準備
小さな明かりとリの窓から朝の光がうっすらと入り込み、部屋の様子を浮かび上がらせる。
キンと冷えた空気の中で身を起こすと、隣でアーリサも小さく身じろぎして目を覚ました。
「おはよう」
「おはようございます……?」
答えて少し怪訝な顔をしたあと、ガバッと勢いよく起き上がった。
「おおおはようございます!」
「うん、少し元気になったみたいだね」
完全に目を覚ましたアーリサの慌てた挨拶に僕は少し安心する。
「血色も昨日より少し良くなってるね」
僕はベッドから降りると、夕食と共に差し入れられていた水差しから水をグラスに注ぎ、アーリサに差し出す。
「あ、私は……」
グラスを受け取ろうとして、アーリサが何かを思い出したように辞退する。
「アーリサ、だめだよ。水分はきちんととらなければ。今日の計画に支障をきたしてしまう」
「……ど、どうしてもですか?」
眉を八の字に下げて情けない声を出すアーリサに僕はにっこりと微笑んで頷いた。
「う~……」
顔を赤らめたアーリサは水を手に取ると意を決して飲み干した。
返ってきたグラスに水を注ぎ、僕もゆっくりと飲みながらアーリサに「ところで」と切り出した。
「我慢せずに お先にどうぞ?」
そう言って体をずらして 排泄用の箱を示す。
そう、恥ずかしかろうとも自然の摂理だ。
僕は紳士なので目も耳もふさいでいるからと告げたが、少し考えたアーリサは断固後に使うことを選んだ。
先の方が気分も良いだろうにとは思ったが、顔がこれ以上ないくらいゆでダコになっているのでおとなしくお先に失礼する。
朝になり食事が運ばれてきたので、さっさと食べる。臭いが気になって食べられないかと思いきや、アーリサはそこは気にした風もなく食べていた。
さっきまでの拒否感はない。不思議に思って訊ねてみると、南外区では おまるは普通なので臭いもさほど気にならないそうだ。
じゃあ何故先程はあんなに拒否したのかと尋ねれば、少し怒ったように頬を膨らませて「私にも恥じらいはあるんですよ!」とそっぽをむかれた。
意味がわからない。
「そもそも、ハコルが人前で抵抗なく……するとは思いませんでした」
アーリサがチラッと僕のほうを見ながら言う。
「別に、抵抗が無いわけではないのだけどね……我慢して膀胱が破裂するよりは建設的だと思う」
僕はパンをちぎりながら呟いた。
パンはほのかに暖かく、朝焼かれたものだろうと察せられる。
ハンミルテは僕らのここでの生活をあまり酷いものにするつもりは無さそうだ、とここの食事を食べると思う。簡素だが酷い食べ物は出てこないし、ここの調度品だって飾り気はあまりないが品事態はいいと思う。
奴は貴人を幽閉しているという海町バーラの尖塔を気取っているのかもしれない。そういう取り繕った面がまた腹立たしい。
「それにそんな抵抗よりも、もっと強い感情が渦巻いていてね……」
ふつふつと沸いてくる怒りに口から自然と「くっくっ……」と笑いが漏れる。
アーリサがひくっと顔をひきつらせた。
さっさと朝食を食べると、僕らは行動に移った。
小窓の前には布を被せ、万が一 外から急に開けられても中の様子が見えないようにする。
外の足音に気を配りながら箪笥を移動したりテーブルをセッティングする。
カーテンは再び全て取り付けて室内を暗くしておく。
そこまでしたところで、廊下から足音が一つ響いてきた。
しまった、ハンミルテか!?
