シロの魔力
父の書斎を後にした僕はシロを呼ぶようにメイドに伝えたが、メイドからの返答は見当たらない、というものだった。
僕の胸の内に不安の影が膨らむ。
先ほどの父の話の中に「シロは魔力が尽きかけていて、眠っている時間が多くなった」とあった。
それを思い出した僕は、背筋に冷たいものが走った。
この冬、僕は学生寮から戻ってシロの寝ている姿をよく見かけるようになったと思う。
姿が見えないことも多い。もしかしたら、何処かで眠っているのでは無いだろうか。
母の魔力を全て受け継いだというシロだが、……その魔力が、またも尽きようとしているのではないか? だとしたら……
シロがいなくなるかもしれない。
その事が、現実味を帯びて忍び寄る。
考えもしなかった、シロが居なくなるなんて。
千年も生きた人形は、この先もずっと僕の隣にあるのだと思っていた。
でも僕にはどうすることも出来ない。
母上のように魔力が多いわけでもない、僕には……
そこまで考えたところで、僕にふとある考えが浮かんだ。
母はどうして失われた古の魔術を知っていたのだろう?
何処かで聞いていたのか?
しかし魔力は多くても持病のあった母はあまり外には出られなかったと聞いている。
とすれば、思い当たるのは……
書庫、か?
僕はさっそく書庫に行くことにした。
失われた魔術の書のようなものがもし有るのなら、シロを失わずに済む方法もまた、そこに有るかもしれないという一縷の望みにすがりながら。
「あ、ハコル」
書庫につくとアーリサがテーブルに書物をうず高く積んで、埋もれるように読み漁っていた。
「やあ、アーリサ。……凄いね、本」
「あっ……すみません、ついつい関連の本に手を伸ばしていたら、こんな事に。
直ぐに元の棚に戻しますね」
「いや、いい。続けて」
僕は慌てて本を戻そうとするアーリサを制すと、書架の方へと足を向けた。
個人の所有物としてはかなりの蔵書数を誇る伯爵邸の書庫だが、幼い頃から暇にあかせて読み漁っていたせいで僕は何処に何があるかはだいたい分かっているつもりだった。
しかしやはり幼い子供には背表紙の読めない本も多かったので、改めてみると発見も多い。
もしかしたら古の魔術本も見つかるのではないか、と期待に胸が高鳴った。
夕食の時間で一旦中断したものの、僕は夜遅くまで書庫にこもって本を探した。
けれど手当たり次第探しても一向に見当たらない。
一通り探し終えた所で、僕は大きくため息をついてしゃがみこんだ。どっと疲れがでる。
そりゃそうだよ……、こんな分かりやすい所にそんな希少本があれば、前回シロの魔力が尽きかけたときにとっくに見つかってるよね。
父も必死にシロを助ける方法を探したはずだ。
それでも見つけられなかった。
母上、いったい どうやって知ったのですか……
しばらくそのまま項垂れていたが、いつまでも落ちこんでいても仕方がない。
僕は量膝をパンッと叩いて勢いをつけると、立ち上がって部屋に戻ろうとした。そして入り口付近にあるテーブルでアーリサがまだ本に埋もれているのに出くわした。
夕食後に僕が戻ってきた時には減っていたはずの本の棟は更に積み上がってその高さを増している。
「アーリサ、そろそろ部屋に戻ろうと思うんだが……」
僕は書庫に鍵をかけることを告げるが、アーリサは微動だにしない。
じっと書物を読み漁っている。
いったいどんな本を読んでいるのだろうと興味が湧いて、後ろからそっと盗み見ると、古語で書かれた難しそうな医術の本を読んでいた。
「アーリサ?」
僕は無いとは思いながらも、もしかしたらその本に何か打開策の鍵になる事が載ってはいないかと、アーリサに呼び掛ける。
しかしやはり反応がない。
「アーリサ」
その肩を軽く叩いてみる。
パシッと手を払われた。
僕はさすがにちょっとムッとして、彼女の肩をつかんで少し強めに揺すった。
「アーリサ!」
「きゃあ!はははい!?
