4・初冬の帰り道と家族
前話から三ヵ月後の楽団試験の前日
ユイリたちが楽器の練習を終えて外に出ると、空はすっかり夕暮れ色に染まっていた。
「試験、がんばってください」
この冬、成人を迎えたユイリは、明日、楽団の試験を受ける。
出口で別れの挨拶をしたマリーヴェルの励ましの声は、あまりにも小さかったがエルフであるユイリの耳は聞き逃さない。
「ご指導ありがとうございました」
ユイリはうれしそうに、背を向けたマリーヴェルに声をかけた。
彼女は振り返りもしなかったが。
その後、マリーヴェルは服飾商会の小部屋で着替え、従業員の一人に声を掛けて外に出た。
行き交う人々が多い大通りから下町に差し掛かろうとするところで、いつものようにフードを被ったユイリが近づいて来る。
「菓子店に寄りますか?」
そう言いながら、さりげなく隣に並ぶ。
「ユイリ様、あの、毎回送っていただかなくても結構です」
「冬の色ですね、その外套。 似合ってますよ」
二人の会話は微妙にかみ合わない。
そのうちマリーヴェルが働いている菓子店に着く。
彼女が楽団のために店を休む日は弟妹が店を手伝っていた。
一緒に帰るために迎えに寄ったのである。
「お姉ちゃん、お帰りなさい」
「ユイリもいつもお疲れ様です」
ユイリは、あまり年齢の変わらない弟妹には名前で呼んでもらっている。
店主も待っていたように顔を出し、マリーヴェルたちを迎えてくれた。
「こんばんは、売れ残りはありますか?」
「ええ、少し。 いつもすみませんね」
「いえいえ」と手を振り、ユイリは本日の予定分の売れ残りをすべて買い取る。
そうすれば店は売り物が無くなり、すぐに閉店となるのだ。
「さよーなら」
「毎度ありがとうございます」
店主夫婦に見送られ、マリーヴェルは弟妹と共に家路に着いた。
ユイリは菓子を詰め込んだ袋を弟に渡し、三人の後ろを歩いて行く。
下町の東門に近い三階建ての共同住宅。
その一階にマリーヴェルの家族は住んでいた。
「では、これで」と、弟たちを先に家の中に入れたマリーヴェルはユイリに別れの礼を取る。
ふいにユイリは背後を振り返り、マリーヴェルを自分の背に隠した。
「誰だ」
ユイリが警戒の低い声を上げると、スッと暗がりから人影が生まれる。
「やあ、ユイリ。 すまないが、そのお嬢さんを紹介してくれないか」
闇に溶けるような黒のローブは足首まであり、フードを深く被っている。
「ギドちゃん」
驚いたユイリは一瞬ポカンとしてしまう。
「あ、あの」
マリーヴェルは怪訝そうにユイリを見上げた。
「ああ、怪しい者ではありませんよ。
息子がいつもお世話になっております」
黒いローブのフードを取り、黒髪の温和そうなエルフの青年が微笑む。
「……えー、っと、父です」
ユイリは少し恥ずかしそうに目を逸らす。
「えっ」
驚いたものの、マリーヴェルはいつかはこの日が来ると覚悟はしていた。
「も、申し訳ありません、ユイリ様のお父様。
私たち家族はもう二度とユイリ様にお会いしません」
「お許しください」と、そう言ってマリーヴェルは深く礼を取る。
多少声は震えたが、毎日考えていた言葉だ。
ちゃんと言えたと安堵していた。
「んー、何か勘違いしてますね。
私はお嬢さんのご家族に用事があって来たんですが」
「もちろん、貴女のことは認めていますのでご安心ください」と付け加える。
「え、私の家族にですか?」
騒ぎを聞いて、家の中からマリーヴェルの祖母が顔を出した。
「あら、お客様ですか。 こんな狭いところですが、どうぞお入り下さい」
下町は隣近所が近過ぎる。
「お邪魔します」
ギードはさっさと家の中に入った。
中に入るとすぐに居間で、食卓兼用のテーブルに病であまり動けない祖父がゆったりとした椅子に座っている。
