父との約束とアーリサの母
朝目覚めると、体がとても軽くなっていた。
活力が戻ってくると途端にベッドから降りたくなるが、熱を出した昨日の今日でうろうろと歩き回らないでください、と アーリサに叱られてしまったので、大人しくベッドで本を読むことにした。
昨日から降り続けた雪がすっかり積もったようで、屋敷の中は氷室のようだ。
確かにうろうろしてはまたぶり返しかねない。
アーリサはシロに任されたからか、相変わらず姿をあまり見かけないシロの代わりに定期的にやって来ては僕が大人しくしていることを確認し、魔力を注いでいく。
「ありがとう、アーリサ」
昼過ぎに食事の後顔を出したアーリサに、僕は本を閉じるとベッドの上でクッションにもたれながらも体を起こし、お礼を言った。
「何がですか?」
「昨日。急にお願いしたのに、魔力をくれることを引き受けてくれて」
「ああ、その事ですか」
アーリサは何て事ないという風に笑うと「元々 伯爵様とはそういうお約束です。気にしないでください」と言い、隅に寄せていた椅子をベッド脇に運んできて腰かけた。
「父上と、ね。
……ねえ、アーリサ。
アーリサは父上とはどういう約束をしているの?」
そういえば 僕はアーリサと父との約束の内容を詳しくは知らないな、と今更ながらに思い至った。
「ええと、私がハコルに生涯魔力を注いでいく為には 上級使用人として相応しい教養を身につける必要があるそうで、ロリーの侍女役も兼ねて伯爵様のご支援で女学院に通う事になっています」
アーリサが指折り数えながら、考え考え教えてくれる。
「侍女もお嬢様と一緒に授業が受けられるなんて、上級使用人って凄いんですねぇ」なんて呑気な事を言っているが、そんなわけはない。
ロリーの通う女学院は少し特殊なのだ。創始者の意向で良家の子女が集う学校であるにも関わらず、身の回りの事は自分達でするようにという決まりがある。その代わり 下の学年が上の学年に指命されてお世話をするという風習があるそうだ。これは僕の通う学校にもあるので、そう珍しい事ではない。
しかし、そうすると一年生として入ったお嬢様には世話係が居ないことになる。
男どもは殆どはその環境に揉まれて それなりにやっていくのだが、お嬢様は違った。
勉強のできる侍女を支援という形で入学させ、身の回りの世話から勉強の世話まで見させるのだ。
そんなことが許されるのか とも思うが、どうもそれによって優秀な人間にも機会が与えられるということで、学院側も多目に見ているらしい。
高い能力の有るものには、上の学校に行けたり、王都の研究所への就職の道も開けるとか。
先日アーリサが言っていた、上手くいけば研究が続けられると言うのは、この事だろう。
そうは言っても通常は侍女役はそれなりの出自の者がなるのだが……ロリーのじゃじゃ馬ぶりを知ってなり手がつかなかったんだろうな。
主の失態は基本侍女の失態にされるからね……。
しかしアーリサからは ロリーを疎ましく思う様子は全く感じない。どころかロリーは建前のはずの「優秀で支援されている対等な学友」というのを信じているようだ。ロリーから女友達の話を聞くのも今までに無いことで、よほど馬が合っているのだろうと思われる。奇蹟だ。
「それで その間は、私の弟妹を下働きとしてルマンダ様に雇っていただく事にもなっています。後は……」
「へえ、弟妹がいるのかい?」
「え?あ、はい。上が8歳と下が6歳なんです。二人ともとっても可愛いんですよ」
「へえ、いいね。僕には兄弟がいないから、少し羨ましいよ」
僕が言うと、アーリサは少し意外そうな顔をした。
「……ハコルに羨ましく思われる要素が私に有るとは思いもよりませんでした。でも、そうですね。自慢の弟妹達です」
そう言って少しはにかむ。
本当に弟妹の事が大切なんだな。
僕にも頼れる兄や可愛い弟なんかがいたら良かったのになと、時々思う。……物凄く手のかかる妹分はいるにはいるが。そうではなく、もっと、こう……!
