6・愛と悲しみの新たなる年
「分かりました」
マリーヴェルの中で怒りが勝利を収めた。
「私は故郷の街には戻りません。
ここで一人の楽師として生きていきたいと思います。
ユイリ様。 手伝っていただけますか?」
マリーヴェルの申し出にユイリは輝くような笑顔で答える。
「もちろんですとも!」
そして、二人は改めて手を繋ぎ、家の中へと戻って行った。
その翌日の午後、試験会場である劇場の前に一組の男女が姿を見せた。
まだ試験は続いている。
一足先に合格を言い渡されたエルフの青年が一人の女性を伴って出て来たのである。
「今日もとてもきれいだね」
彼女自身を美しいと褒めたつもりだったが、彼女は服装の話だと思ったようだ。
「ありがとうございます。 商会長ご夫妻のお見立てですから」
と、いつものように素っ気ない。
白いレースがふんだんに使われた薄い金色のブラウスに、足首までの裾の長い白のスカート。
暖かそうな銀色の毛皮のコートは一目で高級な特別仕立てであることが分かる。
美しい銀細工の髪留めと首飾りは防御の魔道具で、ユイリの瞳の色である紫水晶が使われていた。
結婚の話はまだ誰にもしていないが、どうやら今日が特別な日であることはユイリの祖父母も感じていたらしい。
二人が目指す教会は劇場のすぐ近くにある。
今日は雪が舞っているが、街には新年の祝いに浮かれたような雰囲気が漂っていた。
静かに家族で祝う習慣のある新年であるにも関わらず、案外人通りが多い。
「何だか皆に見られてる気がします」
少し恥ずかしそうに俯くマリーヴェルの手をしっかりと握り、ユイリは少しだらしない笑みを浮かべた。
「きれいだから仕方ないね」
いつもは目立たないようフード付きの上着を身に着けている彼も、今日はエルフにとっての正装を身に着けている。
ひざまである長い丈の上着は新年らしい白地に光沢のある濃い灰茶色の蔦の刺繍。
エルフの正装など王都でも見られるのは稀だ。
「あたなのほうが美しくて目立っていると思いますけど」
マリーヴェルは周りからジロジロ見られているのはユイリのせいだと思う。
少し頬を染めて俯く彼女を促して、ユイリはさっさと教会の中へと入って行く。
二人きりで祭壇の前に並び、銀の細い指輪がお互いの指にはまっているのを確認。
ユイリはヘラリとした笑顔で、マリーヴェルは少し緊張した真面目な顔で、初めての口づけを交わした。
そして王都に一組の新婚夫婦が誕生したのである。
「まあ、そういうことなんだよ」
ユイリは新しい夫婦の家で幼馴染のフウレンと昼食を取っていた。
一部誤魔化され、簡略化された、文官らしい報告にフウレンは頷くしかない。
「なるほど。 で、奥様はどちらに?」
家の中を見渡すが姿は見えない。
「ああ、いるさ。 あちらの部屋で新しい楽器の練習中」
一階居間の隅に魔力が感じられる扉がある。
「遮音結界?、練習用の部屋なのかい」
「うん。 王太子殿下にギドちゃんが『成人したらすぐ嫁をもらう』って報告したらしくてね」
それはだいぶ前の話だったらしく、この家を借りたとたん楽器が運び込まれて来た。
「あの殿下はやっぱりギドちゃんが一目置いてるだけあるよ」
相手が誰であるか、何を望んでいるのか。
すでに把握されていたのだ。
昼休憩が終わる少し前に、ユイリはフウレンをその部屋へ連れて行き新妻を紹介した。
黒の混じる灰色の髪に濃い灰茶の瞳をした美しい貴族令嬢。
王太子から結婚祝いに贈られた楽器はピアノ。
劇場用の大きなものではないが、練習用にしては装飾も美しく、芸術品のようだった。
うれしそうに楽器を撫でる妻にユイリも満足そうに微笑んでいる。
「ま、これで当分王女殿下の話し相手は辞められないよ」
零れたため息さえ甘く感じて、フウレンはこんな兄の姿をユイリの妹にどうやって報告するかを考えていた。