台所では夕食の支度をしているところのようだった。
「手伝って」
マリーヴェルは弟と妹を連れて離れて行く。
小さな家なのでたいして距離はいないが、未成年に聞かせたくない話だと思ったのだろう。
ユイリとギードは家長である老人に改めて挨拶し、椅子に座って老婦人が淹れてくれたお茶をいただいた。
「お嬢さんが息子と仲が良いことには何も言うつもりはありません」
ギードにしては珍しくごく普通の笑顔だ。
隣にいるユイリは、それでも何を言い出すのかとドキドキしている。
「実はそちらの状況を伺って、申し訳なくなりましてね」
黒髪を耳にかけ、ギードはエルフであることをさりげなく強調した。
マリーヴェルの祖父母は一瞬、顔を顰める。
「まあ、はっきり言いまして、そちらの家族をこのような生活に追いやってしまった原因が少なからず私にもあるかなと」
十二年も前の話である。
それも必ずしもギードの責任ではない。
「我らには何のことか分かりません」
老人は首を横に振り、元貴族らしい重厚な声で答える。
そして、じっとギードの顔を見つめた。
「砂漠の英雄殿が我らのような者をいちいち気にしていては切りがないでしょう」
「やはり知ってましたか」とギードの口元が歪んだ笑みを浮かべる。
「ええ、私としても出来れば関わりたくないところなんですがねぇ」
事情を知ってしまったら放置出来なくなったとギードはため息を吐いた。
ギードはのんびりとお茶を啜りながら、子供たちがこちらを窺っている様子を見る。
「それで、こうして息子とご縁があったご家族だけでも何とか支援したいと思いまして」
ユイリは『腹黒』と呼ばれる父親が、ご縁などという言葉くらいで人助けなどしないことを知っている。
そこには、必ずギード商会にとっての何らかの利益があるはずだ。
「ここからは極秘でして。 失礼して、結界を張らせていただきます」
ギードがスッと片手を上げて横に動かす。
部屋が金色の膜に包まれ、台所にいた三人の孫たちはその膜の向こうにいる。
残ったのはギード親子とマリーヴェルの祖父母の四人。
父親の不穏な雰囲気にユイリは膝の上でぐっと手を握りしめた。
「お腹を空かせているでしょうし、早めに片付けましょうか」
子供たちを眺めていたギードが口を開く。
「お願いがあります。
誰にも告げず、すぐに引っ越しの用意をしてください」
ギードはのほほんと子供たちに手を振って、顔色が悪くなった祖父母から気を逸らす。
「な、なぜですか」
老婦人は無意識なのか、エプロンの裾をきつく掴んでいる。
「あなた方を助けたいのです。
このままでは搾取されるだけの存在になってしまいますよ、お孫さんたちが」
老夫婦はますます顔色を悪くしていく。
「心配しなくても大丈夫。 あなた方が行く先には、息子さんご夫婦が待っていらっしゃいますよ」
老夫婦が「まさか!」と叫ぶ。
「本当ですよ。 元の街で、元の館で、元の地位のまま元気にされてます」
ギードはすでにマリーヴェルの両親に会い、元連合国の街で自治領の領主となった友人の補佐官として雇っていた。
ユイリの目には、金色の膜の向こうでマリーヴェルが心配そうにこちらを見ている姿が見える。
「エン」
「ここに」
ギードの声に赤い革鎧を身につけた大柄なエルフが現れた。
「これは私の眷属精霊です。 お荷物があれば運ぶので彼に言い付けて下さい」
当時は着の身着のままで王都に辿り着いたとしても、これまでの十二年分の荷物はあるだろう。
「出立は明日の早朝。 それまでに準備を終えてくださいね」
「えっ、ギドちゃん、ちょっと早過ぎない?」
ユイリはマリーヴェルの家族を代弁するように声を上げた。
ギードはユイリに顔を向けて、その笑みを消し、
「急がないと、その子たちが新たな餌食になる」
と、小さな声で吐き捨てた。