「でも、そんなに小さな子供が働くなんて……、アーリサのご両親はよく承諾したね」
妄想を押し込めて僕が素朴な疑問を口にすると、アーリサの顔色がさっと変わった。
固い表情の下から、「両親はいません」と絞り出す。
その様子から、単純に両親がいないだけでなく何か事情がありそうだと感じる。
僕は「そうか」とだけ返しておいた。
アーリサは無理やり雰囲気を払うように明るい顔を作ると、「だから伯爵様に雇っていただけて、私とってもラッキーなんです」と言って僕の手をとり、魔力を注ぐ。
アーリサが黙ると途端に外に降り積もった雪が音を吸い取るらしく、暖炉で薪がはぜる音だけがやたらと大きく聞こえた。
僕はそんな音を聞くとはなしに聞く。
沈黙が苦痛にならない相手も珍しいな、とぼんやり考えた。
そっとアーリサの様子をうかがえば、こうして魔力を送るのも慣れてきたのか気負った様子もない。
僕は少し迷った末、心にわだかまっていたことを聞いてみることにした。
「ねえ、アーリサ。君が魔力を注いでいくれて、僕はとても調子がいいし、ありがたいと思う。
でも、君はいいの?」
伏せられていたアーリサの漆黒の瞳が不思議そうに僕を見る。
その目を見つめながら、ゆっくりと再度訊ねる。
「さっき生涯 僕に魔力を注いでいく、と言ったろう?
この先ずっと僕に魔力を注いで生きていくのかい?
君は勉強をしたいと言っていたのに、僕のために色々と我慢をさせてしまう事になる。そんな人生で、君は本当にいいと思ってる?」
訊ねながら、しかし僕にはアーリサが拒めばシロを失うか僕が死ぬかしか未来がないのも分かっていた。
僕はアーリサを手放せない。
それでも、もしアーリサがここにいたくないと望むのなら……
「もちろん、いいに決まっています」
しかしアーリサはキョトンとした顔で言った。
僕はアーリサのあっさりとした反応に、つい「本当に?」と問い返してしまう。
アーリサはそれにもこくん と首肯する。
なぜそんな事を聞かれるのか分からないといった顔をしていたアーリサが、ふと何やら気づいたようで「ああ……」とうなずいてから言葉を足した。
「ハコル。以前、私が元々コーフスネルの南の方に住んでいたと申し上げたのを覚えていますか?」
「ああ、最初に街に行ったときに言っていたね」
僕は馬車のなかであさが話していた事を思い出して言った。アーリサはそれに一つ うなずくと、少しだけ目を伏せてから続ける。
「……南は、とても貧しいんですよ。
特に私のいた辺りは他の領地から流れてきた貧民が溢れていました。
私もそんな貧民の一人で、冬は毎日寒さと空腹に震えていました。
そんな私たちからすると、伯爵家で雇っていただけるのはとても運の良い事なのですよ」
そう言うアーリサは本当に嬉しそうだ。
僕は己の無知に少し恥ずかしくなった。
「そうか……。君が嫌でないのなら、僕は」
「それに!私、とても素晴らしい事に気づいたのです!」
僕が礼を言おうとする言葉に被せて、アーリサは両手を僕の手ごとぎゅっと強く組むと、目を輝かせて喋り始めた。
「昔から魔力で花を咲かせられたのですが、魔力と生命力の関係を王都の中央魔力学研究所で検査を受けつつうかがった話は本当に興味深くって!伯爵様から学校に通わせてもらえると聞いた時は、私も魔力の研究ができる、ともう嬉しくて嬉しくて!」
「へ、へぇ」
「まだとても研究だなんておこがましい基礎のお勉強ですが、本を読めるようになったので今のうちに読めるだけ読みたいと思っていたんです!」
「ここは読んだ事の無い本が沢山あるので、ワクワクします!」とアーリサが珍しく饒舌に語る。
頬を紅潮させて熱く語るアーリサの瞳は宝石のようにキラキラと輝いていてどきっとする。
僕はアーリサのことを少し誤解していたようだ。
アーリサは僕と同じ本の虫なんじゃない。将来的になりたいモノがあって、それに向けて突き進んでいるのだ。
それは、とても素晴らしい事だと……
「それに考えてみれば、研究所に行かなくてもハコルに生涯魔力を注ぎながら、魔力が人に与える影響をつぶさに監察できるなんて、なかなか無い好条件だわ!」
……ん?
監察?
「私がハコルに送る魔力の量や種類、勢いなどを変えながら様子を見られればもっと良いのでしょうけれど、残念なことに私の女神の雫の力が非力過ぎて送っている私自身がまだよくわからないんです……。
でもいつかその辺りも会得できればと思っています!