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ユイリは正式に入団するとすぐにビオラ奏者として頭角を現し始めた。
すでに結婚済みと聞いて、マリーヴェルは周りからはしきりに羨ましがられた。
しかし、ユイリは音楽に関してはかなり辛辣である。
たとえ妻であろうと劇場での練習中は特別扱いはしない。
誰にでも等しく視線でイラつきを見せ、時には口を出して楽団員を引かせた。
そのうち『耳が良いエルフだから』ということで納得され、ユイリに直接助言を求めるものまで現れる。
団長は若いユイリに大いに期待を寄せるが、王宮の文官という職を持っている彼に楽団を任せることはまだまだ出来ない。
(いや、元々は国の事業なのだから、出来なくはないか)
何か不穏なことを考え始めているようだった。
ユイリは優しい夫だ。 マリーヴェルもそれは分かっている。
年下だが、エルフの特性で身長も高く容姿も人並み外れている。
後援してくれている商会の孫で、あとで分かったことだが、父親である黒髪のエルフも有名な商会の長だった。
しかも王宮の文官は給料も良く、ユイリは誓った通り、マリーヴェルに何不自由ない生活をさせてくれる。
本当の夫婦ではないことが心苦しいほどだ。
あの日、家族が転移魔法で元の街へ送り返されるのを見送った後、まさか自分が王宮に連れて来られるとは思ってもいなかった。
マリーヴェルはユイリの上司に紹介され、結婚の報告を行うと、新しく住むことになる家に案内された。
ごく庶民風の二階屋だが王城の中にある家が普通であるはずはない。
至る所に魔道具がふんだんに使われている。
「遮音結界の魔道具をギドちゃんが作ってくれてね」
練習室まで作ってあった。
その夜からすぐに同居が始まり、掃除などの家事は王宮から使用人が休日以外、毎日派遣されてくるそうだ。
「まあ、あれは僕たちの様子を見にくるのも仕事だから気にしなくていいよ」
使用人といっても、王宮からの監視の役目もある。
これはユイリが特別なのではなく、王宮内の貸し家や宿舎はほとんどがそういう仕組みになっているそうだ。
後ろ暗いところがある訳でもないので放置でいいとユイリは笑った。
「二階に夫婦の寝室があるんだけど」
大きな寝台が一つ。
「無理強いはしない」と少し頬を染めるユイリにマリーヴェルも戸惑う。
しかし見張りがいる以上、寝室を別にするわけにはいかなかった。
後ろ暗い……その言葉にマリーヴェルの心は冷えた。
「マリーヴェル。 僕には秘密がある」
食後のお茶を飲みながら、突然ユイリは告白する。
「これは一生誰にも言うつもりもないし、たとえ暴かれたとしてもそれを肯定するつもりもない」
マリーヴェルは驚きを隠した無表情のまま、じっとユイリを見つめる。
「だから君も、何もかも僕に話す必要はないからね」
愛情でつながった夫婦ではないのだから。
そう言われて、マリーヴェルは少し胸が痛む。
「ユイリさま……ユ、ユイリ」
今日から『さま』は付けないと約束している。
何かを伝えようと口を開くマリーヴェルに、ユイリは静かに顔を横に振る。
「君が秘密を打ち明けたりしたら僕もしなきゃいけなくなる。
だから、何か言いたくても我慢して欲しいな」
少々黒い笑顔のユイリには父親の眷属精霊の分身という隠し玉がある。
たとえ彼女が何も言わなくても情報は入ってくるのだ。
彼女を騙しているようで少し心苦しいが『腹黒』の息子だから仕方がない。
菓子店の店主夫婦に斡旋された非合法の幼女娼婦だったマリーヴェルの過去。
そのマリーヴェルの王都での関係者のほとんどが消息不明。
二つの出来事はこの新婚夫婦の胸の中に永遠に沈められた。




