二
連朝会というのは弥佐武郎が中心となって立ちあげた趣味人のつどいだが、しかし他には玉史郎と庄太のふたりがいるだけだった。それぞれ播甲屋、日城屋、摩山屋といった大店の三男坊四男坊で、家は金持ち、朝に連なる――すなわち朝になるまで――連歌などに励むほど熱心な会、とは名乗っているものの、ほんとのところ歌を詠むような素養のあるものはおらず、実態は不良仲間の暇を持てあましての集まりだ。
「|あれ(ヽヽ)にも飽きたな」
弥佐武郎が言った。
今日も播甲屋の離れに三人、ごろごろとのたくっているところだ。
「そうかい。おれはまだまだ」
玉史郎が言って立ちあがった。
「元気だねえ、よく立つねえ」
庄太が寝そべったまま言う。玉史郎は座敷を出ていった。
播甲屋の離れは土蔵を改造したもので、弥佐武郎が専用で使っていたから、連朝会のたまり場になっている。母屋からはいちばん遠く、家の者も店の者もめったにやってこない。そのうえ裏木戸から出入りできるのでなにかと便利だった。
そしてなにより、どういう事情かは弥佐武郎も知らないが、座敷牢まで備えていた。
しばらくして玉史郎が戻ってくると開口一番、
「飽きたな」
弥佐武郎と庄太がうなずくのを見て、「ちょうどいいことになったぜ」と分厚い唇をにやりとゆがめた。
太助が子分の卒太と根吉を連れてぶらぶらと歩いていると、背後から声がかかった。
「与太助じゃねえか」
「あ?」
と、険しい顔で振り返ったが相手を見てあわてて表情を戻す。
「こりゃ、伝造さん」
顔は猿のようだが、体はがっちりと大柄な男――太助と同業の、淡路町の伝造だった。
「最近見ねえが、河岸をかえたのかよ。いい餌場があるならおれにも紹介しろよ、みずくせえ」
「いや、このごろは野暮用が多くて、賭場には行ってねえんで」
「ずいぶん景気がいいってことだな」
伝造は太助の肩に腕をまわしてきた。
神田の通りはそれなりに人出があるが、みな太助たちを避けていく。
「そういうわけじゃ――」
「ならそのツキを、ぜひお裾分けしてもらいてえなあ。でなきゃせっかくの運も逃げるなんてことになるかもしれねえからなあ」
太助の首にまわした太い腕をぐいぐいと締めつけ、真っ昼間から熟柿臭い息を吹きかける。
「そんなじゃねえんで、勘弁してくんなさい」
ふたりの子分もおろおろと突っ立っているばかりだ。
「なに見てやがる」
と唐突に矛先を変えた伝造の視線の先にいたのは色吉だった。
「いえ、あっしもそいつに用があるだけなんで」
「ならばおとなしく待っていろ」と、さらに太助を締めあげると、「ほれ、友達が待ってるぜ。早いとこ分けてくれよ」
「あの、おそれいりやすが、ちいと急いでやして」
伝造が凶暴な目を向けると、色吉は自分の背後を示す。
「旦那が見廻りの途中でやして」
たしかにそこに、同心が立っていた。伝造はそれを見あげ、
「ほう、噂の面同心じゃあねえか、近くで見るのは初めてだが、見た目はおっかねえが見掛け倒しだっていうじゃねえか。どうせぐるぐる回ってるだけなんだろう。けっ、同心を出しゃ俺がびびるとでも思ったんだろうが、当てはずれだぜ、おとなしく見てやがれ」
その同心、羽生多大有がずいと一歩前に出た。伝造の顔にちらりと怯えの色が走ったがすぐにそれを消すと、
「なんでえ、文句でもあんのか」
太助の首に完全に腕を回すと太助が「ぐぇっ」と変な声をあげた。
羽生がさらにまえに出た。伝造がさらに締める。「くぇっ」と太助の情けない声。
面同心の姿が、ふっ、とかき消えた。伝造が視線を巡らせて探すと、なんと地べたに這いつくばって頭をこすりつけていた。
あっけに取られて力を緩めた伝造からのがれて、太助がぜえぜえと肩で息をした。
「今日のところはこれくらいにしといてやる」
すっかり毒気を抜かれたかたちで、伝造は行ってしまった。
「ぜえぜえ、助かったぜ。しかし旦那にそんなことまでさしちまって、かえって恐縮だぜ」
「近頃すっかり土下座癖がついちまって。で、話ってのを聞こうか」
色吉はため息をつきつつ太助たちに向き直った。
そんな彼らを気にする様子もなく、多大有が立ちあがって去っていく。
「おい、旦那いっちまうぞ、ついてかなくていいのか」
太助が言った。色吉はうなずいて、
「飯でも食いながら話そう」
と、そこにあった鮨屋に入った。
色吉、太助、卒太、根吉の四人は車座で鮨をつまみながら話した。太助と飯を食うときは、いつもは色吉と太助ふたりで、子分たちは少し離れたところに座るのだが、今日は話が根吉の持ち込みなのだ。
根吉の長屋に住んでいるお種という娘が、もうひと月も帰ってこないという。
「両親と娘の、親子三人暮らしなんですが、おっ父さんはもう何年も寝たきりで、おっ母さんとお種が油だの紙だのを行商してやりくしているんでさ」
毎朝、問屋にいってその日売るものを仕入れて、ふたりで売り歩いていたのだが、先月の五日、不意にいなくなった。
「いっしょに歩いてたのに、気がついたときにはいなかった、つうことです」
「だいたいどのあたりかは、わかってるのかえ」
「日本橋は播甲屋のへんだそうで」
