伯爵の帰宅
次の日は朝から ちらちらと雪が舞っていた。
昼を少しまわっても寒さの緩まない中、ここ伯爵邸の正面に一台の黒塗りの馬車が止まった。
伯爵家の紋章の入ったその黒塗りの馬車からは落ち着いた雰囲気のよく似た顔の美男美女が降りてくる。
父と叔母……伯爵とロリーの母だ。
その洗礼された動きには無駄がなく美しい。そう、いつもなら。
しかし今日は長期滞在からの帰還だ。
おまけにロリーとぼくが揃っているとなれば、父達の警戒も致し方ないだろう。
ぼくはステッキで地面をバシバシと叩きながらまるで爆発物でも埋っているかのように慎重に歩みを進める父に挨拶をした。
「お帰りなさい、父上、叔母上。
何をなさっているのですか?」
「おお、ハコル!会いたかったぞ!」
父は両手を大きく広げた。
広げたまま、微動だにしない。
しばらくそのまま見ていると、広げた手がコイコイとぼくを呼んだ。
疑心暗鬼過ぎだよ、父上。
ぼくはにっこり笑いながら父上の元に行った。
父はぼくの歩いている道をじっと見て記憶しているようだ。ここはあえてステップを踏んでおこう。
「おお、大きくなったな!」
「変わってませんよ」
「ははは、そうか?
学校はどうだ?」
そう言ってぼくを促して歩き始める。
僕がさっき歩いた道をそのままに。
その直ぐ後ろを叔母が続く。
「父上、もう落とし穴など掘っておりませんよ」
「うん?そうか。
あれは何時だったかな、見事な穴だった。なあ、ルマンダ」
「ええ、そうね兄様。子供にあんな見事な穴が掘れるとは、驚きましたわね。
まさか二人分の穴を掘り上げるなどと……おほほほほ」
「ははははは」
父が笑顔の奥で「今年はなんだ?」と聞いてきているので、僕も「なんでしょうね?」という思いを微笑みにのせて返す。
父の笑顔がより深まった。ちょっと怖い。
「ロリーが見当たらないわね」
「おお、そうだな」
「ここですわ、お母さま、叔父様!」
ロリーがホールの奥から優雅に歩いてきて礼をする。
その少し後ろにアーリサもいた。
「おお ロリー、少し見ない間にまた美しくなったね。さすがは私の自慢の姪だ」
「ふふ、やだわ叔父様!」
「ハコルもロリーの美しさに目を奪われて声もないようだね」
「いえ、ここ毎日会っているのでこれといった感想はないですね」
父が話を振ってくるのに淡々と答えると、父はとたんに小さな子供に言い聞かせるように僕に言った。
「ハコル、12にもなって美しい女性を前に賛美の言葉もスラスラ出ないようでは、相手のお嬢さんに失礼だよ。紳士たるもの何時いかなるときでも社交辞令くらいは言えなければね」
「まだ12でスラスラそんな言葉が出る方が可笑しいのだと学校で学びましたので」
父の教育で 常に女性には挨拶とセットで賛辞を送るようにしていたし、それが普通だと思っていたのだが、学校に通うことで どうも世間は違うらしいと気づいた。
ぼくは特別な事を言っているつもりはないのに、周りの友達には気持ち悪いと言われた。
女性教師には受けがよかったが。
「何だと。紳士たる振るまいかたは 上級生から下級生に指導する伝統があったはずだが、廃れてしまったのか……?いやはや 嘆かわしいね」
その時代に生まれなくて良かったです、という内心の言葉は面倒が増えそうなので飲み込んだ。
しかしこのままでは何時までたっても玄関ホールから移動できない。
はぁ、仕方がないな……
僕はロリーに向き直り、ニッコリ笑って両手を広げた。
「ロリー、今日の君はいつも以上に可憐だね。雪の中に咲くリーリィの妖精のようだよ」
「きぃっ!腹立たしいったら!!」
怒られた。
父上、「ロリーは照れ屋さんだね」とか言ってないでフォローしてください。
まったく、これだから社交というやつは理解不能だ。
地団駄を踏むロリーの後ろでアーリサは「なるほど……どうりでやたらと言動が……」と一人納得していた。
その後のサプライズは大成功だった。
食堂に着いてドアが開くと、僕の誕生祝いの席が設けられていた。
父が自信満々に「はっはっは!どうだ、驚いたかい?ハコル、誕生日おめでとう!」と言い、叔母が「ほほほ、サプライズ返しよ!」と嬉しそうに言った。
僕が知っていることを父達は知らないようだ。
モルゾイの顔を見るとスッと顔を背けられた。
……言えなかったんだな。
完全にサプライズに成功したと思ったらしい父と叔母がテーブルに近づき、悲鳴をあげた。
「なっ、なっ、なんだ!?これはっ!!」
「きぃやぁあぁ~~~!!!」
……まあ、普通はそういう反応だよね。
僕も、朝から見ていたソレに目を向けた。
テーブルには豚の頭の丸焼きがでん!と鎮座している。
おまけに落ち窪んだ眼孔に無造作に花が刺されていて非常にシュールだ。口にもなんやかやとフルーツが捩じ込んである。
「うふふふっ!驚いた!?
