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特別なのり

「特別なのりがあったらどうする?」

「なんですか? 急に・・・特別なのり?」

「そう。物質じゃなくて、目に見えないモノをくっつけるのり」






大学の食堂で、次の授業まで時間を潰していた私に、淡野先輩が声をかけてきた。


「座っていい?」


と、私の隣ではなく、一つ開けた隣の椅子に座った。この人はいつもそうだ。馴れ馴れしくなく、いい距離を保って接してくれる。


「淡野先輩、昨日はありがとうございました」


昨日、淡野先輩と喫茶店で話し込んだ。と言っても、ほとんど話していたのは私で、淡野先輩が聞き役だったけど。淡野先輩は、私が片想いしていることを唯一の知っている人。昨日一方的に話したのは、片思いの相手への熱い想いだった。その人とは、半年前に出会った。


大学に入学したての4月。サークルというものに興味はあるけど、なんだかよくわからなかった私は、なんとなく『映画鑑賞サークル』に入った。映画はあんまり詳しくはなかったけど好きだったし、友達が欲しかったのでそこにした。メンバーは10人ほどで、男女比は半々だった。その中に淡野先輩と、のちに私が好きになる渡辺先輩がいた。二人とも3年生だった。


サークルの活動は、月に3回ほど映画を観に行き、帰りにカフェで映画について語りあったり、時には観た映画の国の料理を食べに行ったりした。期待通り、友達もでき、映画にも少し詳しくなった梅雨の頃から、渡辺先輩のことが気になり始めた。サークルのまとめ役的存在で、さわやかで、活動をさぼってる人がいると積極的に声をかけて参加させたりするいい人。黒髪の短髪で、背はそんなに高くないけど、無駄なぜい肉がなくて、引き締まった体つきをしているのが、服の上からでもわかる。しかも春に彼女と別れたばかりだという。

『あー私、また見てる』って、無意識に渡辺先輩のこと見てる自分に気づいて、好きなんだなってことを自覚した。私が私の想いに気づいた頃、淡野先輩がこんな言葉をかけてきた。


「あいつは本当にいい奴だよ」


私の隣に並んで立つ淡野先輩は、渡辺先輩を見つめながら言った。私はびっくりした。私自身がやっと気が付いた渡辺先輩への恋心を、ずっと前から知っていたかのように、淡野先輩が言ってきたからだ。一重の涼し気な目元のせいか、冷たい印象を受ける渡辺先輩とは、それまで個人的に話したことはなかったから、余計に驚いた。


「何ですか、急に……」


と、動揺を悟られまいと冷静を装ったが、


「取り繕わないでいいよ。バレてるから」


淡野先輩は遠い視線のまま淡々と言った。


「みんな好きになっちゃうよな、渡辺のこと」


と、私の方を向いて小さく微笑んだ。その笑顔は少し寂しそうに見えた。


私が渡辺先輩を好きだってことを、淡野先輩は誰にも言わないでくれた。狭いサークルだから、そうしてくれて本当に助かった。私も誰にも言わなかった。いや、正確にいうと言えなかった。友達にさえ、自分の恋心を打ち明ける勇気がなかった。でも、ずっと隠していたら、誰か別の人と付き合ったりしないか? そうなる前に告白しなければ・・・と焦っていた。でも、友達にさえ言えない私が、本人になんて言えるはずもなく、でも好きという気持ちはふくらむ一方で・・・私は勝手に盛り上がったり、勝手に落ち込んだりした。

こんな私の心の揺れを知っているのは淡野先輩だけだったけど、特に忠告したもせず、無関心でいてくれた。そのことは私にとって、ありがたかった。


そんな頃、淡野先輩がお茶に誘ってくれた。老舗の喫茶店で、客は私たちだけだった。

熱いコーヒーを一口飲み込んだ後、淡野先輩は静かに言った。


「ユキちゃん、大丈夫か?」


その一言で、淡野先輩はずっと私のことを気にかけてくれたんだと気づいた。そしたら涙がじわっとあふれてきた。片思いも限界にきていたようで、私は堰を切ったように渡辺先輩への想いを淡野先輩に話した。話せるのは淡野先輩だけだったから、熱くなって話し続けた。淡野先輩は頷いたり、驚いたり、笑ったりして、ただただ聞いてくれた。