当初は友達にでも会って、母は娘が話し込んでいるのに気がつかずしばらく歩いてしまったのだろうと思い、夕方には帰ってくるだろうと楽観していた。ところが夕方どころか翌日になっても戻ってこない。さらにその次の日は七夕だったが、やはり戻ってこない。
「年は?」と色吉。
「十六でやす」
「年頃からして、病気のおやじの面倒に嫌気がさして家出でもしたんじゃないかえ」
「そんな娘じゃねえんでさ、近所でも評判の孝行娘で。七夕も楽しみにしていたっつうことなんで、親からしたら自分からいなくなるなんざ信じられねえ、ってことでさあ」
「じゃあ神隠しだな」
お種の特徴を聞き、それぞれが気をつける、ということになった。行き方知れずなど、それくらいしかやりようがない。
「さっきの男はなんだい、あんたらしくもない、されるままだったようだが」
店を出しなに色吉が太助に訊いた。
「あれが淡路町の伝造よ」
ああ、と色吉は納得した。面倒なことにならなくてよかった、さすが旦那だ。
いったい岡っ引なぞ世間の評判は悪いほうに高いものだが、なかでも淡路町の伝造といえばひときわ忌み嫌われていた。ひとたびなにかあれば、いや何もないときでもなんだかんだでっちあげて引き合いを抜く、それも一度ならず、新たにこれこれが見つかった、などと二度三度としつこく訪ねてくる、あちこちに借金をする、返さない、気に入らないことがあると暴力をふるう、もとは某藩の武士だったがそのいやらしい性質のためになにやら問題を起こして追放同然の脱藩、浪人からとうとう小者にまで身をやつしたのだが、厄介なことに刀はなくとも棒切れなどでもそこらの町道場の師範代ていどならば相手にならぬほど腕が立つ、という噂だった。太助がずいぶんとだらしなかったのも無理はない。
色吉たちが店を出ていくと、彼らの衝立の陰から当の伝造が顔を出した。立ち去ったふりをして戻ってきていたようだ。
しばし間をおいて、それから出ていこうとしたところに店主がやってきた。
「伝造の親分、お代を……」
「付けときな」
「もうずっとたまって――へい、わかりやした」
伝造ににらまれて店主は引き下がった。
夜。丑三つ時。
玉史郎が大八を引き、庄太がうしろから押している。弥佐武郎は横を歩いていた。大八には葛籠が乗っている。日本橋の播甲屋を出て大川端に向かっているところだ。
通りにはもちろん、人っ子ひとりいない。
と、思いきや、
「どこへ向かっておいでで?」
川端まであと半町というところまで来たとき、暗がりから声がかかった。
「誰だ」
玉史郎が言った。
「俺だよ」
月の光のもとに現れでたのは淡路町の岡っ引だ。
「なんだ、伝造か」
弥佐武郎が言った。「金を返しにきたのかよ」
賭場でよく御用聞風を吹かせて、さんざ金をたかられた。忌々しい思いをしていたものだが、今はそのおかげで強気に出られる。
「いやあ、たまたまでさ。この近所に俺が世話してやった奴がいるんだが、さんざ馳走になって、帰るところだったんだが、こんな夜中にそんなものを引いてちゃあ、そら目立ちますわな」
つまり、どこかで飯をたかっての帰りということだ。そういえば息にも酒がにおう。嫌な奴に見つかったものだ。
「そんなことはどうでもいい、金は返してくれるのかよ」
これで押して追っ払おう。
「で、いってえ何を運んでなさるんで」
伝造は葛籠に手をかける。
「おい、触るな、金返せ」
弥佐武郎は止めようとしたが伝造は懐からドスを取りだして振りかざした。玉史郎も庄太もすくんでしまって動けない。葛籠を結んでいた腰ひも、帯を切り、大八に固定していた縄まで切断してしまった。
「やめろ、金返せ」
抵抗むなしく、伝造は蓋を開けてしまう。
「ほう……これはこれは」
さすがの伝造も驚いた顔をしたがすぐににやにや笑いに変わる。
三人は凍りついて、逃げることも思いもよらない。蛇に睨まれた蛙だった。
「こいつをまさか、大川に投げ込もうとしてたんで?」
三人は答えられない。伝造がドスをかざすと、やっと弥佐武郎が首を二度三度うなずかせた。
「だめだだめだ、そんなじゃすぐに浮かびあがってきちまう」
「え」
弥佐武郎たちは戸惑った。
「どっかに埋めるのがいい。そうだな、橋を越えてもひとつ向こうの中川の岸がようがしょう」
葛籠を大八に結びなおし、伝造の先導で、三人は荷車を運んだ。今度は弥佐武郎も押すのに加わった。
橋を渡るときは伝造が番屋に顔を利かせた。
「このへんでいいでやしょう」
川のほとりで、伝造が言った。伝造は三人に穴を掘るように指示したが、そんな道具など持ってきていないからそこらに落ちていた石や木切れを使った。しかし小半刻もしないうちに疲れ果てて、三人とも投げ出してしまった。
「おい、まだ一尺ほどしか掘れていないじゃねえでやすか」
「もう無理だ、川に流しちまおう」
弥佐武郎が言った。
「ち、意気地のねえやつらだ。仕方ねえ、葛籠ごと埋めるつもりだったが、中身だけにするか」
伝造は嫌がる弥佐武郎たちをドスで脅して、葛籠を開けて中身を取りださせた。うえから土をかけ、盛りあがったところに草をかき集めてなんとかごまかした。その頃には空も白み始めていた。