予想より早い足音に焦りを覚える。
昨日アーリサがエデラから聞いた話の中に、この屋敷は貴族のように朝は遅いのだというのがあったので、この時間に動いているのは僕らと使用人くらいのものかと思っていたが……
警戒しながらもアーリサが小窓にかけてあった布を外して被り、小窓に向かって左手側に立つ。
おそらく外からは内装をいじっている室内の様子はほとんど見えなくなる立ち位置だ。
僕は毛布にくるまり、ベッドのうえに丸まる。
そこにいることが一目で分かるように、こんもりと。
そうして息を潜めて耳を澄ませていると、足音がハンミルテのものではないことはすぐに分かった。
軽く、少しペタンペタンと雑音の混ざる足音は恐らく……
ガチャン、ギィッと音をたてて開かれた小窓からアーリサの母、クラリエットの顔が覗いた。
「あら、アーリサ。起きてたのね。
朝食の差し入れを持ってきたのよぉ……」
「朝食はさっきここのメイドが持ってきてくれたわ」
「あら、そうなの?
私が持っていくって言ったのに~」
クラリエットはぷくりと頬を膨らませて拗ねて見せる。
「気分屋の母さんに任せていたら、持ってきたり来なかったりで私たちを餓死させちゃうと思ったんでしょうね」
アーリサが冷たく言うと、クラリエットは本当にムッとした顔になった。
「本当に、あんたは可愛くない娘だよ。
養ってもらってるぶんざいで、人を見下した目をして、お祖母ちゃんそっくりね!」
アーリサの横顔に怒りがのぼる。
養ってもらってる?
それは昔のことを言っているのか。
それとも、今のことか。
この幽閉された状況を、この女は養っていると思っているのか……?
僕はアーリサとクラリエットの争いを止めるために毛布から出ようとした。
僕らにはあまり時間がないのだ。早くしないとハンミルテに気づかれてしまう。
しかし僕が止めにはいるより早く、アーリサは一つ大きく深呼吸をして「ふーーーーー……」と長く息をはいた。
その目には冷静な色が戻ってきていた。
僕は降りかけていたベットにそっと戻り様子をみる。
「母さん。私だって母さんのこと、嫌いよ。
いっつも自分勝手でだし私のこと売ろうとするし、お祖母ちゃんを見殺しにしたわ。
……でも、大切だから。
嫌いだけど、大好きだから!
だからお願い、逃げてっ……!」
「は……?逃げるって……何言って」
戸惑うクラリエットにアーリサは手を伸ばす。
掴んだクラリエットの手から朝食の篭が落ちた。
「気づいてないの?
母さんは危険な立場にいるのよ。
私を手に入れたハンミルテにとって母さんは用無しなのよ。
私がここに幽閉されている事を知っているし、口が軽いわ。きっと殺されてしまう……!」
アーリサが抑えた声で言い募ると、初めてその事に思い至った顔で、クラリエットが小刻みに震えだした。
「あ、あんた……そんなでたらめな事……!
だって私のこと愛してるってドランは言ってるわ……
そんな、てまかせを……!」
必死に否定するが、心当たりがあるのかわなわなと震えだし、アーリサの手を強く振り払った。
「母さん!」
アーリサの叫びを無視してクラリエットは走り去った。
小窓から手を伸ばしていたアーリサは、クラリエットの足音が聞こえなくなってしまうと、その場に力なくへたりこんでしまった。
「アーリサ」
僕がベッドから下りて声をかけると、「ごめんなさい」とアーリサが力なく呟いた。
「何を謝るのさ」
「……母は、あの人は、ハコルやシロさんに酷いことをした人です。でも……私……嫌いだけど、でも……」
俯くアーリサが酷く小さく見えた。
母親を嫌わなければならないとは、どんなに辛いだろう。
僕には想像することしかできない。
かける言葉が見つからず、その背中をさすってやると、しばらくされるがままになっていたアーリサが「ありがとうございます、ハコル」と言って顔をあげ、少し笑って見せた。
「すみません、すっかり時間を使ってしまいました。もう大丈夫です。急ぎましょう!」
大丈夫ではないだろう。とは思ったが、時間がないのは本当だ。
「そうだね」
僕はそっとアーリサの頭を撫で、彼女の手を引いて立たせると作業を再開した。




