街
正面のホールに着くとまだ二人は来ていなかった。
僕は着ぶくれたコートの中のセーターとシャツの袖をモゾモゾと引っ張って直す。
出かけると決まったら、シロが特性・手編みの防寒下着一式を着せてくれたのだ。
この猫は実に多才だ。さすがは千年暇潰ししていただけはある。よく見ると所々に肉球マークが施されて、細部にまで芸が細かい。
お陰で室内だと暑いくらいの温かさだが、どうにもごわごわとしていけない。それに病み上がりだから仕方がないのだが、いかにも過保護に育てられた坊っちゃん然とした見た目になるのがいただけない。
はぁ……、もっとこう、雪山でもシャツ一枚で大丈夫!というくらい筋骨隆々な体になりたいなぁ。
僕は細いばかりの残念な腹にそっと手を当てて ため息をついた。
しばらくするとアーリサがロリーの手を引いて中央階段を降りてきた。
いつでも先陣をきるロリーにしては珍しい構図だ。
アーリサがダークブルーの装飾の少ない簡素なドレスにグレーのコートを着込んでいるせいか、二人並んで立つとロリーの華やかさが際立って見える。
ロリーの元々の波打つ豪華な金の髪に映える濃い赤のドレスはフリルが少なめで大人っぽい印象を与える。肩から緩く羽織った真っ白なショールが温かそうに彼女を包むその姿は、彼女を知らない人が見ればまるで妖精の女王の様だと言うだろう。
……不思議だ。
僕は首をひねってそんなロリーを上から下まで観察した。
あのロリーが、なぜこんなにも儚げに見えるのだろう。
服のせいだろうか?
もちろん それも有るだろう。
ロリーはいつも淡い色で可愛らしいデザインのドレスばかりを着ているのだが、やはり彼女には今日のようなはっきりとした色の方が似合うと思う。
思うのだが、しかし それだけじゃなくて、もっとこう……
「なっ、ななによっ!」
原因を探るべく じっと見ていると、それまで困惑したように伏せられていたロリーが森色の瞳をキッと吊り上げて睨んできた。
しまった、ジロジロ見すぎたかな。
あ、でもそうか……
「なるほど、目は口ほどに物を言うとはこの事か」
「は?……それ、どういう意味なの?」
ロリーが眉を寄せて訝しげに聞いてくる。
そんなロリーとは対照的に僕は謎が溶けた事でスッキリとした気分になった。
そう、さっきまでのロリーは何故か目に何時もの勢いが無かったのだ。しかし僕が不躾に見た事で気分を害して睨んできた目には、何時もの目力が宿っていた。
つまり、ロリーも大人しくしていれば……
「綺麗だなと思って」
僕はうんうんと頷いた。
そう、ロリーもこうして見れば元は悪くないんだよ。
叔母上譲りの金の髪も十分魅力的だと思うし、ちょっとキツ目だけど整った顔立ちをしていると思う。
それなのにこの年にもなって遊びに来るところが従兄の家だけなんていう色気の欠片もない状況に甘んじているのは、ひとえに彼女の彼女のらしい元気な性格のせいだろう。
子爵の令嬢のとしてはあまりにも残念だ。
僕が一人納得していると、ロリーは何故か顔を真っ赤にしてアーリサを見た。
アーリサはというと、何故か嬉しそうにロリーに向かって頷いている。
……うん?なに?
