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千年の時を越えて  作者: 月影 咲良
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それぞれの想い

 次の日は、朝から雨がしとしとと降っていた。

 雪解けの雨だ。

 この雨が降り始めると次第に春が近づいてくる。

 長かったコーフスネルの冬が、終わろうとしていた。




 アーリサの母の葬儀は彼女の弟妹と僕とロリー、付き添いのモルゾイのみで行われた。

 修復師によって整えられた遺体は蝋人形のように現実味がなかった。

 しかし柔らかな微笑みを浮かべた顔はアーリサに似ていた。改めて、アーリサの生母なのだと思った。

 彼女は最後に、何を思ったのだろう。

 微笑みは、修復師の手によるものなのか、それとも子供たちの事を思って浮かべたものなのか。

 後者だといいのに、と願わずにはいられなかった。


 アーリサは葬儀では泣かなかった。

 少し腫れた目元を固く引き締め、喪主を勤める彼女は知らない大人の女性のように見えた。

 完全に肉親の保護者を失った彼女には、もう子供でいることは許されないのだと、自分に言い聞かせているようだった。





 葬儀の後、僕は屋敷に戻ると喪服を来たまま裏庭に足を運んだ。

 大きめの傘に降り注ぐ雨が重くのしかかる。

 記憶を頼りに庭を裏口に向かって歩いていると、「ハコル様」と頭上から声が降ってきた。

 声の主を探して左手に植わっている木を振りあおぐと、梯子をかけて木を手入れしているコナー爺がいた。


 梯子をたしかな足取りで身軽に降りてくると、雨具の下で白髪に覆われた顔が少しためらいを見せた。


「雨の中、ご苦労だな。

 どうした?」

「それが、実は……裏庭の奥の方に、今まで無かった庭が現れたんです。

 ……いや、無かったってのはちょいと違うかな。

 今まで何か有るはずなのに近寄れなかった辺りに近寄れるようになった、と言うべきかもしれません。

 昔っから、有るのに何故か入れない、そして記憶にもあまり長いこと残らないので話題にも滅多にのぼらない、そんな不思議な、場所がありました。

 先代もその先に行った事はないと言っておりましたが……

 それが今朝になって通りかかると、はっきりそこに有ると感じ取れるんですよ」


 コナー爺が困惑したように報告してきた内容に、僕は傘をもつ手が震えるのを感じた。



「それは、何処に」

「はい、馬小屋の奥です」

「分かった。よく知らせてくれた。

 父には僕から伝えておこう。

 屋敷の者たちにはまだ黙っておいてくれるか」

「はい、承知しました。ありがとうございます」


 僕は何気ない風を装いながらコナー爺の前を通りすぎようとした。

 しかしふと思い付いてコナー爺を振り替える。


「コナー。花を一輪くれないか」

「花ですか……どういったのがよろしいのでしょう」


 僕は少し目を伏せて考えた後「白い物がいい」と答えた。

 コナー爺は冬の庭にも関わらず真っ白で大輪のリーリィの花を一輪持ってきた。


「本当に……魔術師のようだな。

 ありがとう、コナー」




 礼を言って角を曲がりコナー爺の視界から外れると、僕は自然に早足になって、ついには走り始めた。

 馬小屋の奥、茂みの向こう。

 いつかロリーが突っ込んだ茂み。

 あのときは何故か春のような気候だったけれど、今は相応に冬の庭だった。


 溶けかけの雪の積もる開けた場所。

 石造りのアーチ。

 低木の垣根を進むと、そこには……

 ミルクティー色の煉瓦が寒そうに濡れた、石の日時計が、あった。


「……っはぁ」

 あがった息を整えながら日時計へと進み、手袋を外すと日時計の真ん中に立つヒヤリと冷たい黒い柱に手を触れた。

 息を整えてそっと呟く。


「リッテネルド」


 雨粒が傘を打つ音のみが変わらず辺りを包む。

 ……やはり反応はないか。


 僕は少し笑って柱から手を離すと、ズボンが濡れるのも構わずに膝をついた。

 黒い柱の前にそっとリーリィの花を置く。



 ここは、シロの墓だ。

 そう決めた。

 シロには墓はない。

 遺体もない。

 何も、ない。

 そもそも人ですら無かったのだ、あの猫は。

 だから葬儀も無かった。

 でもそれは淋しい。

 僕が淋しい。

 だから、ここで祈ろう。シロの為に。

 シロにゆかりの深い、この場所で。




 どのくらいそうしていたのか。

 パシャリ、と水を踏む音がして振り返ると、そこにアーリサが立っていた。


「アーリサ……」

「以前来たときと、雰囲気が違うんですね」


 アーリサが辺りを見回しながら穏やかに笑って歩いてくる。


「ああ、どうやらシロが消えたのと一緒に、ここの魔法も解けてしまったようだ。

 コナー爺も、僕でも、もう見つけることができる」

「そうですか……」


 アーリサが石柱に目をやった。


「……シロさんのお墓、ですか?」

「ああ、僕にはもう、これくらいしかしてやれないから」

「そう……」


 アーリサは少しうつむいた後、再び柔らかく笑って「私もお祈りしても良いですか?」と言って僕の隣に膝をついた。


「アーリサ、濡れるよ」

「あら、それはハコルもですよ?」


 イタズラっぽく片目をつぶってみせる。


「はは、降参だ。

 心配して来てくれたんだろう?

