三
幸いなことに玉吉は多賀屋に丁稚奉公に出ることができた。それまでにちょくちょく店の使い走りをしていた玉吉を、主人の惣兵衛が目を掛けてくれたのだ。
他の小僧たちがつらいという奉公も、玉吉にとっては天国のようなものだった。なにしろあの親父と暮らさなくて済む、というだけでもじゅうぶんに幸せだったのに、飯も食べさせてもらえるのだから、たとい仕事がどれだけ大変であっても文句など出ようもなかった。
充実した奉公生活のなかで、ただひとつ気が重くなることがあった。父の熊吉である。
「おもてには来ないでくれ、となんども言っているでしょう」
「裏に呼びだしたってよう、おめえ来ねえじゃねえか」
「わたしだっていろいろ忙しいんですよ、見ればわかるでしょう。すこしのあいだも待てないんですか」
「おめえ親を見捨てて黙っていなくなりやがったくせに、その親に向かってなんて言い草だ」
「騒がないでくださいよ、ほら、これ。もう帰ってください」
「ちぇ、こんな大店でよう、しけてやがる」
「文句を言うなら返して――」
「おっと。『わたし』だなんて気取りやがって。また来てやらあ」
熊吉がしばしば店にたかりに来るのだった。
奉公が決まったとき、玉吉は内緒で家を出たのだが、どうやって嗅ぎつけたものやら、まだ給金などない小僧のころから、なにかのおりに客から心づけとしてもらう駄賃など貯めたものをしぼりとられたものだった。
玉吉としても、せっかくの銭をとられることよりも、熊吉のようなものが父親であることを周りに知られることのほうが嫌だったから、金を渡してさっさと追い返していた。
玉吉もだんだんに出世して、多賀屋にてとうとう筆頭番頭にまで登りつめた。しかしそれは玉吉にしてみれば当然のこと、他の奉公人たちよりも何倍も働いたとの自負があった。
「父が店に来るのは本当に嫌でございました。周りのものたちへの気兼ねはもちろん、なにより仕事が中絶してしまうのが困りもので。父のほうもわかっていて、いやらしいことにわざと忙しいころを見計らって来るのです。まったく、どれだけ肩身の狭い思いをしたことか」
商人は団扇を使いながら話している。たしかまだ五十に届かぬはずだが、苦労がたたったのか六十過ぎに見える。
「しかしその嫌でしかたのなかった父のことが、わたしにとってよい向きに働いたのです。人生、なにが幸いするかわかりません」