首を傾げてロリーを見ると、ロリーは僕から顔を背け、じっと絨毯の一点を見つめながら「あ、あ、ありがとう!」と捨て台詞のように言うと、アーリサを促し 逃げるように馬車へと乗り込んだ。
だから何がだ。
僕が訝しく思いながらも彼女らに続いて馬車に乗ろうとすると「なんで一緒の馬車に乗ってくるのよ!」とロリーに意味のわからない文句を言われた。
理不尽だ。
その後、始終そわそわとしていたロリーだったが、馬車の中では彼女にしては珍しく大人しくしていた。僕は、さすがに他所に行く時はわきまえる様になったのかと安心した。
しかしそれも馬車が街に入るまでの間だった。
街に入ると景色に目を奪われたロリーはとたんに何時もの元気を取り戻していった。
はしゃいだ声で話しかけられているアーリサは、同い年のはずなのにまるでロリーのお姉さんのように優しげに彼女を見守りつつ相槌をうっている。
そこには最初に会った時のような おどおどした様子はもう見られなかった。
うつむきがちだった彼女が顔を上げると、ロリーとは対照的な彼女の、一見地味に見える顔立ちがとても愛らしい事に気付く。
黒曜石の瞳を長い睫毛が縁取り、優しく細められる様は、まるで夜の女神のように静かに美しい。
僕は先日の熱に浮かされながら見た、僕の手を握って祈る彼女の姿を思い出していた。
握られた手から伝わる、あれは……いや、まさかね。
程なくして街についた僕たちはまずはショッピングを楽しむ事にした。
王都に程近いここコーフスネルは流行に敏感な街だ。石造りの店が立ち並んでいるが、入り口を色とりどりの布で飾り付けているので、冬にもかかわらずカラフルな色彩に富んでいて、歩いているだけでも楽しみそうだ。もちろん僕は移動は基本馬車なので歩いたりはしないが。
大通りは南北に走っており、中央から北に向けてが富裕層向けの店になる。
中央にそびえる時計塔より南に下ると段々と貧しい者が住む地区になるのだが、僕はまだそちらへは行ったことがなかった。
いずれは僕が治めるようになる土地だ。知らないではいられないが、今のところは家の者に止められているので叶いそうにない。
そもそもあまり遠出もできないしね。
大きな店をあちらこちらとロリーに連れられて巡るが、案の定僕は三店舗目の靴屋に行く頃にはすっかりくたびれてしまった。
店内に入って、出迎えた店主にロリーを引き合わせたら後は店の角に設置された椅子にぐったりと腰かけてしまう。
僕が椅子の肘掛けに張り付いて細く息を吐きだしていると、店内を物珍しげに眺めていたアーリサがそっと椅子の横にやって来た。
「ハコル様、お体がお辛いのですか?」
そう言っておずおずと両手を出すと、ひんやりとした手でそっと僕の手を包む。
そういえば彼女は始終手袋をつけていなかったなぁ、と頭の隅で少し引っ掛かった。
ロリーはと見回せば、後ろに控えていたシロが、職人と相談の為の個室に入っていったと教えてくれた。よかった、少しの間ゆっくり休めそうだ。
僕はアーリサに隣の椅子を勧めた。
「ハコルでいい。
アーリサ、君は靴を作らなくていいのかい?」
そういえばアーリサは前の店でも、その前の店でも何も買っていない。ずっとロリーの買い物に付き合ってばかりいる。
「私は良いのです。
……私は魔術を使えるので、伯爵の支援で勿体なくもロリーのような貴族の子女の通う学校に籍を置いております。ですが元はここ、コーフスネルの南町の生まれなのです」
アーリサはそう言って少し目を伏せた後、眩しそうに店内を見回した。
「ここの物は素敵で見ているだけで幸せな気持ちになりますが、私が持つには過ぎた物です」
自分はロリーを飾る方が楽しい、と言って笑うアーリサは心の底からそう思っているようだ。
成る程、南町の出身だったのか。
だとすると最初の頃の過剰におどおどとした様子も納得できる。ロリーと同じく名家の子女が多い学校では、さぞかし肩身の狭い思いをしたのだろう。
そう思うと、今こうして比較的親しく話してくれている状況は、彼女からすれば ずいぶんと気を許しているのではないか。
僕は何故だか少し疲れが引いていく気がした。
「ハコルさまは、」
「ハコル、でいい。
アーリサはロリーの友人としてここに居るのだろう。ならばここにいる間は君とも対等に話をしたい」
「は、はい。ハコル……は、ロリーとは幼少の頃から特別に仲が良かったのですよね?」
アーリサがじっと僕を見つめながら真剣に聞いてくる。
うーん……仲がよかった言うか……
「ロリーは昔からあの通りだからね。思うままに無茶もやらかすけど、周りを楽しませたいという意図もあるみたいでね。寝込みがちな僕を楽しませようと毎回ちょっかいをかけてくれるんだよ」
だから毎回無茶をしてくるロリーを無下にできないでいる。
