1『これは溺愛なのですか?』
「……う、ん……」
夜がまだ、世界の半分を支配している時刻。
僅かに軋むベッドと人の気配に、私はまだ閉じていたいと訴える瞼を無理やり抉じ開けた。
「ああ、起こしてしまったか?」
まだ微睡みの中にある頭に、甘く優しく響く声。
「……お兄様?」
月明かりの柔らかい光に照らされて、兄は優美に微笑む。
「寝顔を眺めていただけだ」
どうやら今日も仕事が定時には終わらなかったようだ。だが、どれだけ遅くなってもこの人は私の顔を見てからでないと休んでくれない。
ああ、一週間振りに、ゆっくり眠れると思ったのに……
「ふふ、寝顔も可愛いな」
「もう……、早くお休みになって下さいませ」
「まだお休みのキスもしていないのにか?」
そんな顔でおねだりしないで下さい。家族間の、親愛の挨拶だと分かっていても、照れる事には変わらないのだから。
「私だってもう、子供ではないのですよ……」
「私がそうしたいだけだ」
私のささやかな反抗すら好ましいとでも言うのだろうか?
白皙の美貌をとろりと溶かして微笑する。
──ああ、悔しい。
なんと意地悪で……麗しい人なのか。
薄暗い中でもよく分かる、息を呑む程に鮮やかなロイヤルブルーの瞳。シルクのように艶やかなライムイエローの髪は、月の光で一層輝く。
「可愛いフィー。可愛い私のフィオネッタ」
思わず見惚れてぼんやりしていると、私の気持ちなどお見通しなのだろう軽やかに彼は笑い、頬にキスを落とした。
「愛しているよ」
そんな甘い言葉を耳元で囁いて少し離れた美貌に、思わず息を呑む。
目に毒だ。だけど見つめられると視線を外せない。
心臓の音がうるさい。
どきどき、どきどき。
暴れ回って、苦しい。
そうして私が無抵抗なのをいい事に、髪に額に、瞼に頬に、次々にキスをする。
一つ一つが大切な意味を持つような、慎重に繊細に落とされる唇。その柔らかな感触の跡には熱が生まれ、私は息苦しささえ覚える。
すると突然、キスが止んだ。
ほっとしたのも束の間、すぐに思い出す。
順番通りだ、と。
さぁ……と血の気が引く音が、確かに聞こえた。
「お、お兄様、そこまでです」
次に唇が触れる場所に心当たりがありすぎる。焦った私は兄への抵抗を試みた。思いっきり兄の顔を押し退けたのだが。
これは悪手だった。
「!? や、擽ったい、です」
その手を掴まれて、手のひらに繰り返しキスをされた。擽ったいやら恥ずかしいやらで、私は顔から火が出てしまいそう。きっと今の私は憐れな程に真っ赤だろう。
その手を振り払おうとどれだけ私が暴れても、まるで赤子扱いだ。くつくつと喉を鳴らして笑うと、今度は指の一本一本にキスされた。
「も、駄目です、お兄様。早くご自分のお部屋にお戻り下さい!!」
さすがの私も少しくらいは怒りますよ。涙目を自覚しつつ強く言えば、何故なのか兄は声を殺して笑っている。なんだか……腹が立つのですが。
「フィー、可愛い」
どうしてこの流れで、そんな台詞が出てきますか?
って、また頬にキスするし。
「それはもういいですから。明日もお早いのでしょう?」
「そうだな、では休もう」
良かった、やっと休める──そう安堵した、次の瞬間。
「ど、どうして服を脱がれるのですか!?」
ネクタイを外すとシャツのボタンを二つ三つと緩めて、凝った肩を解すように首を左右に軽く傾ける。それから外したネクタイとベルトを投げ捨てて一つ伸びをする兄に、私はあたふたと大慌て。だが彼は一向に気にしない。いや、気にして下さい、お願いします。
「何故? 眠る時に身体を締め付ける物など必要か?」
「いえ、そうではなくて、その、いい加減ご自分のお部屋で、」
「ああ、眠い。……お休み、可愛いフィオネッタ」
わざとらしく欠伸などして、彼は私のベッドにするりと潜り込む。なんたる早業か、止める間などありはしない。
確かにこのベッドは大きいから、二人並んでも全く窮屈ではないけれども。
だけど毎晩毎晩、困る。
本当に……困る。
「お、お兄様、お待ち下さい、ここで眠らないで下さい、──きゃあっ」
ぐいぐいと兄の身体を激しく揺さぶる私だったが、彼が伸ばしてきた長い腕に呆気なく捕らえられてしまい、まるで抱き枕のように腕の中にすっぽりと収まってしまった。
「は、離して、下さい……」
私にとことん甘くて優しい兄だとしても、どうしたって私には『男の人』なのだ。ほんのりと鼻を掠める彼の香りに、逞しい胸に、鼓動の音に、眩暈を起こしたように気が遠退く。
一体どうして、こんな事になってしまったのか。
ばくばくとうるさい自分の心臓に泣き出してしまいそうになりながら、私は一週間前の出来事を恨めしい気持ちと共に思い出した。
初めての書き物、初めての投稿です。
手のひら返しが嫌だったので、でろっでろに甘やかしてみました。
お兄様は色々、拗らせていますね。