私たちもう子供っぽいイタズラは止めることにしたの!
長旅でお疲れのお母様と叔父様のために、私たちとっておきの東国料理を用意したのよ!」
ロリーが嬉しそうに言ってアーリサと二人で顔を見合わせてニッコリと笑い会う。
僕は最初の衝撃から立ち直りかけた父と叔母が、本心から良いことをしたと思っているロリーとアーリサを叱らないように牽制をしておく。
「父上。今年はどういうサプライズにするかを考えたとき、アーリサの発案でお二人がが喜ぶ物にしようということになったのです。それで、栄養があり インパクトがあって美味しいものを準備しようということで、みんなで書庫を片っ端から調べて準備したのですよ。勿論、紳士たるものそんな子供達の純粋な真心を無下にしたりはしないですよね?」
「うっ」
父は短く呻くと、必死にこの場を乗り切る方法を探して目を泳がせている。
「お母様、調理をしたのはほとんど料理長ですけど、私もアーリサと精一杯お口にお二人のお好きなフルーツを詰めましたのよ!」
「ううっ」
ロリーの誇らしげな顔に、叔母が胸てを当てて痛そうな顔をする。
「あの、私も僭越ながら。お二人には言葉では言い尽くせないほどお世話になっておりますもの。感謝の気持ちを込めて飾りましたわ」
「うううっ!」
「可愛らしくなるように花を飾りましたの」とはにかむアーリサに、おそらくこの場のロリー以外の全員がアーリサのセンスを疑ったと思う。
しかしさすが社交界の彗星と歌われる父は立ち直りも早かった。
「そ、そうか。ありがたいな、はは、は。
それじゃぁ ルマンダ、いただくとしようか?」
「!?」
驚愕に目を見開く叔母にだけ聞こえるように父が「調理は料理長がしているそうだから、見た目はアレだけど、大丈夫だ。たぶん」と言った。
叔母は豚の頭からロリーとアーリサに視線をずらし、観念したように「そうね」と力なく頷いた。
結果として切り分けられた豚の頭はとてもおいしかった。
ロリーが「私が切り分けてみたいわ!やらせて!」とナイフを手に取り、豚の頭にブスッと突き立てた時は叔母が白目を剥いて大変だったが。
楽しく食事をして、すっかり影が薄くなった僕の誕生パティーは幕を閉じた。
各自の部屋に戻るとき、僕は父を追いかけて 少し話をしたいと切り出した。
胸の鼓動を必死に落ち着かせながら返事を待つと、父は「後で私の書斎に来なさい」と優しく言った。
書斎に行くと、父が机に寄りかかって書類を見ていた。
撫で付けていた髪を下ろしているので、いつもより少しだけ若く見える。
「やあハコル、来たね。さあ、お掛け」
そう言ってソファーを勧められたので腰かける。
斜め向かいに父も腰掛け、ゆったりと足を組む。
言動はともかく、僕は父の仕草を学校でこっそり真似ていたりする。基本的に洗礼されているのに、ふとしたときに今みたいな粗野な仕草をするのが格好いいと思ってしまうのだ。絶対に言わないけど。
しかし いくら僕が真似してみても、どうにも様にならない。足を組んでも少しも楽ではなくて、いつも直ぐに戻してしまう。
何故だろう。長さのせいだろうか?
