四
次の日の、今度は昼間だった。
淡路町の伝造が土蔵を改造した離れに入ってきた。
「なんだ、おまえ、また来たのか」
庄太が言った。その顔面がいきなり殴られた。鼻血が吹きだし、庄太は涙ながらに鼻を押さえている。
「なにしやがる、このや――」
いきり立った玉史郎も殴られる。うえの前歯が欠け、口から血が流れた。
「誰に向かって口をきいてんだ、え」
伝造が言った。
「伝造さんよ、勝手に入り込んで、ひでえことするじゃねえか」
弥佐武郎が細い目でにらむ。「昨日とはずいぶんと態度が違うようだな」
ふてぶてしく、見くだしたような目で伝造を見た。
伝造は畳のうえに土足であがりこむと、大股に一歩で弥佐武郎のところに達するとそのよこっつらに蹴りをくれた。
「さんざ女を殴る、どころかありとあらゆる手でいたぶった奴らがなにぬかしてやがる」
「伝造てめえこんなことして只ですむと――」
言いかけた弥佐武郎の顔面をふたたび蹴る。
「誰に向かって口をきいてるんだと訊いてるんだよ」
いきがっていた弥佐武郎だったが、ツンと血のにおいのする鼻を押さえて、さすがに目に怯えの色が走った。
「を? 答えられんのか」
伝造は三人を見わたした。
「伝造……さんです」「伝造さんです」「伝造さんです」
「それで、口のききかたはそれでいいのか?」
「い、以後気をつけます」「以後気をつけます」「気をつけます」
「よし。これがなんだかわかるか」
伝造は懐から帳面を取りだした。
弥佐武郎たちは、怯えた顔で見ているだけか、あるいはかすかに首を振る。
「ここにはな、おまえたちの悪行がしたためてあるのよ。いざとなりゃあ、こいつを出すとこに出しゃあ、おめえらどうなるかわかってるんだろうな。おっとなめるなよ、そりゃおまえらの親は金持ちだ、御上に訴え出たとしてもまあ揉み消されちまうだろうな。しかしだ、世間の評判てなあ水もんだ、こいつを瓦版屋にでも持ちこんだら、どうなると思う?」
青ざめた若僧どもの顔を見て、伝造は顔を歪めて笑った。「よし、手始めにあいさつしてもらおうか」
三人は伝造がなにを言っているのかわからず、顔を見合わせるばかりだった。
「鈍いやつらだな。俺はおめえらのために、死骸を隠すのに協力してやった。それからそのことを黙ってやってるだろ。感謝しているか? ならばそれを示す手立てがあるだろう、あ?」
お種がいなくなったという、播甲屋の辺りをうろついていた色吉は、路地から見覚えのある顔が出てくるのを見て、とっさに顔をそらした。
――ありゃあ、淡路町の伝造だ。
つけてみるか、とも思ったが、本来の目的を思いだしてやめた。それより、いま伝造が出てきた路地にあたりを入れてみるか、と路地に入っていった。
裏木戸を叩こうとして振りあげたこぶしを、しかし色吉はとめた。待てよ、伝造がなにを探っているのか、あるいは何をしているのか知らないが、ここでおれが顔を出すと、縄張りを荒らすことになっちまうかもしれない。もうちっと様子を見るか。嫌な野郎だが、場合によっちゃさしで話をつける要が出てくることだってある。
「真面目に商いしてると思いますよ、跡継ぎもまあ心配ないし、順調一方じゃないかね」
商店のおかみさん風の中年女が言った。
「跡継ぎ?」
「ああ、あすこは三人も男の子がいるんだよ。うちはいないからうらやましいねえ」
播甲屋から出てきた客に、適当に声をかけていたのだが、とうとう当たりを引きあてたようだ。
「詳しく聞かせとくんなさい」
水売りから水を買って、道端にしゃがんで話を聞いた。
「浜伊知郎ってのが長男で、これはいま番台をやってる。次男の浅治郎が筆頭手代で、もしどっちかになにかあっても店は盤石なのさ」
「三人いるって話でしたが」
「ああ、でも三男は何もしないでぶらぶらしているだけのようだね。ぶらぶらしてるだけだったらいいんだけどさ、暇な坊ン坊ン仲間とつるんでいろいろ悪さをしているらしいよ。連朝会とか名乗ってるんだけど、表向きは朝に連なるまで学問に励む会だなんて言ってるけど、ほんとのところは朝廷に連なるものたちってつもりらしい。貴族きどりなんだよ。思いあがった自称だよねえ」
夕刻、色吉はいつもの通り羽生邸を訪れた。
「連朝会ってのは他に日城屋の玉史郎、摩山屋の庄太ってやつがいるらしい、ってことがわかりやした。どこも大店かやや届かないくらいの商店の、三男か四男で、年は十七、八。おかみさんの言ってた通り、坊ン坊ンでさ」
「色吉殿はその若者たちを怪しいと見ておるのじゃな」
「へい、淡路町の伝造が出てきたのも気になるんで、様子をみてえんですが。……ただ、仮にほんとにそいつらがお種さんを拐かしてるとしたら、もうひと月にもなるし、乗りこんでいった方がいいのか……でも証拠もなしにそんなことしちゃあ問題になって旦那にも迷惑がかかる……いっそ伝造を締めあげてみるか……どうしたもんか、まあ、明日また考えやす」
しかし翌日、色吉は悠長なことを言っていたことを悔やむことになる。




