四
そのまま待っているようにと言いおいて、坊主頭の岡っ引は座敷を出ていった。
「ごめんなすって」
ほどなくして、色吉と名乗った名前どおり妙にいい男の岡っ引が入ってきた。
「まだなにかおありなのですか。さっきの御用聞のひとにすべてお話ししましたえ」
岡っ引はお紺のまえに腰をおろすと、
「今日のことを、朝から教えてもらいたいんで」
と言った。
「だから、言いました通り、さっきの坊主頭のひとにすべて話しました」
「お手数ですいやせん。そこを曲げてもういっぺん、話してもらいてえんで。なにしろ一人が聞いただけじゃ、穴があるといけねえんで」
「ただでさえ同じことばかり訊かれてうんざりしていたのに、もう、堪忍してくださいな。うちのひとはそれなり力を持っておりますよ、あまりしつこいと、言いつけますよ」
「その『うちのひと』が殺められちまったのが問題なんで、いま必死で調べようとしているんでさ」
お紺ははっとした。これはいけない、冷静にならなくては。
「じゃ、早くすませてくださいね」
「へい。そんでまず、今日の朝、なにかご亭主と口論されていたとか」
「まあ。口論だなんて、そんなおおげさな。だれがそんなことを言ってるんですの」お紺は目を見張ってみせる。
「なにか言い争っていたんじゃないんで?」
「だから、おおげさだと言うんです。ふつうのやりとりでしたよ」
「なにを話されていたんですかえ」
「それも聞いてるんでしょう」
「お内儀さんからじかに聞かせてもらいてえんで。教えてくんなせえ」
「今日、出かけるのに手代を連れていこうとしたら、文句を言われたんですよ。まあ、腕っこきを連れだしたわたしも悪いんですけど、十日にいっぺんのことですから、それに、あのひとも許していたはずだのにそんなことを言うものですから、わたしもつい口ごたえしましてね。でもすぐにわかってくれましたわ」
色吉はうなずき、
「今日は、どちらにお出かけなさったんですかえ」
知っているくせに、と思ったが、色吉が真剣な表情で自分を見ているのであきらめて、
「上野のお寺ですよ。夏から始めた百日詣での、今日は九十一日目なんです。来年、うちのひとが後厄で、わたしが本厄なものですから、無事を祈願しましてね。あのひとのために去年も同じ時期に通ったんですけど……それなのにこんなことになってしまって」と言った。
「いつも手代さんをお連れになってたんで?」
「さっきも言いましたように、十日に一度ですの。いつもは丁稚の巳之吉をお供にしているんです」
「なぜ、たまにとはいえ手代の升弥さんを連れてくんでやしょう」
「それがなにか、うちのひとの殺められたことと関係があるんでしょうか」
「それはわかりやせん」
色吉の答えにお紺はまあひどい、と眉をひそめる。
「とりあえず、なんでも聞いておきたいんで。なにが助けになるかわからないもんでやすからね」
お紺はひとつため息をついてみせ、それから、
「手代なら巳之吉と違って重い荷物など持ってくれますから。いいじゃありませんか、十回に一回くらい、買い物しても」と言った。
「はあ、なるほど。でも今日は荷物などなにも持ってらっしゃらなかったですね、手代さん」
「それは……今日は気に入ったものがなかったんです」
「それで、朝は五つごろお出になって、お帰りはさっき、八つ過ぎ。女の足とはいえ、ずいぶんとかかり過ぎじゃあござんせんかえ」
「だからさっきも言ったとおり、手代と行くときはいろいろと店を回るんです。お昼も外で食べて、それから、甘味なんどにも寄りました。たまの息抜きで、うちのひとにも堪忍してもらってますの」
「さいですか。どこに寄ったか、思いだせるだけでいいんで教えてくんなさい。お昼と甘味は覚えてるでしょうねえ?」
色吉は懐から筆立てと帖面を取りだすと、お紺の告げる店を書きとめた。
「それで、お内儀さん、酷なことを訊くようだが、ご亭主を恨みに思っていたような人に、誰か心当たりはございませんかえ」
お紺は考えるふりをした。
「さあ、わたしの知る限りでは。商売上のことはわかりません。番頭にでも聞いてもらえれば」
「ひどいことを訊くようだが、店のなかに誰かこんなことをやりそうなものはいますかえ」
「まあ。ほんとにひどいですわね。もちろんいませ……んよ、そんなひとは」
お紺は顔をこわばらせてみせた。
「おや、なにかとちゅう、思いだされたようですが」
「いえ、そんなことは」
お紺は首を横に振った。
「なんでも構わない、教えてくんなさい」
「は……あ」
お紺はしばらく逡巡して見せたのち、渋々という感じで口を開く。
「これは手代から聞いた話ですが、番頭――久造は博打好きで、ずいぶんと借金があるのだとか。でもこれ以上は知りません」
「へえ、升弥さんは、あっしにゃあそんなこと言わなかったですが」
「それは、あれは真面目ですから蔭口のようで嫌だったんでしょう、久造は上の人だし。だけど、うちのひとは久造をたいそう買っていましてね、うちにはまだ跡継ぎがいないんで、もうちょっと様子を見て養子でもとろうかって話もあったんですけど、長衛門はそのまえに自分にもしものことがあったら、久造に店を継いでもらう、なんてことを言ってました。でも手代は久造の博打癖を知っていますから、それで心配してわたしには漏らしたのでしょう」
「番頭さんは、その……また答えづらいかもしれやせんが……ご主人を殺めて、金を奪う、そんなことのできるようなお人ですかい」
「まさか、そんなことを疑っているのですか」
「いや、お内儀さんの意見が知りてえんで」
「番頭さんは、そんなこと……できるような、ひとじゃ……ありません。そうだ、来春早々に妻をとることだって決まっているんですよ。だからついこないだ、準備のために住み込みをやめて外に長屋を借りたんです。ここから目と鼻ですけど。そんな時に、こんな恐ろしいこと……やらないでしょう……」
お紺は目を伏せた。
「そんなときだから、借金を返しておきてえ、ってことも考えられやすね」
「まさか」
お紺はきっ、と顔をあげた。
色吉はうなずくと、
「いろいろとありがとうございやした。じゃあこのへんで」
と頭をさげる。立ちあがったところで、思いだしたように、
「ああ、お内儀さんのほうからなにか訊いておきたいことなんざありやすかい」
「いいえ……なんだか疲れてしまって」
これは本当だった。
「ご亭主をなくして、たいへんなところに、いろいろと手数をかけちまって、すいやせん。お大事になさってくだせえ」
色吉は去っていった。うしろ姿を見送りながら、けっきょく同心というのは紹介されなかったな、とお紺はぼんやりと考えた。
岡っ引たちは引き上げるまえに手代の部屋、若集と丁稚の共同部屋を家探ししていったということをあとで聞いた。




