一
師走のはじめごろ、ある夕方、色吉が八丁堀通りを歩いていると、きょろきょろと困り顔の女がいたので近寄って声をかけた。
「どこへお訪ねですえ」
女はハッと、警戒の色を見せながら振り返ったが、色吉の顔を見て表情を緩めた。
「はあ、あの、八丁堀の羽生様を」
女は二十代半ば、それは美しい人妻だった。風呂敷包みを抱えて小首をかしげるそのさまは、そのまま一枚絵にでもなりそうだ。
「羽生様ならすぐそこだが、ご新造さん、いったいどんな御用なんですえ?」と、言ってから気がついて、「あっしはそこに詰めている御用聞で、色吉ってもんだが」と付け加えた。
すると女の反応は意外なものだった。ぱっと顔が明るくなったとおもうと、
「あら、あなたが色吉さん」と言い、ふかぶかと辞儀をするのだった。
色吉も辞儀を返すと、「あっしのことをご存じなんで」と言った。
「あら、ごめんなさい」女はほんのりと頬を赤らめた。「失礼しました。わたくし留緒の姉、留亜でございます。妹がいつもお世話になって、ありがとうございます」
そう言って留緒の姉は、ふたたび頭を垂れるのだった。色吉は驚いたが、留亜がつけくわえて言ったことにはさらに驚いた。
「実は羽生様に用があるのではなく、色吉さんにお願いがあって来たのでございます」
ともかく羽生邸に案内し、あらたまって客間で向かいあって座ったところに、留緒が入ってきた。さすがに姉のまえだからか、今日は妙にしおらしい。
「粗茶と、つまらないものでございますが」
留亜と色吉のまえに茶と菓子を置く。
「あんたね、お客さんが持ってきたものを粗茶だのつまらないものとか言うもんじゃないわよ」
茶と菓子は、留亜の土産だった。
「だって、うちのじゃない」
留緒が言うと、留亜はため息をひとつ、
「あんたにとっての『うち』はもう、芽実江屋じゃなくて、羽生様でしょう」
色吉はこのとき初めて留緒の実家の菓子屋の名前を知った。どうやら「お目見え」にあやかってそう名づけたらしいと、あとで留緒に聞いた。
「だけど、姉ちゃん――」
「お内儀とかお内儀さんとお呼びな。うちに帰ってるときに、うちのお客さんに出すならいいよ、粗茶でもつまらないものでも、あたしのこと『姉ちゃん』でも。でもここでは、わたしはお客、あんたはこの家のもの」
留亜はぴしりと言った。
留緒はあっけにとられたような顔をしたが、すぐに畳に手をついて、頭をさげた。
「失礼しました、お内儀さん。どうぞごゆっくりなすっていってください」
色吉はその様子を微笑ましく眺めていた。
「仲がよろしくて、結構でござんす」
留緒が出ていくとそう言った。
「お恥ずかしいところをお見せしました。しつけの行き届かない子、なんてこと、色吉さんには思われたくなくて、つい……失礼いたしました」
留亜は言ったが、しかし一方、そのおかげかすっかり打ち解けた様子になったことも事実である。
「色吉さんのことは留緒からよく聞いています。たいへんな腕利きで、いろんな相談にものってくれると、留緒はもう色吉さんのことになると手放しのいれこみようで」
「どうもくすぐってえが、恐れ入りやす」
「それで今日は、あたくしもこうしてご相談に参ったようなわけでございます。いえ、他のかたたちのような、恐ろしい事件のはなしではございません。色吉さんにとってはつまらないような、言ってみたら失せもの探しのようなことなのでございます」
留亜は上目遣いに色吉を見る。
「あのう、色吉さんは失せもの探しなど、莫迦にしているとお感じになられますか。実は占い師などにも当たってはみたのですが、どうにも見つけられず、それで色吉さんの評判は留緒からいろいろ聞かされているものですから、おすがりしたいなと思ってやってきてしまったんですが、いざこうして考えると、失礼な気もしてきて、ごめんなさい、今ごろになってこんな」
「まあ、とにかく事情をお話しになっておくんなさい」
誰でもそうだが、あらたまって話そうとするとどこから始めていいやらわからないものだ。色吉はいつも、思いつくまま、なんなら生い立ちからでも話してくれ、と緩いことを言って安心させるが、結局それが一番の早道なのだった。