私ばかり話して淡野先輩に悪いなと、途中で思ったりしたけど、淡野先輩なら許してくれると思って、しゃべり続けた。しゃべりすぎて、冷めたコーヒーを一気に飲み干すと、淡野先輩はすぐにおかわりを注文してくれた。淡野先輩は本当にいい人だった。

おかわりを一口すすって、また話し出した私を見て、淡野先輩は急にふっと笑って言った。


「トイレ行っておいで。鼻水光ってる」


私はハッとして手で鼻を抑え、店の奥にあるトイレに走った。自覚はなかったけど、さっき泣いた時に鼻水が出て、そのまま気づかずにずっとしゃべり続けてたんだろうか。それならそうと、早く言ってくれればいいのに。私は顔を真っ赤っかにしながらトイレの鏡の前に立った。でも、鼻水は光っていなかった。顔の角度をいろいろ変えて見たけど、鼻水は出ていなかった。よかった。よかったけど、淡野先輩の見間違いじゃん、と、胸がざわついた。焦ってトイレに走った自分がバカみたいに思った。


席に戻ると、「おかえり」と声をかけてきた淡野先輩に、


「見苦しかったですか?」


と、きつい口調で言ってしまった。


「鼻水、出てませんでしたけど。私の顔、トイレに行かせるほど、見苦しかったですか?」


むすっとしている私を見て、淡野先輩は大きな声で笑い出した。私はますますむくれた。


「ごめんごめん。熱弁してたからさ、ちょっと気分を変えた方がいいかなと思って言っただけ。変わったろ?」

「はい、変わりました……腹が立ちました……」


また大笑いする淡野先輩。うー……やっぱりバカにされてる……。笑い終わると先輩は静かに言った。


「見苦しい訳ないだろ。ずっとかわいいよ」


『かわいい』って、男の人に言われたのは、初めてかも。これが渡辺先輩の言葉ならよかったのにな・・・。私は変にせつなくなって、ぬるくなったコーヒーをすすった。さっきより苦かった。





それが昨日のことで、今日、この学食で淡野先輩にまた会ったのだ。

一つ離れた席に座った淡野先輩は、急に変な話を始めた。


「特別なのりがあったらどうする?」

「なんですか? 急に・・・特別なのり?」

「そう。物質じゃなくて、目に見えないモノをくっつけるのり」

「目に見えないモノ?」

「うん。なんだと思う?」

「わかんないです」

「絆だよ。絆。目に見えないだろ、絆って。それをつなげるんだ」

「宗教ですか?」

「違うわ。絆っていうからややこしいのかな。信頼関係を結べるっていうか、まあ、一種の惚れ薬みたいなもんだよ」

「ああ」

「そういうのがあったら、ユキちゃん、使ってみたい? 渡辺に」

「え?」

「渡辺に、そののりを使えば、あっという間にカップルになれるじゃん」

「使いませんよ!!」


思わず大きな声が出て、慌てて小声に切り替えて言った。


「そんなの、ズルじゃないですか。それでカップルになったって、絶対私は幸せにはなれません」


本気に怒る私に、淡野先輩は「ごめんごめん」と笑って答える。もう、なんなの? 昨日渡辺先輩のことあんなに話すんじゃなかったな・・・。


「でもさ、もし、本当にそんな『特別なのり』があったら、すごいよな・・・」


淡野先輩は、独り言のように話し出した。


「政治の外交とかに使ったらさ、戦争もなくなると思うんだ。国と国の絆が生まれるんだからさ。それって、まじですごいよ。そう思わん?」


淡野先輩は背もたれに寄りかかり、私を見つめた。パイプ椅子がぎーっと鳴る。私は、淡野先輩の視線の中にいた。あれ? なんだろこの感覚。淡野先輩から視線を外せない。ふわふわの毛糸に、体をぐるぐる巻きにされたような、優しいけどすごく乱暴に拘束されてるような変な気分。私、淡野先輩から視線を外せない。淡野先輩も私を見ている。それだけで、私は・・・。パイプ椅子がまたぎーっと鳴った。その音さえ、愛おしく感じる。



