5『サラーティカ』
決定打となったのは、彼女の十二の誕生日を祝うパーティーでの出来事──だと思う。
初対面から彼女に猛烈に嫌われていた私には案の定、招待状は届けられず(毎年の事だから私は全く気にしなかったのだが)、腹に据え兼ねて遂に爆発した兄が、
『フィーが行かないのでしたら私が行く意味も必要もありません』
と冷ややかに言い放ち出席を断固拒否したものだから、先方は騒然。
結果、平謝りの末に私宛の招待状を送ってきた。
元々、彼女に対して激しい嫌悪感を持つ上に一連の態度に怒りが収まらぬ兄は随分と難色を示したが、なんとか説得し両親と共に一家揃ってパーティーに参加する運びとなった。
『何故わざわざ、あんな女に会いに行きたいのだ?』
理解し難いと、美しい眉をひそめる兄に、
『お兄様。せっかくご招待頂いたのですから』
そう、少し困ったように笑ってみせた。
彼女が兄に対して強い思慕を抱いているのは知っていたし、何より私には彼女の気持ちがとてもよく理解出来たから。
年にたった一度の誕生日、しかも学園に進学したお祝いも兼ねているのだ、好きな人に祝福して貰いたいのは当然だろう。
私だってそうだもの。
先月の私の誕生日、お兄様がおめでとうと言って微笑んで下さっただけで、とてもとても幸せな気持ちになれたのだから。
……まあその後、抱き締められて頬擦りされて、膝の上に乗せられて髪や顔や指にたくさんキスをされたりしたのは少し……恥ずかしくて困ったけれど。でも、嬉しい事には違いないのだ。
だから、こんな日くらい──
それが間違っていたのか。
彼女には、そんな私の傲慢が透けて見えていたのだろう。
年を追う毎に彼女の私への憎悪は強まっていき、その頃にはもう彼女自身にもコントロールが出来なくなっていたのだ。
今になって思う。行かなければ良かったのだ。行かなければ、彼女にあんな事までさせずに済んだ筈だ。
バシャッ!!
『あら、ごめんなさいね?』
後ろから掛けられた声で振り返った私は、私を取り囲んでいる数人の令嬢達よりもドレスの方が気になって、彼女達に構わず裾をそっと摘まみ上げた。
主役より目立ってはいけないからとやや艶を抑えたカナリーイエローのドレス。お父様もお母様もお兄様も、良く似合っていると褒めて下さった真新しいドレス。侍女のナタリアが、何故かとっても嬉しそうに笑って結んでくれた背中のリボンは、お兄様の瞳の色で。
なのに、全部、濡れてしまった。
……ああ、またか。
なんと子供じみた嫌がらせか……胸の内で嘆息するも顔には出さず、なんでもない事のように微笑する。だがそれも気に食わないのだろう、空になったグラスを傾けたまま彼女は歪んだ笑みを浮かべた。
『貴女って本当に地味ね、フィオネッタ。髪も瞳も地味で、ドレスまで地味』
そう嘲る彼女の周りで、判で押したように同じ表情の少女達が笑いさざめく。それに気を良くして、彼女は続ける。
『貴女みたいな紛い物に、オルディアスお兄様のお色は相応しくないのよ』
だから、ドレスやリボンを紅く染めても構わないと?
お母様と一緒に選んだドレス。用意されたリボンに、お父様の瞳の色だと喜ぶと急にお兄様は不機嫌になって、反比例するようにお父様は上機嫌になられて、お母様は愉しげに声を上げて笑われて。
それを全て踏みにじられて。
腹立たしいし、悔しい。腸は煮え繰り返っている──けれど。
『気分を害してしまってごめんなさい。今日は貴女にお祝いの言葉を贈りたかっただけだから、すぐに帰るわ』
敢えてゆったりと、笑う。これでもかと、余裕を見せつけるように。
そんな私の姿に気圧された彼女達が息を呑んだ気配を感じながら、完璧な淑女の礼を取って。
『お誕生日おめでとう、これでまた私と同い年ね、サラーティカ』
嬉しいでしょう? そう滲ませるこんな挑発的な物言いが私にも出来たのかと、少し複雑な気持ちにはなったが、売られた喧嘩を買っただけの事。
サラーティカ・ラングス、私と同い年の従姉妹。
母の生家であるラングス侯爵家の長女で、大変に見目麗しく、それと同時に大変に気性の激しい少女である。
燃え盛る炎のようなグラナートの瞳、華麗な巻き髪は輝くミモザ。それらはまるで咲き誇る薔薇のよう、美しくも迂闊に触れれば怪我をしてしまうのだ。
末っ子気質が全開で欲しがりの彼女は、自身の兄は固よりモンドレイのお兄様も自分を一番に可愛がるべきだと、本気で信じているようだ。
だから尚更、何食わぬ顔で彼の隣にいる私が気に障るのだろう。
私の方が一ヶ月、生まれが早かった事も、彼女には屈辱的に感じられたらしい。私には全くもって、どうだって良い事だが。
『では私はこれで失礼するわね。ごきげんよう、サラ』
にこやかに愛称を呼び、返事は待たずに背を向けた。
……急いで帰っても、ドレスの染みは取れないだろう。ナタリアのしょんぼりとする姿が目に浮かんで、申し訳ない気持ちで一杯になる。
『……待ちなさいよ!』
金切り声で呼び止める従姉妹に内心、深いため息を吐く。
顔も見たくない程に疎むなら何故、待てと言うのか?
さすがは名家ラングスの令嬢の誕生パーティだけあって、会場は大勢の参加者で埋め尽くされていた。人混みが苦手な私はこっそりと会場を抜け出し、庭園へと降りる階段が設置されたこのテラスで涼んでいたのだ。
だが運悪く彼女の実兄である従兄に見付かってしまい、使用人が彼を呼びに来るまでの間、延々と絡まれ続けていた。やっと解放されたところに彼女の襲来を受けて正直、辟易している。……うんざりだ。
──放っておいて欲しい。
私は貴女に干渉するつもりはないのだから。
ざわざわと、臓腑の奥底から苦くて重くて、酷く冷たいものが迫り上がって来て、
……ああ、鬱…しいなぁ、…障りだなぁ、消え……いいのに……
そんな風に、囀ずる。
この時、私がどんな表情をしていたのか今も分からない。
だけど、私は見た。
振り返った私を睨み付けていたサラーティカの顔が、恥辱と憤怒に塗り潰されていくさまを。
『なんなの!? あんた、一体なんなのよ!?』
美しかった少女は眦を吊り上げて、赤黒く染まった顔を醜く歪めて、叫んだ。
『あんたなんか────!!』
彼女が伸ばした手が、
私の肩を強く押して。
ドンッ、と音がして。
そうして、私の身体は呆気なく、ふわり宙に浮いた。