……あ、ハコルさま、いつの間に戻って来られたのですか?」
アーリサはキョトンとして、聞いてきた。
「はぁ、そこからか……」
僕はがっくりと肩を落とした。
「食事が終わったら直ぐにここに戻ってきたよ。
君はすでに先に来て本にのめり込んでいて 全く気付いていなかったみたいだが、一言二言 言葉もかわしていたな」
「それは……失礼しました」
アーリサは少し頬を染めながら頭を下げた。
うん、まあ のめり込んだら周りの音が気にならないっていうのは、同じく本の虫としては分からないでも無いけどね。
「アーリサ、もう書庫を閉めるから、君ももう部屋で休んだ方がいい」
「もうそんな時間ですか……。分かりました、それでは直ぐに片付けます」
「手伝うよ」
恐縮するアーリサを軽く流して本をひょいひょいといくつか手に取り書架に戻していく。
戻しながらそれとなく本の内容について話を振ってみるが、古の魔術に関する内容は「こういうことが出来たらしい」程度の事は載っていても、その魔術をどうすれば行う事が出来るのかについては全く書かれていなかったらしい。
「あの、ハコルは古の魔術について調べているのですか?」
「うん、まあ、ちょっとね」
「……あの、それってもしかして……」
アーリサは何かを言いかけて、ピタリと足を止め僕の顔をじっと見ながら眉根を寄せる。
「あの、ハコル。顔色が良くないように見えます。
もしかして体調が悪いのではありませんか?」
そう言って僕の額に手を伸ばす。
僕は咄嗟にその手をつかんで顔を背けた。
熱を測られたくなかった。
しかし僕に手を止められたアーリサは、ハッと顔を強ばらせる。
「!やっぱり!手が熱いです!」
僕は思わず顔をしかめた。
本当は夕食を後に書庫に戻って来てから少し調子がおかしかったのだが、どうも悪化したようだ。
しかしこのくらいはいつもの事で、いちいち大事をとっていたら僕は何も出来ない。
もしかしたら、もうあまり時間がないかもしれないのに。
「大丈夫だ、このくらいなら どうということはない」
「でも……!」
「お願いだ、アーリサ。騒ぎにしないで。
……シロを、呼ばないで」
「ハコル……」
懇願するとアーリサは眉をハの字に下げて困った顔をした。
僕はそんなアーリサに困らせて申し訳ないとは思いながらも、どうしても譲る気にはなれなかった。
「ハコルさま、どうされましたか?」
「!」
すると誰も居なかったはずの書庫の奥の方からシロが歩み寄ってきた。
僕たちは揃って悲鳴をあげそうになる。
「どっから湧いてでた!」
全くもって本物の猫のようだ。足音もしなかった。
ドキドキと早鐘を打つ心臓を宥めながら僕が睨むと、シロは飄々とした様子で「ずっと、ここにおりましたよ」などと言う。
シロは僕が続く文句を言うよりも早く僕に近寄ると、そっと背を撫でながら僕を促した。
「歩けますか?ハコルさま。
お部屋までお送りいたします」
そう言って僕の手をとる。
僕は咄嗟にそんなシロの手を払いのけた。
反動でよろけそうになったところをアーリサが支えてくれる。
シロが払いのけられた手を宙に留めたまま、金色の目を見開いて僕を見ている。
僕は咄嗟にアーリサの手をぎゅっと握ると、シロに言った。
「大丈夫だ、シロ。
僕は今日、お前の言う通り父上と話をした。
女神の雫の力を使ってもアーリサの命に危険はないという話も聞いて、納得もした。
だから、今日からアーリサに魔力を分けて貰おうと思う」
「ハコル」
突然の事に驚くアーリサの目を見つめると、僕はなるべく余裕があるように見えるように微笑みながら、アーリサに頼んだ。
「良いだろう?アーリサ」
どうか、断らないで。
僕にシロの魔力を受け取らせないで。
だんだんと上がってくる熱に視界が潤む。
呼吸が辛くなってきて、はく息が熱くなるのがわかる。いけない、早く休まなければ。
そんな僕の切実な願いを受けたアーリサは、何故か顔を真っ赤にしながらひきつらせ、それでも「は、はい」と了承してくれた。よかった。
今までシロの看病を断ったことのない僕の言葉にシロは反対するかと思ったが、ヤレヤレといった風なため息を一つつくと、体調が戻らなかったら必ず自分を呼ぶようにとアーリサに言い含め、それでもと部屋まで僕をおぶって連れていきベッドに寝かせてくれた。
「それでは私は馬に蹴られる前に失礼いたします」
シロは水などの手配をした後そう言って優雅に一礼すると、部屋を退出していった。
「シロさん!もう、違います!」
「うま?何を言っているんだ、あの猫は……」
僕がぼうっとしながら呟くと、アーリサが顔を赤くしながらキッと振り返り、僕の手をパシンと叩いた。
「本当に、本当に紛らわしい!」
「……アーリサ、顔が赤いね。もしや僕の風邪がうつってしまっ……?」
「もう、ハコルは黙っていてください!」
涙目で睨まれた。
僕は納得いかないながらも目を閉じる。
そうして そのままストンと眠りに落ちていった。