帰還
馬車に乗ろうとすると、父がふいに顔をしかめて「しかし、屋敷内に入ったときから感じていたが、この屋敷は何だか臭うね……」と言ったので、僕たちは臭いの原因ついてはぼかしつつ、屋敷の湯を使うことにした。
外の慌ただしい馬車の出入りの音を遠くに聴きながら用意された湯殿で手早く身体を流す。
ハンミルテに比べればたいして汚れてはいないが、駆けずり回ったりしていたせいもあるのだろう。体を洗うとずいぶんとスッキリとした。
優先順位はかなり低いはずだが、やはり身を清めると人間に戻ったような気がしてホッとする。
馬車に戻ると、ロリーが「おかえりなさい」と出迎えてくれた。
アーリサはまだ戻っていないようだ。
僕はアーリサを待ちがてら、背もたれにもたれ掛かりつつ、ロリーに疑問に思っていたことを聞いてみた。
「そういえばさっき、ロリーは捕まったって言ってたけど、もしかして僕らが隠し部屋に移動した後、ロリーが人買いの囮役になったの?」
「そうよ」
僕が訊ねると、ロリーは自慢げに胸を反らした。
「貴方達が消えてから、日時計を叩いたり蹴ったりしてみたけれど、びくともしないんですもの。
だから私、二人がいないなら囮は私しかいないって主張したの」
「無茶をするね」
壊れたらどうするんだ。
僕が自慢げなロリーの行動を聞き咎めると、ロリーはふふん、と鼻の穴を広げて「余裕よ!」と自慢した。
褒めてない……
そこへアーリサが戻ってきたので、ロリーはアーリサも交えて武勇伝を身ぶり手振りを交えて話しはじめた。
「護衛の扮した父役と木のところに行くと、なんとばったりと出会っちゃったのよ、人買いに!
ちょうど別件で受け渡しのところに当たったみたいね」
売られていたのは、6歳くらいの女の子であったらしい。アーリサがその話を聞いて少し顔を歪めた。
「あれ?でも木に印をくくりつけるのには子供役はついていかない予定じゃなかったかな?
もしもの為に近くに待機しているだけで……」
ちなみに本来僕やアーリサが行くはずだったのは、教会での襲撃犯が関わっていないかを確かめる目的も有ったのだから、ロリーが行くことにはあまり意味がないような……。
「あら、だってそんなの信憑性がないじゃない」
ロリーが僕の質問にツンと取り澄まして答えた。
「いえ、ロリー。むしろ普通は先に大人が売る段取りをして、後の引き渡しの時に子供を無理矢理連れてくるんですよ」
「あら、だってそんなの面白くないじゃない」
すかさず入ったアーリサの訂正に、ロリーがしれっと本音を答えた。やっぱりか……
僕とアーリサはガックリと肩の力がぬけてしまった。
「それで?そのままロリーも売られたの?」
「そうよ。もしもの事を考えて他にも伏せている護衛がいたから、彼らがそのまま追跡したの」
そこでふと、ロリーが唇に人差し指を当てて不思議そうに首を捻った。
「そう言えば彼らは『ロリーお嬢様の追跡なら馴れています』とか言っていたけど、どういう意味かしら……?」
そのままの意味です……
僕は少し視線を逸らせた。
どうやら街に買い物に出掛けるときに 、よくロリーを尾行させていた使用人達が追跡に当たったようだ。
彼らなら見失うことは無かっただろう。
何せ、あまりにも気の抜けないロリーの機敏な動きに対応していたせいで、ロリーの姿が瞼を閉じると鮮明に思い描けるようになったらしい。
人混みに紛れようとも見失わない自信がある、と疲れたように言っていた。
まあ それはともかく、話を戻す。
「それでハンミルテに行き着いたんだね?」
「ええ、正確には始めは製糸工場のほうね。
でもすぐにハンミルテの関与が割れたから、今朝になって伯父様がハンミルテを召集したらしいの。でも いっこうに現れなかったから、兵を率いて鎮圧しちゃったみたいね」
「案外チョロかったわね」と笑うロリーに、僕とアーリサは顔をみあわせた。僕らの苦労の上をあっさりと乗り越えていかれたのだから、なんと言うか、良かったはずなんだけれど……こう、釈然としない気持ちだ。
そんな僕らには お構いなしなロリーが言うには、人買いが向かった先は城壁の外で、倉庫がずらりと建ち並んでいたらしい。
僕らが水盆から移動した先の物置で間違いないだろう。あそこは買った人間を一時的に保管する場所だったのかもしれない。
「ロリー、そこでシロには……」
僕がロリーにシロの事を聞こうとした時、ガチャリと馬車の扉が開いて父が顔を出した。
「屋敷に帰るよ。みんな、座りなさい」
「父上?シロが来るのではなかったのですか?」
確かにさっきそう言っていたはずだ。
僕がなんの気なしに訊ねると、父は「いや、予定が変わった。シロはそのまま屋敷に向かっている」と告げると、自分は側近の報告を受けるからと別の馬車に乗り込んでしまった。
しばらくすると僕たちを乗せた馬車も走り始めた。
胸の奥にもやもやと溜まる不安の正体を、僕はぐいぐいと隅に追いやった。
屋敷につくと屋敷中の人間が勢揃いでもしたかのような人だかりができていた。
皆一様に涙を湛えながら「よかった、ぼっちゃま、良かった……!」と喜んでくれた。
ぼっちゃま……
涙ぐむモルゾイたちの出迎えを前に、僕は胸中でうっ、と呻く。
僕は学校に上がってからは大人と同様に「ハコル様」と呼ばれるようになっていた。しかし喜びにわいて気が緩んだ彼らの呼び掛けで、僕の知らないところではまだ「ぼっちゃま」呼びが主流だったことに気づいた。
自分がまだまだ未熟なのだと知らされたようで、ちょっとショックだ。ロリーとアーリサの手前もあって、子供っぽくて少し恥ずかしいのもあった。
しかし、彼らにしてみれば僕が赤ん坊の頃から知っているわけで、この先どんなに年を取っても僕は「伯爵家のぼっちゃま」なのだろう。
そう思うと……少しだけくすぐったくもある、かな。
僕がそんな複雑な心情を押し隠して笑顔で答えていると、先に屋敷に到着していた父が僕を呼んだ。
そのピリッとした声に、鼻水を光らせながら喜び涙していたモルゾイが背筋を正し、僕を父のもとへそっと促した。
つれていかれたのは書庫だった。
僕の後についてきたロリーとアーリサも、父の異図が分からず不思議そうな顔をしている。
そんな僕らを連れて、父は書架の奥の方へと進んでいった。
そして奥まった、ちょうど視覚になる場所まで来ると、ぴたりと立ち止まる。
こんな行き止まりで何を?
