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千年の時を越えて  作者: 月影 咲良
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旅立ち

 王都から戻って数日が過ぎた。


 僕は鏡の前で数ヵ月ぶりの学院の制服に袖を通す。

 濃い赤茶の落ち着いたブレザーを着た自分は、コーフスネルに帰ってきた時と何も変わっていないように見える。


 そう。ここに帰ってきていたのは本当にたったの一冬だったのだ。

 たった一冬の間に、僕を取り巻く環境は変わってしまった。

 アーリサと出会い、僕の知らないところで進んでいた女神の雫の力に関わる話を聞いた。ハンミルテに捕らわれ逃げ出し、アーリサの力で魔力不足から解放された。

 ……そして、長年僕を支えてくれていたシロを失った。


 制服の上から一枚だけコートを羽織ると、鏡の中でシロがいつものようにお小言を言っている姿を鮮明に思い出す。


『ハコルさま。そんなに薄着では風邪を引いてしまいますよ。シロのお手製のマフラーをお持ちします』


 そう言って、僕をぐるぐる巻きにしていた。

 そっと振り返って、記憶の通りに背後に目を向ける。そこにシロの姿はなく、ガラス越しの朝の日差しが薄いレースのカーテンを通して室内に暖かな光を届けているのみだった。





 エントランスに降りると、すでにアーリサがいた。

 相変わらず 落ち着いた色のショールのみを羽織った姿で、僕は ほっと息を吐いた。


「待たせたかな」

「いいえ」


 声をかけると振り返ったアーリサが穏やかに微笑んだ。

 ……可愛いな。

 これはもう、好きでいいんじゃないだろうか。


 僕がアーリサの微笑みに思わず伸ばしかけた手を自制していると、アーリサが改まった表情になって僕の方に向き直った。


「ハコル様、お世話になりました」

「アーリサ、顔を上げて。

 ここはもう、君の家のようなものだよ。

 遠慮はしなくていい。この先何か問題が起きた時は直ぐに連絡して」


 深々とお辞儀をするアーリサに、僕は頼もしく見えるように余裕のある笑みを向け伝える。


「あと、様はいらないよ」

「そういう訳にはまいりません」

「君は伯爵家の使用人ではなく、伯爵預かりの優秀な学生になったんだ。僕の事はこれまで通りハコル、と」

「でも……」


 戸惑うアーリサに、僕は少し考えて見せてから提案を伝える。


「そうだ、アーリサ。君に一つ頼みがあるんだ」

「何でしょう?」

「僕も出資者側の人間として君の研究を知っておきたいと思っているんだ。

 けれど生憎そんなに植物については詳しくなくてね。

 時おり近況報告を兼ねて手紙で僕に指導してくれないかな?」

「指導を、私がですか?」

「そう。だめたな?……まあ、アーリサも忙しいし、僕にまで時間は避けないかな」


 僕が少し悲しそうに言うと、アーリサは慌てて「いえ、大丈夫です!」と言った。


「でも私なんかでいいんですか?ハコルの学院にも優秀な先生は居るのでは?」

「僕は優秀な先生には興味はないんだ。君の研究だから、知りたい」


 僕がアーリサの手をとり紳士に告げると、アーリサは少し考えてから「わかりました」と頷いた。

 ……絶対、僕のアーリサから手紙が欲しいっていう思惑はわかっていないだろうな。


 そう思いながらもニコリとアーリサに笑顔を向ける。

 するとアーリサが少し警戒した面持ちで僕を睨んだ。


「……ハコル、何か企みました?」

「企むなんてそんな、人聞きが悪いよアーリサ。

 ただ、そうだねぇ。

 君は今、僕の先生になったわけだけれど、これから僕は君をアーリサ先生(・・)とお呼びしないといけないなぁ、と」

「!」


 アーリサの漆黒の瞳が真ん丸に見開かれる。


「ああ、言葉遣いにも気を付けないといけないかな。よろしくお願いいたします、アーリサ先生」


 アーリサの手を顔の前に持ち上げ、手の甲にキスをしようとすると、物凄い勢いで手を奪い返された。

ち。


「やめてください!今まで通りでお願いします!」

「そういう訳にはいきませんよ、アーリサ先生。

 ああでも、貴女が僕と対等に接したい、と仰るのでしたら そのように致しますが?」


 その場合、アーリサは僕のことを今まで通りでハコルと呼んで貰う。

 そう告げて返答を促すと、アーリサは顔を赤くしてプリプリと怒りながらも承諾した。



 エントランスから外に出ると使用人が揃って見送りに来ていた。

 恐縮するアーリサを馬車に乗せ、振り返って皆を見渡す。


「いってらっしゃいませ」


 揃って使用人たちが頭を下げる。

 その先頭に立つモルゾイの隣に、いつもいた猫の姿はない。



「行ってくる」



 そう言って僕も馬車に乗り込む。

 程なくして馬車がガタゴトと動き始めた。

 窓から屋敷に目をやると、幸福そうに微笑むシロの姿が見えた気がした。

 慌てて窓に張り付くと「どうしました?」とアーリサが声をかけてきた。


「今、シロが……」

 そう言いかけてよくよく目を凝らしてみたが、もうそこには使用人達の姿しかなかった。


「シロさんが?」

「いや……」


 僕は ふっ、と 息を吐いて座り直す。


「シロが、僕の新しい出発を喜んでくれているような気がしたんだ」

「ええ、シロさんなら きっと応援してくだいます」


 アーリサが励ますように僕の手をとり、握る手に力を込めた。

 そこからはもう魔力が流れ込んでくるようなことは無いけれど。

 繋いだ手ごしに伝わる温もりは、僕に強さを届けてくれている。

 そんな気がした。



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