「それで?どうしたのかな?」
ついどうでも良い事を考えてしまっていると、父に優しく促された。
僕はなんと言ったものかと少し考えたが、素直に聞いてみることにした。
「父上、魔力の事についてお聞きしたいのです」
「何かな?」
「私は学校で魔力とは生命の源であると習いました。魔力とは大なり小なり誰しもが持っているもので、それが枯れると命を落とす、と」
「うん、そうだね。概ねそんなところだね」
父の森色の目が少し細められる。
「そして、僕の魔力はとても弱い。自力で生命を維持できないほどに。……だからすぐに倒れてしまう」
「その認識は少し違うね」
いつの間にかうつ向いてしまっていた顔をあげると、父と正面から目があった。
「ハコル、君も大きくなった。生まれた頃は一年持つかどうかと言われていたのに、誕生日を迎えて十三になった。無理だと言われていた学生寮生活も送れている」
「早めに帰ってきてしまいましたけどね」
「許容範囲さ」
父は軽く肩をすくめた。
そして再び真面目な顔に戻る。
「だから、誤魔化さずに話そうと思う。君自信の事をね」
「はい」
答えながらテーブルに置かれたカップをそっと手で包み込む。
じんわりと伝わる熱が僕を勇気づけてくれた。
「君の魔力量についてだが、君の命を支えるのと同程度の量がある」
「えっ!」
僕は驚きの声をあげた。
だってそうだろう?
「それならば何故、僕はこんなにも病弱で、……いえ、それよりも、では母上は……」
「待ちなさい、続きがある。……座りなさい」
気が高ぶって立ち上がっていたようだ。父に制されあせる気持ちを押し止めつつ椅子に座り直す。
父は僕が腰掛けると一つ頷いて続きを話始めた。
「ハコル、君には君の命を支えるだけの魔力の許容量がある。ただし、体内で作り出される量がとても少ないんだ。
だから何らかの理由……例えば風邪を引いたりといった事が起こると、体力だけでなく魔力をも消費されてしまい、そして君はそれを補うのにとても時間がかかってしまうんだよ。
魔力は魔術を使ったときのみに消費されると思われがちだが、人は常にそれを消費しながら生活しているんだ」
「作り出す量が、少ない……」
そうだったのか。
てっきり魔力が少ないから病弱なのだと思っていた。……いや、魔力の回復量が少ないという点で結局 病弱なのは魔力が原因なのだから、あまり変わらないのか。では、やはり……
「では……あの、やはり母上は……僕に ご自分の魔力を与え過ぎて無くなったのですか?」
「!?
ハコル、どこでその話を聞いたんだい?!」
おずおずと答える僕に父は驚きに目を見開き問うてきた。
僕は頬を叩かれたような衝撃を受けた。
やはりそうだったのだ。
父の驚きが、僕の問いが正しかったことを証明している。僕が、母の命を吸いとってしまったのだ!
分かっていたことだ。使用人達の話を耳にしてしまったときから、僕は罪深い存在なのだとずっと分かっていた。
それでも 昨日シロが、僕のせいではないと言ってくれたから、もしかして僕はそんな業は背負っていないのではないかと……愚かにも、思ってしまったのだ。
「父上。父上は先ほど僕に誤魔化さずに話すと言ってくださいました。
どうぞ本当の事を話してください」
冷静になれ、と念じながら出した声は少し震えてしまった。体も、抑えようとしても小刻みに震えて止まらない。
そんな僕を見た父はそっと立ち上がると僕の前にやって来て、僕を胸に抱きよせた。
「なんて顔をしているんだい、ハコル。
君がそんな顔をする必要など、何処にも無いんだよ。
お母様はね、病気だったんだ。胸の臓器に小さな穴が開く病気でね、亡くなったんだよ。
今の医術では助からなかったんだ。君のせいじゃない」
「でもっ!魔力が!