僕の言葉を聞いたアーリサは嬉しそうに「さすがです。ロリーの事をよく理解していらっしゃるのですね」と言った。その喜色に満ちた黒曜石の瞳はロリーの事を大好きだと雄弁に語っている。
僕はおよそ淑女らしくないロリーにこんなにも好いてくれる友人が出来たことに嬉しくなった。
「アーリサ、ロリーと仲良くしてくれてありがとう。
あんなお転婆な娘だけど、妹のように思っているロリーにこんなに素敵なお友達が出来て本当に嬉しいよ。
これからもロリーをよろしく頼むね」
そしてこれからはロリーのお守りをお願いします。
僕が下心満載でロリーを押し付けるべく笑顔を向けると、アーリサは「えっ。い、妹……ですか?」と笑顔を強ばらせて呟いた。
しまった、妹は言い過ぎたかな。
立ち位置は良いとこ躾のなってないペットくらいか。
でもさすがにそんな事は言えないから仕方がない。
「うん、可愛い妹だと思っているよ」
僕は笑顔にちからを込めて妹設定を押し通す事にした。
「なにしてるのよっ!」
僕とアーリサがどこか胡散臭い笑顔で「ほほほ」「ふふふ」と笑い合っていると、靴を注文し終わったロリーが個室から出てきた途端、盛大にむくれた。
ドスドスと足音をたてて近づいてくると、アーリサの両手を掴んで 僕からベリッと引き剥がす。
その時感じた変化に、僕のなかに一つの確信がおきるが、取り合えずは目下の問題であるロリーに対応することにした。
「何を怒っているんだい、ロリー?」
僕が尋ねるとロリーはキッと僕を睨み付けて非難した。
「何をじゃないわ!私をのけ者にしておいて、アーリサの手を握るなんて!ハレンチよ!見損なったわ!」
ロリーの大声が辺りに響いて、店中の客が僕たちをチラチラと見ている。
「ち、違うの!ごめんなさいロリー、誤解しないで!」
アーリサが慌ててロリーをなだめにかかるが、ロリーはアーリサをキッと睨み付けて、掴んでいた手を振り払ってしまう。
「アーリサも酷いわ!私の気持ちを知ってるくせに!
……っこんな服、何の役にもたちやしないっ……!
やっぱり着なきゃ良かったわ!」
スカートを両手できつく握りしめて そう叫ぶと、ロリーは人を押し退けて靴屋を駆け出してしまった。最後の方はロリーにしては珍しく弱気な様子で、何だか悪いことをしたように僕の胸は少し痛んだ。
「ロリー!」
アーリサがすぐにロリーの後を追いかけていった。
気づけば僕は一人靴屋に置いてきぼりだ。
店中の人間の意識が僕に集中しているのをヒシヒシと感じて居たたまれない。
僕はニコリと周囲に笑いかけると、「騒がせてしまったね」と近くの従業員に迷惑料を渡し、駆け出したくなる衝動をプライドで抑えてなるべく堂々と見えるように馬車に戻った。
馬車で待っているとアーリサが息せききって戻ってきた。
「ごめんなさい、ハコル!
ロリーを見失ってしまったのっ。
どうしよう私、ロリーに何かあったら……!」
泣きそうな顔で混乱するアーリサに、僕はまず落ち着くように言って椅子を勧める。
「安心して良い、ロリーは大丈夫だよ。こんなことも有ろうかと、ロリーにはこっそり監視をつけておいたんだ。
今その内の一人と連絡が取れた。
ロリーはこの先の喫茶店でお菓子をやけ食いしているそうだよ」
僕が告げると、アーリサはポカンとした後その場にしゃがみこんでしまった。
「良かった……、見つかってよかった……!」
そして一通り安堵の息を漏らすと、顔をあげて僕に向き直り、頭を下げた。
「ごめんなさい、ハコル。騒ぎを起こしてしまって。
今日の事は私からロリーの誤解をキチンと解いておきますから……」
すまなさそうに項垂れるアーリサに、ロリーの癇癪のせいなのにと、むしろ申し訳なくなる。
「別に僕としてはそれはどうでも良いよ。むしろ君の名誉を傷つけてしまったなら申し訳な」
「よくないです!!!」
僕の言葉を遮ってアーリサが声を上げた。
僕が驚いてアーリサを見ると、アーリサははっとして取り繕う。
「あ、あの、私の事は良いんです。でもロリーにはキチンと説明しておきますから!」
「あ、ああ」
なにやら有無を言わせぬ様子に、僕はそれ以上のコメントを差し控えた。
女の子は時々妙な所にこだわるから、理解に苦しむ。
それに……そんな事よりも、シロが馬車の外にいてアーリサと二人きりの今は、あの話をするチャンスだ。
「フーーー……」
僕は少し前屈みになって軽く胸元を押さえ、苦しげに眉を潜めて息をはく。
するとアーリサは僕のそんな様子にはっとし、慌てて僕の手を握った。
「大丈夫ですか、ハコル!
今シロさんを呼びますから!」
そう言って馬車の外に待機しているシロに声をかけようとするアーリサの手を、素早く両手で握り返す。
「!?」
ビックリするアーリサの両の瞳をしっかりと捉えて、僕は声を落として尋ねた。
「アーリサ。やはり君は『女神の雫』だったんだね」