二
男が語る。
「とにかく、親父の賭けごと狂いといったらひどいものでございました。手慰みだの道楽だのなどと言ってられる程度ではとうていすみません」
男は商人だった。地味だが、見る者が見ればいい生地を使った腕のいい仕立ての、つまり金のかかった装いをしていることがわかるだろう。
「母はずいぶんとそれで泣かされ、苦労させられたあげく、早死にしてしまいました。わたしが八つで、多賀屋への丁稚奉公が決まったころでした」
玉吉は熊吉の息子とは思われないほど利発な子供で、近所では母親の血を引いたのだろうといわれていた。熊吉は大工だったが、気の利かぬ愚鈍なところが棟梁や仲間からもうとまれ、そういったこともあって博打にはまっていったらしい。
「おりゃあひと晩で二両も勝ったことがあるんだ、ガタガタぬかすんじゃあねえ」
夜、出かけようとするのを止められると、よくそう言って女房を足蹴にしたものだった。「おとなしく待ってやがれ、すぐに楽な暮らしをさしてやる」
「そうしてつかんで持っていくのは、母が内職で得た金や、わたしが野良しごとを手伝ったり商店の使いなどをした駄賃なのです。親父は夜の賭場疲れで昼間はほとんど寝ているだけで、仕事にも出ることはまれでした」
湯屋の二階である。風呂あがりの火照りざましに無駄話などしているうちに、商人のむかし語りになったのだった。
「いっそのこと負け続けてくれれば嫌気もさしたんでしょうが、これが親父も言うとおり、ときどき大勝ちをして、しばらく景気が良かったりしたのです」
そういうときは熊吉も機嫌よく、女房のお十瀬がとっておこうとするのを振り切って高価な魚などを食卓にあげた。どうだ、おれが稼いだ金だ、そのおかげでおまえたちはこんな贅沢なものが食えるのだ、と自慢げなのだが、女房や息子が感謝をしないと不機嫌になるのだった。
だからしかたなく、お十瀬や玉吉は熊吉に礼を言い、お父っつぁんのおかげでおいしいものが食べれる、などとせっせとおだてあげた。
もちろんこんなことはふた月三月に一度、あるかないかだ。ふだんは妻と倅の稼いだなけなしの文銭を奪うようにして……ではなく本当に奪って賭場で浪費してしまう、というありさまだった。
「いちど、さすがに親父も打つのをやめてくれるのでは、と思った事件がありました。夜中に着物を血まみれにした親父が転がるように帰ってきたのです。いや、実際に何人かに運ばれて家のまえに転がされていたのです」
熊吉は片腕が肘のところからなくなって、傷口を焼いてふさいであった。
借金のカタに腕をとられたのだ。
そのあと十日ほど寝込んだが、お十瀬も玉吉もこれだけ怖い目を見たのだから、さすがにこれで熊吉も博打をやめてくれるだろうと期待した。
ところが動けるようになると、熊吉はますます賭博にのめりこむようになった。片腕を失ったことで、それまでごくたまにとはいえ行っていた大工の仕事もできなくなったからだ。
「むしろ親父は、仕事ができなくなったことを言い訳にそれまで以上に堂々と賭場に入り浸るようになったのでした。世間には片腕や片脚でも立派に働いているかたはたくさんいらっしゃるというのにね。母もわたしもどれだけがっかりしたことか、言葉にできません。
ともかく、親父にまつわるひどい話はいろいろあるのですが、聞いても不愉快になるだけでしょうし、わたしもあまり思いだしたくないから、話の運びにどうしても入用なことだけを選ぶようにしますが、母の死には触れないわけにはいきません。
親父に泣かされ、気をもまされ、腹立たしい思いをさせられ、というそんな生活を何年したのでしたか、母などわたしが生まれるまえからずっと苦労つづきで、その苦労がたたって、というのと、食べものも自分のぶんまでわたしに分けたりしておりましたから、滋養も足りなかったのでしょう、さっきも申しましたとおり、とうとう若くして亡くなってしまいました。若くして、といっても、年は若かったのですが、そう、まだ三十にもならぬのに、その亡骸はまるで老婆のようでございました。わたしはまだ八つでしたが、その不憫さには泣いたものでした」