いぶかしむ僕の目の前で、父は奥の棚の上に位置する天井の一ヶ所をぐっと押した。
するとカタンと音をたてて天井の一部が大きく手前に開いたではないか!
「ええっ!」
アーリサが驚きに口許を押さえ、ロリーが目を輝かせた。
父は本をとるための足台を引き寄せて登ると、「ついてきなさい」と振り返って一言だけ告げ、さっさと開かれた隠し通路を進んでいく。
僕は慌ててその後を追った。
通路は斜め上に向けて続いていた。
暗がりの中、簡素な作りの石造りの階段を数段上がると、先を進んでいた父が上部に位置する出口らしき扉を押し開けた。
さっと、光が差し込む。
僕は思わず目を細め……出口から顔を出すとそこは昨日訪れた隠し部屋だった。
驚きながら縁に手をかけて出口から抜け出すと、出口がソファの座面を上げたところに有ったことを知る。
見当たらないわけだ。
「こんなところに出入り口があったのか……
父上はこの場所をご存じだったのですか?」
僕が感心しながら父に訊ねると
「いや。私も先程シロに言われて知ったところだ」
と父が部屋の対角線上にあるソファの上に目を向けた。
僕もつられてそこに目をやる。
そこにはホコリの払われたソファの上に、毛布の塊が……いや、毛布にくるまった、それは……
「シロ!!」
僕は叫んで駆け寄った。
毛布からはみ出したピンと尖った白い耳。
ふわふわのしっぽ。
そして、毛布の裾からはみ出た真っ白な細い足は……一本しか無かった。
「……シロ?シロ!」
横たわるシロの体に恐る恐る触れ、少しだけ揺らす。
反応は、無かった。
「うそだ、シロ……だって、こんな……!」
僕の胸を最悪の事態が過り、すがり付く以外の反応ができない。
そんな僕の横にいつのまにか父が寄り添っていて、そっと僕の手を止める。
「ハコル。シロは眠っているだけだよ」
「……ぁ、ほ……んと、に?」
父の言葉に身体中から力がぬけた。
安堵の息が口をつく。
「良かった……」
「でもね、ハコル。
シロはもう……そう長くは共にいられないかもしれない」
「え……」
僕は父をぼうっと見つめた。
言葉の意味が分からなかった。
理解が、追い付かない。
「シロは力を失いかけていた。
……ハンミルテはシロの力を欲したけれど、シロはマスターの命令でしか魔力を与えることができないんだ」
「シロの、マスター?
それは……父上の事ですか?」
「いや」
父はシロに目を向けると痛ましそうに言葉を足した。
「私はマスターではない。
シロにとってのマスターはシロを作った人物。
……千年前の伯爵ただ一人なんだよ」
「千年、前の……。
でも、シロはずっと伯爵家に使えていましたよね?」
シロはマスターは千年も前にこの世を去ったのに、ずっと変わらず伯爵家にいたのだ。
「そう。でもシロは私たちの命令で動いていた訳ではない。
千年前の伯爵の命で、伯爵邸に代々力を貸していたに過ぎない。その魔力が尽きるまで」
父がそう言ってシロの頭に指を埋めて優しく撫でた。
すると少しだけ、シロの表情が緩んだように見えた。
「だがハンミルテは納得出来なかったみたいだね。……シロの体液を妻に飲ませれば魔力を得られると考えた。もちろんシロは人形で、体液などなかったがね」
父の目線につられて、僕もシロの足元を見た。
背後でアーリサの行きを飲む音が聞こえた。
僕は失われた足に思わず手を伸ばし、少し、躊躇してからそっと毛布の上から足の付け根辺りを撫でた。
シロは痛みを訴えるでもなく目を閉じていた。
「しかし折られたシロには打撃はあった。おそらく、その事で残りわずかな魔力の大半を失ってしまったんだろう。
助け出した時には、もうほとんど反応ができなくなっていた」
父の声に苦しみの色が混ざる。
僕はぎゅっとシロの身体を毛布の上から抱き締めた。
シロを失う恐怖と、危険にさらしてしまった自責の念と、助けられなかった後悔と。
……シロ。
足を折られた時はさぞかし痛かっただろう。
シロは人形だが怪我をすると痛がったのを覚えている。
花の棘で指を刺して、目を潤ませながら取り繕っていた姿が胸をよぎった。
「すまない、シロ」
口からこぼれた言葉は、かすれていて自分のものとは思えなかった。
溢れる思いが複雑に絡まって、息もできない。




