涙の理由
自室の扉の前まで戻ってきた僕は、少しためらってから取っ手に手をかけた。
軽い力をかけると音もなくすっと開いたその向こうには、何時もと変わりのない僕の部屋があった。
いつのまにか詰めていた息を はぁ と吐き出して、僕は机に向かい、父宛の手紙を一通書く。
シロの最後をしたためようとすると涙が再び視界を曇らせるので、内容は簡素な物になってしまった。
手紙に封をして呼び鈴を鳴らすと、ほどなくして現れたのはモルゾイだった。
僕の用事でいきなり家令のモルゾイが現れるのは珍しい。
「おはようございます、ハコル様」
「おはよう。珍しいな、モルゾイ」
「……先程、庭に 居られたのをお見かけいたしましたので」
「なるほど」
どうやら かなり心配をかけてしまったらしい。
僕は思わず小さく笑うと、さっき封をした手紙をモルゾイに手渡した。
「これを父上に届けてくれ」
「かしこまりました」
モルゾイが手紙を受けとると同時に部屋の扉が控えめにノックされた。
モルゾイが扉を開けて応対したあと僕のところへ来て「ハコル様、アーリサが暖炉をつけに来ております」と告げたので入れるように指示を出す。
ついでに二人分のお茶を届けるように言うと、モルゾイはアーリサと入れ替わりに下がっていった。
「今、暖めますね」
「ああ。ありがとう」
アーリサは腫れた目を隠すように少しうつむきながら暖炉の前に移動すると床にしゃがみこみ、なれた手つきで火をくべはじめる。
その様子を眺めながら、僕はアーリサの背中に問いかけた。
「ここに来るまでに、また、泣いていたの?」
「!」
アーリサはビックリしてこちらを振り返り、僕と目が合うと慌てて暖炉に視線を戻した。
「な、何でもないんです。
すみません、驚きますよね。
大したことではないんです、ちょっと、驚いただけで……」
「なんだ、本当にまた泣いていたんだね」
「!」
アーリサはハッと口を押さえると横目で僕を恨めしそうに睨んだ。
「酷いです、ハコル。試したんですね」
「君が強がっているからだよ」
「強がってなんか……」
アーリサは迷うように視線をさ迷わせ、再び僕に背を向けて暖炉を調節し始めた。
「まあ、無理に聞きはしないけれどね」
僕は軽く肩をすくめる。
「ただ、君はさっき僕の話を聞いてくれただろう?
おかげて僕はこうして部屋に戻ることもできたし、父に報告をすることもできた。
感謝しているんだ。だから……
もし僕が君の話を聞くことで、少しでも君の気持ちが楽になるのならと思って」
言いつのってみたが、アーリサは動く気配がない。
余計な、お世話だったかな……
アーリサは聞かれたくなかったのかもしれない、という思いがむくむくと沸き上がってきて不安になってきた僕は、今の話を聞き流してくれるように言おうと口を開いた。
「ごめん、今の話は……」
「母が!」
言いかけた僕の声を掻き消すような大きさで、アーリサが声をあげた。
「母が、亡くなりました……っ」
「えっ」
震える声を抑えるように搾り出しながらアーリサが告白した。
「工場の近くの借家で、遺体で発見されたそうです。
昨日、あのあと伯爵様からお話を聞いて、確認に行ってきました。
近所の人の話で、ドランと言い争っていたって。
きっと、私が殺されるって忠告したから母さん、本人に問い詰めて喧嘩になったのね……
それで、殺されて……」
そうか、それで僕らがハンミルテの屋敷を脱出する時、ドランは現れなかったのか。
「あーあ、何であんな余計なこと言っちゃったんだろう。
ほっといてもハンミルテは直ぐ捕まって、母さんは死ぬことは無かったのに。
そしたら、今頃きっと、懲りずに私に文句を言いに来たりしてたんだわ。
また、私の幸せの邪魔をしてー!って……」
ふふっと力なく笑うアーリサが痛々しくて、僕はさっきアーリサがしてくれたみたいに彼女を後ろからぎゅっと抱き締めた。
腕にアーリサのこぼす熱い涙が伝う。
「アーリサ、君のせいじゃない。
君は母の事を心から思って忠告したんだ。
あのときは、あれが君にできる最善だった。
君のせいじゃない。仕方がなかったんだ」
「ハコル……ハコル、私、どうしよう。
弟と妹に、何て言ったらいいの……私……」
たがが外れたように泣きじゃくり始めたアーリサに、僕は繰り返し繰り返し「君のせいじゃない」と言い聞かせた。
そうして泣いて、泣いて……暖炉の火がいつのまにか燃え尽きてしまった頃、アーリサはそのまま泣きつかれて眠ってしまった。
僕は絨毯の上で眠る彼女を起こさないようにそっと抱えてベットに運んだ。
僕が非力なせいでお世辞にも軽々とは運べず、なかば引きずるようになったが、誰にも見られていないから大丈夫だ。
眠る彼女の涙をそっと拭って、顔にかかった髪を指で払ってやる。
そして、どうか夢の中でまで苦しまないようにと祈りを込めて、彼女の額にそっとキスをした。
穏やかそうに眠るアーリサはいつもより幼く見えて、可愛いな、と思った。
可愛いな、好きだな、と……
「ハコルさま」
「!!!!!!!!!!!」
突然耳元で声がして、僕は口から心臓が飛び出そうになった。
バッと振り向くと直ぐ近くにモルゾイの顔があった。
「なっ……、なっ……!」
驚きのあまり声が出ない僕にモルゾイが何時もの澄ました顔で「お茶をお持ちしました」と告げた。
そう言えば確かに後で持ってくるようにとは言った。言ったけれど……!
「モルゾイ、いつから居た」
「ハコル様、大きな声を出されますとアーリサさんが起きてしまいますよ」
「……っ!」
怒る僕を軽く流してモルゾイが忠告をくれる。
実に腹立たしいがアーリサを起こしたくはないので僕は渋々下の食堂で朝食をとると伝える。
部屋を出て扉を閉めると、背後でボソッとモルゾイが「ハコル様……立派になられて。青春ですな」と言った。
絶対!扉の外で様子を伺っていたな!
タイミングが良すぎだったしな!
僕はモルゾイに文句を言ってやりたかったが、顔が火を吹きそうなほど熱くなっていたので振り向くこともできず、せめて動揺を悟られまいと聞こえないふりをしてさっさと歩きだした。




