将来
王都につくともっと驚くかと思ったアーリサは案外落ち着いていた。
でもそれはそうか。一時とは言えアーリサは王都に行っていたのだ。あまり街中をウロウロしたような話は聞いていないが、初めて目にするわけでもないのだ。
気晴らしに驚かせたかったんだけどな。空回ってしまった。
しかし植物園に着くと、それこそ街中よりよほど馴染みが有るだろうにアーリサは頬をほんのり染めてそわそわとしだした。
僕は城へ行かなければならないから、と説明するも、上の空だ。
「それじゃ、お昼過ぎには戻ってくるからね」
「は、はい……」
目が僕を見ていない。
「もしお腹が空いたら先に何か食べていて構わないから」
「ええ、はい……」
…………。
「アーリサ、僕の事好き?」
「ええ、はい……」
「……」
はあ、と僕は肩を落としてため息をついた。
ちょっと試しに言ってみただけのつもりだったが、なぜこうもダメージを受けるのか。
虚しい……
「アーリサ!」
「ひっ!」
視線の前に顔を割り込ませて名前を呼ぶと、珍獣に会ったかのように驚かれた。
僕はムッとして少し意地悪な気持ちになる。
「酷いな、僕の顔を見て悲鳴をあげるなんて」
「あっ、ご、ごめんなさい。その、ハコルが突然目の前に顔を出すものだから……」
「突然?……はぁ。本当に全然僕の話を聞いていなかったんだね。
君は僕に愛の言葉を囁いたその口で僕を拒絶して翻弄するんだ」
胸元を押さえて大仰にため息をついて見せる。
アーリサが「あ、愛の言葉?」と少し頬を染める。おお、予想外にいい反応だ。
しかしそれに対し「そう。さっき言ったじゃないか。僕を好きだって」と彼女の艶やかな黒髪を少しすくって軽く口付けてから答えてあげると、途端にうろんげな目付きに変わった。
ぱっと髪を奪い返される。
「ハコル、私は上流階級の事はよく解りませんし伯爵の教育のせいと分かっていますが……そういう軽い発言は控えた方が良いと思います!
誤解をうみますよ!」
叱られた。
本当なのに……
アーリサにもう一度予定を説明して、僕は城に向かった。
父に取り次ぎを頼み 執務室近くの部屋で待っていると、何処から聞き付けたのか似たような白粉顔の知らないおばさんが次から次に訪れて「お父様はとても素敵な方ね」とか「お母様がいらっしゃらないのは寂しくない?」などと話しかけてくる。
母の後釜狙いなのを隠しきれていない。
正直なところ面倒で仕方がなかったが、失礼があってはいけないので父の教え通り適当に受け答えをしていたら、途端に部屋が女の人で一杯になってしまった。
「おや、私の息子は随分と人気者のようだ」
いい加減うんざりしていたところへ父が現れて目を丸くした。
その後流れるような手八丁口八丁で吹き溜まっていた貴婦人方を部屋から放流する。
さすがだ。
アーリサもこれを見れば僕の認識を改めると思う。
僕はこんなに背中がむず痒くなるような台詞は言えない。
「さて、どうしたね?こんなところまで。
もちろん、ハコルが慕って来てくれるのは父様としては嬉しいがね」
女性たちを体よく追い払い、椅子に軽く腰を掛けておいでおいで、と膝の上に誘ってくる父。
驚きの子供扱いに、そういえば僕は幼い頃に母を失った寂しさから何度か城に父上に会いに行った事がある、という話を思い出した。
しかしそれは幼い頃の話だ。
思い出したように子供扱いに戻る父だが、当人はその事に気づいている様子はない。
「水盆の事で少しお話を聞きたくて来ました」
「水盆?」
僕が脚をぽんぽんする父を無視して椅子に座り直し 話を切り出すと、父は少し寂しそうな顔をしながらも答えた。
「水盆がどうかしたのかい?」
「あの水盆を使って以降、アーリサは魔力の戻りが悪くなり、僕は魔力が減りにくくなったように感じます」
「なに!それは本当か!?」
父はさっと立ち上がり僕の傍らにやって来た。
「確実なところはまだ何とも。
しかし現に僕はあれからアーリサに魔力を補われるでもなく冬の庭に出ようとも風邪も引いていません」
「なんと……なんということだ……、ハコル!」
父は僕に震える手を差しのべると、しっかりと僕を抱き止めた。
「あぁ、神よ……感謝します。……サラナレア」
母さまの名前を小さく呟いて喜ぶ父に僕まで胸が暖かくなる。
そうして少しおいてから、僕は父に話を続けた。
