼した。蓼食う虫も好き好きと言う、侮辱のつもりはなかった」
「それも十分侮辱する言葉かと思いますが?」
「細かいことを気にする娘じゃ……」
肩にかかる、日の光を紅く反射する黒髪をかき上げながら、女は笑う。
あまりに失礼な態度に、追い返そうと言葉を選んでいる時、不幸なことに、旦那様がこちらへとやってきてしまった。
「おい、どうした? 来客か?」
「旦那様、なんでもありません。今帰られるところでしたので……」
そう言おうとした瞬間、女は旦那様に駆け寄り、着物の襟を開き、その華奢な肩を露にする。
それだけでなく、旦那様の右手をとり、その豊満な胸の谷間に埋もれさせるよう、両手で胸の前へと引き寄せたのだ。
「なっ……!?」
「お会いしとうございました。
いつぞや助けていただいた、龍にございます。名をタツミ。
貴方様のお優しさに触れ、その愛を返さんと、人の姿を得て、お迎えにあがりました」
「旦那様! 離れてっ!!」
駆け寄る先、その女の表情は、ひとめではしおらしいものに見えるだろう。
けれど、私にはわかる。これは「私がこうすることで、喜ばぬ男はいなかった」と言いたげな、勝利を確信している表情だ。
「さぁ、イーナム様。共に参りましょうぞ……」
「ダメです! その女の口車に乗っちゃ!」
旦那様は、表情ひとつ変えやしない。
あっけにとられているのか、もしくは嬉しさに混乱しているのか……。
そして、ただ一言確認するのだった。
「愛だと?」
「はい。貴方の優しさに触れ、龍の掟の残酷さ、虚しさに気付かされました。
それを示して下さった貴方のため、このタツミ、生涯をかけて貴方を愛し抜くと誓います……」
「…………。そうか」
小さな、ほんの小さな声で、旦那様は肯定の言葉を漏らした。
私が御門ネタを差し込むことで、喜ばぬ者などいなかった。