上手くすれば見た目にも何らかの変化が起こるかも知れません!」
アーリサが満面の笑みで言った。
僕はアーリサの握りしめる両手から自分の手を引き抜こうとしたが、ガッチリとホールドされていてぬけなかった。
「そう、なんだ。
やる気があって 頼もしいね……はは……」
言いながらそっと心の中で後ずさる。
うん、アーリサが父との約束を負担に思っていない事だけはよっく分かった。
だけど、気のせいかな?
アーリサの目に僕が実験対象として伐ったり植えたりされている植物達と同じものに映っているような……
彼女の語る何らかの変化について考えた僕の胸は、ときめきとは到底違う不穏な何かにドキドキと高鳴った……。
「ハコル!アーリサもここに来ているの?」
ドアを開け放つことで バーン!という効果音を自力でたてて、ロリーが入ってきた。
驚いたアーリサが僕の手を放して飛び上がる。
「……ロリー、部屋に来るときはまず君の侍女から僕の従僕かメイドを通して許可をとるものだよ」
「何言ってるの、同じ家の中でややこしい。
お母様じゃあるまいし、ここでまで細かいこと言わないでちょうだい。そう言うのは自分の屋敷と学院でウンザリ!」
僕が諦めながらも一応忠告すると、ロリーが顔をしかめつつ ずかずかと歩いてくると、手近な椅子を引き寄せて座った。
それを聞いたアーリサが何かを思い出したのかクスッと笑った。おおかた女学院辺りで何かをやらかしたのだろう。
「ねえ、それよりも、はい!これ!」
ロリーが気を取り直して僕に両手に収まるサイズの箱を差し出してきた。
薄い桃色の布を貼られた箱からは、香ばしい香りが漏れて僕の鼻腔を擽ってくる。
「今王都で密かに人気を集め始めている焼き菓子なのよ!」
「これはもしかして、カナート婦人の新作、カヌーのパイ!?」
僕は急いでリボンをほどいた。
中からは赤みがかった飴色のパイが顔を出す。
「やっぱり!」
「さすがハコルね、そうなのよ!最近ついにコーフスネルでも作る菓子職人が現れたのよ!」
「ああ、良い香りだ。カヌーは菓子にするときは皮を剥いて小さく刻むのが主流だけど、カナート婦人はその常識を覆し、皮のついたまま丸ごとパイの上にのせて焼き上げるという方法を編み出したんだ。
みてくれ、この皮目!紅い色がほんのりと生地に溶け出してその上をたっぷりのハチミツとバターが艶を与えている。実に美しい!」
「そうね!よく分かんないけどスッゴク美味しそうよね!」
ロリーの適当な相槌にも全く気分を害さない。
僕の心は 目の前に突如現れた甘味の虜だ。
そんな僕を見たアーリサが驚いて「詳しいですね、ハコル。甘いものがお好きなのですか?」と聞いてきた。僕ははっとして取り繕うように咳払いをする。
「そうなの!ハコルは昔っから甘いものに目がないのよ!」
「いや、知識として知っているだけで、特別甘いものが好きという訳ではないよ」
僕はロリーの言葉を否定して、つとめて冷静を装う。
しまった、大好きなお菓子を前につい本心が溢れてしまった。お菓子好きは隠すと決めていたのに。
僕は学校に行ってから人の目に晒される機会が増えたことで、よくからかわれるようになった。
ただでさえ母上譲りの女顔の上に病弱なせいで生っ白い僕は、同級生の間ではどうしても軽く見られてしまう。
屋敷にいれば立場上僕に悪意で接するものはいないが、学校という閉じられた空間では親に何と言われていようとも個々の能力が物を言う。体調を崩して保健室の常連客な上に、甘いものに目がない僕を寮の同室の奴等はあろうことか「お姫様」などと言ってきたのだ。
僕の失態は伯爵家の恥だ。
僕はその時からお菓子好きを隠し、流石に運動は難しいので勉学に励んだ。
僕は威厳のある領主になるのだ。侮られるわけにはいかない。
そんな僕の繊細な気持ちに全く気づかず、ロリーは「何言ってるのよ。昔っから食事の代わりにお菓子を食べちゃうくらい甘党のくせに」などとカラカラと笑う。
するとアーリサが突然声をあげた。
「食事の代わりにお菓子……!ハコル、そんなことをしていたら体を壊して当然です!」
「え、いや、そんなに頻繁に偏食をしているわけでは……」
目をつり上げるアーリサに慌てて弁解するも、ロリーが「何言ってるのよ、お菓子くれなきゃ他のものも食べない~って泣いてたじゃない!」などと言うから台無しだ。
「そ、それは小さい頃の話だ」
「あら、案外最近まで言ってたわよ?」
「ロリー、君ちょっと黙ってくれ……」
「ふ~ん?」
アーリサの笑顔が恐い。目が全然笑っていない。
僕はとっさにロリーに話をふった。
「ロリー、このお菓子、街まで買いに行ったのかい?