「それで、その水盆の研究をアーリサに任せるのはどうかと思ったんですが。
当事者ですし、アーリサは女神の雫というとても貴重な魔力を僕にくれたことになります。
そんなアーリサを力が無くなったのでお払い箱にする訳にはいきません」
「それは、アーリサが研究したいと言ってきたのかい?」
「いえ……」
「ならば、やめた方がいい。
確かに魔力という事を考えればアーリサは適任かもしれない。でもね、彼女は植物の研究をしたいはずだ。それは知っているだろう?」
「はい。しかし……それでは術学士の称号を手に入れるのは難しいでしょう」
「……あぁ、なるほどね」
父は優しく笑った。
物凄く優しく、目が笑っている。
「青春だねぇ、ハコル」
僕は気恥ずかしさと共に苛立ちを覚えた。
来年はまた屋敷の前に落とし穴を掘ろう、と固く心に誓う。
僕がそんなことを考えているとは露知らず、父はニヤニヤ顔を引っ込めて顎に手を当てて考えながら言った。
「しかし、やはりそれはできないな」
「何故です」
「水盆がもうない」
「え!?」
僕は驚き腰を浮かせた。
「ハンミルテとその妻に使ったのだが、老朽化が進んでいたのかそれで跡形もなく壊れてしまったんだよ」
「ハンミルテに?」
「ああ。水盆の効果のほどを確かめなければからなかったからね。
それに、妻に魔力をというハンミルテの願いも叶えてやれる。
一石二鳥だろう?
……ハンミルテは随分と抵抗していたがね」
「え、抵抗したのですか?」
あんなに妻のためなら何でもすると言わんばかりだったのに?
不思議に思う僕に父は苦いものを噛んだように顔をしかめた。
「ハンミルテは、妻のために何でもする『自分』が好きだったんだよ。自分に酔うのは、よくあることだ。
妻のためと声高に叫びつつ、自分の魔力を失う可能性が出てくると、急に『子供には父親が必要だ!私は生きなければならない!』と叫びだした。
それで部下だった男を使えと来るのだから、呆れる。
まあ、お陰で良心の呵責に悩まされることもなく試せたがね」
「そう、だったんですか」
「がっかりしたかい?」
僕はハンミルテとその妻エデラの事を思い出した。
「そうですね。
それでも、ハンミルテには精一杯の愛情だったのでしょう。
父上、彼女の部屋の前には絨毯が敷いていなかったんです。
目の見えないエデラに、人の気配を感じやすくして、寂しい思いをさせまいとしているようでした」
僕が言うと、父は「そうだね。そうかもしれない」と少し目を伏せて笑った。
「とにかく、水盆は使えなくなったわけだが、私はハコルの力になれると思うよ。
さあ、父にその心の内を全て打ち明けてごらん?」
父が優しく促してきた。
目が三日月のようにイヤらしく笑っていた。
僕は、落とし穴は3メーターにしよう、と決意も新たに 願いを口にした……
植物園に戻ったのはお昼をいくらか過ぎてしまった頃だった。
アーリサはもう何処かに食事をしに行ったかと思ったが、植物の本とメモ帳を手に園内で観察に没頭していた。
一緒につけていた屋敷の使用人は数歩離れた所で所在なげにしていたが、僕の姿を見てあからさまにホッとした顔になった。
いはく、休憩もせずに朝からずっとこの調子だとか。
「なるほどね。確かに父の言う通りだったな」
僕は自分の欲ばかりを優先してしまった事を反省した。
確かに、彼女はこちらの方が合っているようだ。
僕の来たことに全く気づかないアーリサと植物の間に無理矢理顔を割り込ませて休憩を言い渡すと、僕らは食事をしに場所を移した。
植物園内に設けられたティールームは冬にもかかわらず日が差し込んで暖かい。
珍しい香草をふんだんに使った食事を堪能した後、僕はアーリサに父との話し合いで決めた事を伝えようと口を開いた。
「アーリサ、君に話があるんだ」
「はい」
アーリサは飲んでいたハーブティーについて何やらメモしていたが、僕が切り出すと顔をあげた。
「今回の事で君は女神の雫ではなくなり、また僕は君のお陰で魔力に悩まされることも無くなった。
だからこの先君を雇う理由が無くなってしまった訳だけれど……」
僕が話始めると、アーリサが顔色を青くして席を立つ。
かしゃん、とカップがソーサーに当たり、中の薄緑色のハーブティーが辺りに跳ねて染みを作った。
「あ、あの!