 ……ありがとう」


 僕は両手を挙げて降参を表すと、冷えた体を叱咤して立ち上がった。


「部屋に戻ろう」

「ええ」


 僕が差しのべた手をアーリサがとって立ち上がる。

 二人して屋敷の方へ歩き出すと前方にコナー爺の姿がちらりと見えた。

 心配そうな顔のコナー爺に向かってアーリサが足を早める。その様子で何となく、コナー爺がアーリサに僕の行き先を教えたのかなと思った。


 先を歩いてコナー爺に話しかけるアーリサから つと目を反らすと、僕は石柱を振り返った。

 寒そうに立つ石柱の下ほどには、さっき手向けたリーリィの白い花弁が雨をうけてぼんやりと浮き立って見えた。

 僕はそっと目礼をしてアーリサのあとを追って歩き出した。






 屋敷に戻ると、ロリーが僕の部屋のなかで仁王立ちして待っていた。


「遅いわ!どれだけ待たせるのよ!」

「……ええと、何か約束していたかな?」

 僕が雨でじっとりと湿る顔や首回りをタオルで拭いながらきくと、ロリーが少し心配そうな顔になった。


「ハコル、外にいたの?」

「ああ、うん。ちょっとね……」

「もう!最近元気だからってあんまり無茶すると、まぁた風邪引いてぶっ倒れるんだからね!」


 ハコルはよわっちいんだから!とそっぽを向きながら怒るロリーに「心配してくれているの?」と聞き返すと、クッションが飛んできた。


「当たり前じゃない!

 わ、私は……ハコルの……伯爵婦人になるんだから!

 未来の夫の心配くらいするわよ!」


 顔から湯気を出すんじゃないかというほど、顔を真っ赤にしたロリーが叫んだ。

 森色の瞳が視線をさ迷わせる。


 僕はバカだ。

 自分の事に精一杯で、ロリーの気持ちに気付いてやれなかった。

 こんなに僕の事を思ってくれているのに。

 でも……僕は……




「ありがとう、ロリー。

 僕は大丈夫だよ、アーリサも一緒だったしね」

「え……と、アーリサも一緒だったの?」

「うん。ねえロリー、ちょっとこっちに座って話をしよう」


 部屋の中央にある椅子を引いてロリーに示すと、ロリーは珍しく躊躇したあと、素直に腰かけた。

 向かい側に僕も座る。


「なによ……約束忘れてた事なら、謝れば許してあげなくもないわよ。

 女は包容力が大事だって母さまが仰っていたもの」

「ごめん、ロリー。そうじゃないんだ。

 もちろん忘れていたのは申し訳なく思っているよ。

 でも……ごめん」


 ロリーの顔が険しくなった。

 さっきまで赤かった顔がすっと冷えていく。


「何を……謝るのよ」

「僕はロリーの事を妹としてしか見られない」


 ロリーが息を飲む。


「だから婚姻は結べない」

「……こ、これから、そういう目で見ればいいじゃない。

 そういう夫婦はいっぱいいるわ。

 私、特別に待ってあげるわ」

「ロリー」

「貴族なんてそんなものよ!

 家同士で婚姻するんだから、本人の意思とかそんなの後でどうとでも……」

  「でも、君は僕の気持ちが欲しい。違う?」

「違わないわ!」


 ロリーが怒りに目を赤くして叫んだ。

 盛り上がった涙が今にも溢れそうだ。

 でも僕は、ロリーを受け入れるわけにはいかない。

 どんなに彼女を今、傷つけたとしても。


「僕はロリーの事は大切に思っているよ。

 そんな君の気持ちだから僕は誠実でありたい。

 ……僕の心は君にあげられない。だから、ごめん」


 僕は頭を下げた。

 ロリーは泣き出すかもしれない。

 もしくは机の上の物を手当たり次第投げつけてくるかも。

 それも甘んじて受けよう。

 そう思ったのだが、予想に反してロリーは動かなかった。

 しばらくすると、ロリーが感情を押さえるように口を開いた。


「ハコル。一つだけ答えて。

 ……あなたの心をもって行ったのは、アーリサ?」


 アーリサ?

 そう訪ねるロリーの言葉に脳裏に優しく微笑むアーリサの顔が浮かんだ。

 胸が暖かくなる。


「そう、なのかな。実はまだよく分かっていない」

「そう……」


 ロリーはガタリと音をたてて椅子をのけ、立ち上がった。


「私、帰るわ。

 アーリサは新学期までここに置いていくから」

「ロリー!」

「心配しないで。別に当て付けてるわけでも、アーリサをほっぽり投げようと思ってるわけでもないわ。

 アーリサは私の親友だもの。

 でも今は……一緒にいたくないわ」


 そう言うと大股に歩いて部屋を出ていった。

 涙をこらえる強がりなロリーが可哀想で、でもその顔をさせたのが自分だと思うと自分に腹が立った。

 でも、僕にはどうしてやることもできない。


「ああ、くそッ!」


 頭をかきむしると湿った服のままベッドに突っ伏した。


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