俺は、背もたれに体重を預けながら、感慨にふけっていた。この“のり”の効果はすごいな、と。

後輩のユキが、渡辺を好きだと気づいた時、俺は「ああまたか」と苦々しい気持ちにさいなまれた。渡辺はモテる。たいていの女は渡辺のことが好きになる。渡辺の隣にいる俺は、いつも引き立て役だった。サークルに初参加したユキのことを一目で好きになった時、もうすでに俺はあきらめていた。どうせ、ユキも渡辺が好きになるんだろって。で、案の定そうなった。

でもあの日、俺の運命は変わった。俺の家に来ていた叔父が、酔った勢いであの『のり』のことを漏らした日だ。聞いた瞬間、俺は形勢逆転するチャンスだと直感した。叔父の頭脳は日本でもトップクラスで、何やら秘密の研究をしていることは知っていたが、本当に人と人の絆をつなぐ『のり』を作ってしまったなんて、さすがに信じられなかった。

叔父は純粋に、平和のために『のり』を作った。でもいざ実際に使う段階になると、これは必ず悪用される、と確信した。はっきり言うと、怖くなったのだ。でも、せっかく作ったこの『特別なのり』を一度も使うことができないことにもんもんとしていた叔父は、俺の個人的に使いたいという申し出に応じてくれた。

『のり』は、アロンアルフアくらいの大きさの入れ物に透明な液体だった。これを相手の飲み物に数適入れ、残りを自分が飲む。それで完了。効果が出るのは一日後だという。

金を払うと言ったが、叔父はいらないと言った。ただ、結果を報告しろ、と約束させられた。

さっそく俺は、喫茶店にユキを呼び出した。渡辺の話を永遠と聞かされながら、頃合いを見てトイレに行かせ、その隙にユキのコーヒーにのりを数滴たらし、残りを飲んだ。

そして今日、この結果だ。ユキが俺を見る目が全然違う。俺から目が離せないでいる。俺のことを信じて疑わない目だ。こののりは、本物だった。

叔父はこの結果を聞いた後、きっとのりを処分するだろう。悪用を防ぐために。俺は、この戦争をなくすことができたかもしれないとても貴重なものを、至極個人的なもので使い切ってしまったことになる。でも、後悔はない。もし、のりがなかったら、俺自身どうなっていたか、わからない。このまま、ユキと渡辺がつきあうようなことがあれば、俺は何かとんでもないことをしていたと思う。ユキか渡辺か、もしくは全く関係ない人間を、物理的に傷つけただろう。『特別なのり』のおかげで、それはなくなった。神様は、こんな俺を叱るだろうか?


俺はユキの手に触れてみた。ユキは俺の隣の椅子に移ってきて、俺の肩に頭を預けた。

「そんなのズルじゃないですか!」と言ったユキの言葉が蘇る。その通りだよ、ユキ。俺は完全なるズルをした。でも、誰かを傷つけないためだから、許してほしい。そして、君を俺の身勝手に巻き込んでしまったことも。ユキ、君のことは、絶対に幸せにする。約束する。だから、どうか・・・。




私は、淡野先輩の肩に頭を乗せながら、幸せな気分に包まれた。最初から淡野先輩のこと好きだったんじゃないかって、思った。いや、きっとそうだったんだ。

ああ、私の頭と淡野先輩の肩が同化していくみたいに感じる。くっついて、離れない。


おわり


最後までお読みいただき、ありがとうございました。


次回は12月4日頃に投稿する予定ですので、どうぞよろしくお願いいたします。

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