十八
前庭で慈按指照が鍛錬しているところに、是坊段之重が家屋より出てきた。筋肉が鋼のように張りつめ、体がふだんよりひと回りほども大きくなっている。今日はいよいよ十五夜望月、慣れている慈按ですらひるんでしまうような獣臭を是坊は発散していた。
「あの小者、昨日の夕方から丸一日おりよるな」
軽く鼻をうごめかし、是坊が言った。「すくなくとも明日の朝まで見張るつもりだろう。お、またひとり来おったぞ。あの間抜けな小者の子分だな」
まったく、自分が凄まじいにおいを発しているのに、よくそんなものを嗅ぎ分けられるものだ、とひそかに思う。
「月の力よ」
是坊が見透かしたようなことを言い、慈按は縮こまった。是坊が笑った。乱杭歯がむき出しになる。「月が中天にかかるまえに出かけるぞ」
日はとうに沈んだが、よく晴れた満月なので夜目には明るいほどだった。
「出てきやがったな」
色吉が言った。「今度こそ尻尾をつかんでやる」
このときもちろん色吉は知らなかったが、せいいっぱいの小声で言ったつもりのこの根吉への語りかけなのか独り言なのか自分でも判別しがたいこの言葉を、二十間は離れていたが是坊は聞き取っていたのだった。
「あの小者、わしの尻尾をつかむそうだ」
是坊は慈按を振り返った。ふたりはくっ、くっ、くっ、と抑えた笑いを漏らした。こちらはもちろん色吉には聞こえなかった。
是坊の主従二人がひたひたと夜の道を歩き、色吉と根吉の二人がひたひたとそれを追う。往来を行き交うものは他にいなかった。満月の夜に正体不明のけだものが闊歩していることはもう知れ渡っていて、月見にかこつけて皆どこかの家に集まって閉じこもっているのだ。
材木置き場の多いあたりから両国のほうへ向かうと、開けた百姓地だ。色吉はまえを行くふたりと距離をおく。根吉はずいぶんと遅れてしまっていた。
こんな畑ばかりのところにも、稲荷神社の祠があった。ひょっとして連中、あそこに向かっているんだろうか、と考えたとき、色吉は是坊の主従のずっとむこうからふらふらとこちらに向かって歩いてくる娘の姿を見た。
目を疑った。まさか。あの歩きかた……おぼつかない足取りのなかにも特徴が出てくるものだ。そんなはずは。それにあの体つきだ。ごしごしと目をこすって見直してみても同じだった。
「あの餓鬼、こんなところでなにを」
娘は留緒だった。色吉は前後を忘れて全力で駆けだした。