もうしばらくお屋敷に、置いて貰えませんか!?
私たち、直ぐには住む家も無くて、お金も……っ
私、何でもします!掃除でも、使い走りでも!
せめて……せめて、弟妹達がもう少し大きくなるまで……お願いします!」
「アーリサ、落ち着いて。
僕の話を聞いて」
慌てるアーリサに座るように促し、そばに控える侍女にお茶を取り替えるように言う。
侍女は流れるような所作でアーリサのカップを下げて辺りを整えた。
その侍女の落ち着いた対応に「あ」と小さく声にすると、アーリサはなんとか腰を据えなおした。
僕は一口ハーブティーを啜る。
僕のカップには薄い紫色のお茶が満たされていて、瑞々しい香りがほのかに鼻孔をくすぐった。
「なにも今すぐどうこうしようというのではないんだ。
でも、もし君が本当に職を得たいと思うなら……」
ちらり、と緊張した面持ちのアーリサを見やる。
「植物園の研究生にならないか」
「え……?」
アーリサは何を言われたのか解らない、という風にきょとんとした。
「君には今の女学院を出た後、王都の植物研究室に勤めて貰いたい」
「ほ、本当に?
でも、何故……?」
じわじわと驚きに目を見開く彼女に、僕は父から聞いた話をする。
「アーリサ、君は女学院では生物学の教師の助手のような役割をすでに勤めていると聞いたよ。
その教師がね、君の学力を非常に惜しんでいた。
君なら将来社会に役立つ研究成果を残せるだろうに、その資質があるのに、とね」
「そんな、先生が……」
アーリサは口許をおおって瞳を潤ませ感激している。
能力を認められるのは嬉しい事だろう。
「やる気はあるかい?」
「有ります!」
アーリサは力強く答えた。
「夢のようです……!」
「そう。では頑張って。
勿論、その間の君の身柄は変わらずコーフスネル伯爵預かりとなる。
休みの日には、自宅として帰ってくるんだよ。
弟妹も君を待っているから」
「ありがとうございます、ハコル、ありがとうございます……!
どうやってこのご恩をお返しすればいいのか……」
「必要ないよ。君は君の持つ女神の雫の力を僕にくれた。それで十分だよ」
「でも……」
「うーん、ああ、そうだな。
それなら、薬学で宮廷薬術博士になってくれるかな?」
「えっ!それって宮廷に上がれる、低位とは言え爵位と同等の身分が許されている役職ですよね……」
アーリサが戸惑いに瞳を揺らす。
「どうかな、目標があった方が君も頑張れるだろう?
君は優秀だし、元女神の雫の力の持ち主で植物の力の流れ方にも詳しく、薬学の方面でも期待できると父も評価している。君なら不可能ではないだろう、とね。
そして、そうだな……将来的にはコーフスネルに戻り貢献してくれると投資したかいもあるというものだ。これは僕の打算だけれどね」
僕の言葉に、アーリサの中で恩返しになると認定されたらしい。瞳に決意が灯る。
「……はい。やります、私!
必ず、宮廷薬術博士になってハコルの力になります!何年たとうとも、必ず!」
「頑張って」
アーリサの力強い承諾を受け、にこり と僕は笑った。
できれば僕がおじいちゃんになる前にしてほしいな、という望みは胸の内だけで付け加える。
そんな僕の腹の中の呟きなど知らないアーリサは「そうと決まれば1秒たりとも無駄にできません!」と言うと、新たに淹れられたお茶をくーーーっと飲み干して、直ぐに植物園に引き返していった。
僕は、話は帰りの馬車ですれば良かったな、と少しため息をついた。




