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3『想定外の展開』


終わりが来たのだ。

断罪の瞬間が。


私は目を瞑り、それを待つ。


不思議と気持ちは凪いだ。

それはきっと、兄の優しさでさえ消せなかった澱が私の中の身勝手な欲を貪り喰らって、自ら臓腑の底へと沈んだからだろう。その意地汚さが自分に相応しい気がして、少しだけ……笑ったけれど。


ただこれで、母がいわれのないそしりを受けずに済む事が本当に嬉しかった。


待望の女児──と沸き上がった祝福の輪は、産湯で綺麗に洗い流された髪の色を前にすっかり萎んでしまった。

それはそうだ。

父にも母にも似ない赤子。

真っ先に母の不貞が疑われたが、出産直後で疲れきっている筈なのに母はやましいところは何もないと、凛と胸を張ったという。

その姿は実に美しかったそうで、

『惚れ直したよ』

と父は繰り返し、私達兄妹に惚気たものだった。


母への疑惑は、貴族の血を引く者であれば例えそれが不義の子であったとしても大なり小なり所有する魔力が、私には欠片もなかった事で払拭された──が、一度でも盛った火はいつまでも燻り続け、表立ってではなくとも母を非難する声は消えなかった。

母への陰口、そして父には……憐れみがついて回った。実子ではない子を()()()()()()()()()と、父が私を可愛がれば可愛がる程に人は父を憐れんだ。


……申し訳なくて。

せめて髪か瞳、どちらかでも父に似たのならとどれ程、己の容姿を呪った事か。

だが父も母も、私を責めなかった。愛してくれた。兄も使用人達も皆、惜しみなく愛情を注いでくれた。


……辛かったのは、母が謝る事。


『ごめんなさい。お父様と同じ色に産んであげられなくて、ごめんなさい……』


内輪だけで行われた私の誕生日を祝うパーティーで、初めて会った同い年の従姉妹に面と向かって容姿を嘲笑(あざわら)われた。

『どうしてあんたみたいなおかしな色の子がオルディアスお兄さまの妹なのよ!?』

更に物凄い形相で睨まれて、そんな風にも(なじ)られた。

初対面の相手にそこまで言われて、さすがに傷付いて、だけど泣き出すのは体裁が悪くて、我慢して控え室へと逃げ込んだ。

一人でこっそり泣いていたら追いかけてきた母に見付かって、母は泣き崩れて。

そうして私を抱き締めて、泣きながらそんな風に詫びたのだ。


酷く堪えた。母を傷付けている自分が許せなかった。



だけどそれももう終わる。


母の潔白が証明されるというおまけ付きだ、これ程に喜ばしい事はない。




「それは何よりです。ではその少女と引き換えにご息女の居場所を──」

「ジョセフ。話し合いは終わりだ、客人を玄関までお送りしろ」

「畏まりました、旦那様」


男の言葉を遮って父が呼んだのは、部屋の隅に控えていた執事長の名前。彼は恭しく頷くと扉を開け、無言で男に退室を促した。



部屋に満ちた沈黙。唖然としたのは私だけではない。薄い笑いを貼り付けたままたっぷり十秒は思考停止し、それから男は慌てた様子で父に詰め寄った。


「どういうおつもりか!? 貴殿は実の娘を取り戻したくはないのですか!?」

「はて? 実の娘──と申されるが、私の娘はここにいるフィオネッタ唯一人」

父の暖かな眼差しが私へと向けられた。


多種多様な交渉術を駆使し各国要人と日々、折衝を繰り返す父はその端整な顔立ちと吊り気味の威圧的な眦、冷淡な物言いで周囲から大変に恐れられているのだと以前、兄から聞いた事があるのだが……ピンと来ない。

私の知る父はいつも優しく穏やかで、私のどのような我が儘でも嬉しそうに受け入れてくれる、そんな人で。


母も、兄も、そう。

優しくて、ひたすらに優しくて。いつも、いつでも、私を甘やかそうとする。


それはとても心地好くて、幸せで。

いけないと分かっていても、離れ難くて。


「大切な、愛おしい娘です。私達夫婦の宝物です。どうして他所にやりたいなど思いましょうか?」

「──、ですが事実として、貴殿方の本当のご息女は別にいるのですよ! それを放っておいて構わないと? 居場所を知りたいとは、」

「あら、まあ。随分と見くびられたものですわね?」


歌うように軽やかに、母から放たれた声は、しかし驚く程に冷淡だった。


母は、優しい人だ。まるで少女のように愛らしく可憐で、いつも朗らかに微笑んでいる人。とびきり私に甘くて、ずっと側にいてくれて、たくさん私を抱き締めてくれる人。


そんな母の、聞いた事もない程の低い声は私を充分に震え上がらせた。男の言葉に内心では激しく同意していただけに、自分が叱責されたような恐怖感を覚えたのだ。

恐る恐る見れば、花の精も見惚れるだろう美しい(かんばせ)を侮蔑に歪め、男を睨め付けている。


「わたくし共が、その程度の事も把握していないとでも?」

その瞳と同じ鮮やかな深紅に染められた扇で口元を隠し、

「ミーンボック孤児院」

冷たく呟いた。


意外な名に私は戸惑う。

ミーンボック孤児院と言えば確か、少し前に話題になったと記憶している。なんでもある高位の貴族から多額の寄付金を給ったのだと記事になっていたのだ。

しかし男は少なからず驚いたようだ。目を瞠り、低く唸った。


「とても可愛らしい子だったわ。リリーナと、名付けられたのね」

母の目元が、ふわりと和らいだ。

「君の若い頃によく似ていたね」

寄り添う父も、目を細めた。


そのさまに、胸が強く痛んだ。


リリーナ。それが、


──お父様とお母様の、本当の娘の名前。


ああ、ご存知だったのだ、お二人共、もうご存知だったのだ。


こんな得体の知れない男に頼らずとも、娘を迎え入れる準備は既に出来ていたのだ。

父と母の娘。

母に似ているならば、きっと美しい少女なのだろう。


お父様に似た髪の色かな?

瞳の色はお母様と同じなのかな?

ああ、なんて……羨ましい。



「……ご存知でいらしたとは」

「私の周りには、とても優秀な者が多くてね」

ぎりりと、奥歯を噛む男を、柔和だが全く笑っていない目で見据えて、父は続けた。

「それでも見付け出すには随分と時間が掛かってしまったよ」

「ええ、本当に。年齢と性別、それと色だけが頼りですもの。手当たり次第だわ」

くすくすと、母は笑った。


条件を絞った為か、近隣の数ヵ国にまで捜索の範囲を伸ばしたにも拘わらず、なかなか見付けられなかった。なので二人はそれぞれの高祖父母にまで色を遡った。そうして漸く、意外と近くで該当する少女が発見された。

「すぐさま出向いたよ」

「一目見て分かったの。ああ……この子だ、と」


──ああ、なんだ。私があれこれ思い悩まずとも、こうなる事は決まっていたのか。


母の慈愛に満ちた眼差しは、本当の娘であるリリーナに注がれるべきものだ。今度こそ間違えず、家族が揃うべきなのだ。

分かっているのに、なのに今は、とても、寂しい。



「だけど、それだけだったのよね」


……うん? え? お母様、今なんて仰ったの?




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