母さまは魔力が豊富だったのでしょう!?
なら助かったのではないのですか!?」
感情が高ぶり、僕は母を子供の頃のように呼んでしまっていたのにも気づけない。
父上が僕の背中をさすりながら、悲しい声で言った。
「魔力はね、万能では無いんだよ」
それは昨日のシロの言葉と同じものだった。
僕が「どういうことですか」とくいさがると、父は僕のすぐ隣に腰掛け直し、僕の肩をぽんぽんとあやすようにたたきながら話してくれた。
「確かに魔力がつきると死ぬし、魔力が多い人間は他の人より体が丈夫であったりする。
でもね、魔力が多ければ病にかからないというわけではないんだ。
サラナレア……お母様はね、生まれながらに病気を患っていたんだ。持ち前の魔力で生き長らえていただけで、彼女もいつ亡くなってもおかしくないと、ずっと言われていたんだよ。
そして、命の尽きる前に、君に自分の魔力を永続的に少しずつ与えてほしいと言って、シロにありったけの魔力を預けたんだ」
「え……、シロに?」
「そう。シロはね、千年前の伯爵が魔力の作れなかった自身の息子の為に作った人形なんだよ。
伯爵自身は魔力も豊富で、彼が生きている間は伯爵が少しずつ魔力を供給できた。しかし何時なんどき自分が死ぬとも限らない。それでも息子には幸せに生きて欲しかった。
そこで当時の高度な魔術を駆使して伯爵が死んだ後も子供に魔力を供給するための魔術具を作り出したんだ」
しかし、伯爵は心配をよそになかなかに長命だったらしい。
それはそうだろう、持病も特になく魔力も豊富とくれば、戦争でもない限りそうそう死なない。
お陰でシロに蓄えられた魔力はたっぷりと残ってしまった。
シロは伯爵の家族に代々愛された。いつ切れるとも知れない魔力を糧に、千年の長い間 子を、その孫をと見守り続けた。
そしてついに、その長い年月に終わりが見え始めた。魔力がしだいに尽き始めて眠る時間が多くなった。
そんなシロを父は悲しく思ったそうだ。
母はそんな父の心情を察し、そして自分の命がもうすぐ尽きるであろう事も察していたようだ。
父に二重の悲しみを与えない為と、僕のこの先の人生を少しでも永らえさせるために、己の魔力を全てシロに渡して、母はそのまま眠るように亡くなってしまった。
「通常、女神の雫の力では魔力を全て誰かに渡すことは出来ないはずなんだがね。
彼女が何処からどうやってその失われた魔術を知ったのかは、分からないままなんだ。
ただお母様は、皆の幸せを願っていた事だけは確かだよ。
だからね、ハコル。君は何も悪くはないし、自分を責めてはいけない」
そう言って悲しそうに僕の頭を撫でた。
僕は歪む視界の中で父の本心を見た。
父は後悔しているようだった。
おそらく、母の残り少ない時間を奪ったのは自分の弱さを知られてしまったせいだと、思っているのではないか。
微笑んでいる父が、泣いているように見えた。
「それでは僕は母上を誇ることにします。
僕の母は勇気と判断力があり、頭がよかった。
そんな母上が僕と父上に幸せになってほしいと願ったのなら、僕らは母上の願いを叶えて差し上げなければなりませんね」
僕は涙を拭いて 父の目を真っ直ぐに見上げながら言った。
いつもの飄々とした父に戻って欲しかったから。
父は僕を見返して目を見開くと、「いやはや、ハコルには驚かされてばかりだよ、いつの間にか大きくなったなぁ!」と言って破顔し、両手で僕の頭を揉みくちゃにしたあと、ありがとう、と小さく呟いた。
父と話してみてよかった。
もしかしたら、父も誰かに話したかったのかもしれないな、と思った。