別れ
マスター。
シロが僕の方を見て嬉しそうに呼んだ。
けれどその瞳に僕は映ってはいなかった。
シロはうわ言のようにぽつり、ぽつりと何かを呟いている。
何と言っているのかまでは聞き取れない。
けれど、僕にはシロが千年前の伯爵と話をしているのだと何となく分かった。
そして、シロの命が燃え付きようとしているということも。
「シロ……」
声に出して呼んでみると、嬉しそうに髭をそよがせる。
きっとシロには僕の声ではなく、伯爵の声として届いているのだろう。
そう思うと悲しさと悔しさがこみ上げてきた。
そして、そんな自分にの感情の動きに驚く。
僕はなんて子供なんだ!
これじゃまるで、かまって欲しくて母を呼ぶ幼児のようじゃないか。
今にも耳を引っ張って「シロ!」と呼び起こしたいのをぐっと我慢する。
その代わりにシロの額に自分の額をくっつけて、呼び掛けた。
「シロ……シロ。
君と、もっと一緒にいたい。
ずっと一緒にいたいんだ。
どうすれば良い?
僕は、どうすれば……」
迷った末に口から出たのは結局、迷子になって途方にくれている子供のような言葉になった。
優先順位をと言っていた父の声が頭に響く。
けれど、心が追い付かない。
もう、どうして良いのか分からなくなっていた。
違う。こんな情けない姿を見せたいんじゃない!
僕は軽く頭を振る。
一つ深呼吸してから目の前のシロに向けて再びゆっくりと語りかけた。
「シロ。僕にどうしてほしい」
助けて欲しいと、言ってくれたなら。
僕の命を捧げても良い。
皆の好意は台無しになるけれど。
ロリーには殴られるかもしれないし、アーリサには冷たい目で見られるかもしれない。
それでこんこんと諭されたりするんだ。
母様にはあの世でしかられてしまうかも。
それでも、君が望むなら……
けれど、シロはそれを望むだろうか?
そう言えばシロの望みを僕は知らない。
一緒にいたいのは僕の望みだ。
でもシロは、僕と一緒にいたのはマスターの言い付けだったから、ただそれだけなのかもしれない。
シロは……
すると、今まで虚空を見つめていたシロの視線がふらりと揺れた。
そして ひた、と僕の視線と交わる。
「ハコルさま……。
今までお側にいて、私は……毎日とても楽しかった……」
僕は目を見開いた。
夜の闇を写していた窓から、さあっと月明かりが差し込んできた。
部屋が青白い光に浮かび上がる。
そしてシロもまた、ぼんやりと光ってみえた。
「シロは、ハコルさまが立派な伯爵になる未来を願っております……
シロは最後にそのお役に立てて、嬉しく思っておりますよ……
最後にお仕えしたのが、ハコルさま、貴方で良かった」
ふぅ、と小さな小さなため息を一つ。
「ハコルさま、どうか……お幸せに……」
そう言ってシロは動かなくなった。
「シロ……?シ……」
手を伸ばして、その額に指先が当たったとたん、はらはらとその姿が灰のように崩れ、霧のように霧散して消えた。
シロのくるまっていた毛布が、拠り所をなくしてぱさりと微かに乾いた音を立てて床に落ちた。
僕の頬を滑り落ちた涙の雫が、その毛布に落ちて濃い色の染みを作る。
僕はシロにするみたいに そっとその毛布を上から撫でた。
シロ、今まで僕と共にいてくれて、ありがとう。