一人で?」
するとロリーは腰に手を当ててふんぞり返ると、得意気に「そうよ!」と言った。
「頼んでいた靴を受け取りに行ったのよ。
そのついでに、美味しそうなお菓子のお店が出来ていたから買ってきてあげたのよっ」
「へえ、ありがとう。あ、今履いているのが新しい靴だね?
うん、可愛らしいね。よく似合っているよ」
「そうでしょう?うふふ」
ロリーは嬉しそうに笑うとその場でクルリとターンを決める。
そんなロリーを「素敵だわ、ロリー」と微笑ましく見ていたアーリサは、はとっして言った。
「ロリー、まさか一人で行ってはいませんよね?」
「ええ!」
「良かった……侍女をどなたか連れて行ったのですね」
アーリサがほっと胸を撫で下ろした。お目付け役も大変だ。
「馭者が一緒よ!」
「それはカウントされません!」
「あらそう?」と気にもとめないロリーにアーリサは「そういう時は、私を呼んでください」と力なく言う。
「あら、アーリサも行きたかったの?仕方がないわねぇ。
でも、私も一応探したのよ?
なのに、部屋にも何処にもいないんですもの」
「あ……」
僕の部屋に来ていたからだな。
アーリサは眉をハの字に下げると「次はご一緒します……」とだけ言った。
ロリーにはまだ女神の雫の事を伝えないつもりのようだ。しかしそうすると、どうにもアーリサの挙動が不振なものになってしまう。
僕としてはロリーには言っても良いと思ってるんだけどな。
ロリーは何でもかんでもペラペラ喋るように見えて、案外「絶対にしゃべらないで」と事前に念をおしておくときちんと喋らないでいてくれる。
……念をおさないと、結構重大な話でもぺらっと喋ってしまったりするが。
「他に、街では何か変わったことがありましたか?」
アーリサがロリーの買ってきたお菓子をテーブルに並べて、お茶の準備を頼んでからロリーに訊ねた。
ロリーは「そうねぇ……」と少し考えてから、「あっ!そうだわ!」と何かを思い出して顔を輝かせた。
「やっぱりアーリサも来れば良かったのよ!
ふふっ、あのね、私 街でアーリサのお母様って名乗る女性に会ったのよ!」
「!!」
アーリサは目を見開くと、ガタン!と音をたてて椅子から立ち上がった。
顔色は紙のように白い。
僕は先ほどのアーリサとの話のなかで、「両親はいない」と言っていたのを思い出した。
「母さんが……!
取り決めがあるはずなのに……
ロリー、母さんに何を言われましたか!?」
突然のアーリサの見幕に、さすがのロリーもビックリする。
「ええと、この間街に行ったときの話を人伝に聞いて、貴女がコーフスネルにいるって知ったって言っていたわ。お屋敷に来たらって勧めたのだけど、近いうちに会いに行きますって断られたの。
……ねえ、アーリサ。どうしたの?恐い顔よ」
「近いうちに……」
ロリーの声はアーリサには届いていないようだった。アーリサしばらくぶつぶつと言っていたが、がばっと勢いよく顔をあげると、心配して覗き込んでいたロリーの両腕をつかんだ。
「ロリー、もしまた母が何かを言ってきても、話を聞かないでください。お願いします!」
「え、ええ……いいけれど……でも、なぜ?」
ロリーが勢いに飲まれて頷きながらもたずねる。
「ごめんなさい……、今はまだ、言えません」
アーリサは言葉に困ってうつむいた。
肩が少し震えている。
「そう……分かったわ!」
「!」
僕は驚いてロリーを見た。
あのロリーが空気を読むなんて、なんて大人になったんだ!
さすがに女学校で揉まれたのか、と感動しかけて、その笑顔がとてもにっこりと作り物めいていることに気づく。
……話が難しくなってきて、考えるのを投げたな。
ロリーは、どこまでもロリーのようだった。




