前夜
すぐにとっぷりと暗くなった部屋のカーテンを全て開け放つ。
今夜は珍しく晴れていて、山の端には月が昇っていた。積もった雪のせいか外は随分と明るく感じられる。
暗い部屋に差し込む月明かりに、それでも少しずつ目が馴れてくるのだから人の体とは良くできたものだ、と感心してしまう。
日が沈むとただでさえ冷えていた空気が更にぐっと下がる。
僕の屋敷の部屋は常に使用人によって暖められていたが、それでも風邪を引いていたのだ。
こんな寒い状態で動けているのが不思議ではあるが、これからのことを考えるとなるべく倒れるような事は避けなければならない。
羽織るものを探して部屋の中を見回せば、質は悪くないが飾り気のないベットが隅に寄せてあるのに気づいた。宿舎のベッドよりも簡素なのでソファかと見間違えるほどだ。
その毛布をつかんで羽織ると、一瞬ヒヤッとした毛布が直ぐに温もりをとどめ始める。やはり体が冷えていたらしい。
慣れてきた目で辺りをうかがうと、扉の横に小さな小窓を見つけた。
格子戸が付き鍵がかけられている小窓は、さらに向こう側から木板で閉められていて外の様子は見えない。
おそらくここから食事を入れたりするのだろうな、と察せられた。
ほどほどに広さのある部屋は、出られない以外は宿屋のように整っている。
試しに格子戸を押したり引いたりしてみた。
新しさもあって、びくともしない。
テーブルの上には水がたっぷりと入った水差しがあった。壁際に目をやると質の良い箪笥が一つ置かれている。中を開けてみると布が数枚入っているだけだった。
箪笥の足元には……、汚物入れ……か。
頬がひきつる。いつの時代の産物だ。確かにないと困るが、同じ部屋にあったらあったでいたたまれない。
後は……誰のものかは分からない肖像画がそれなりに立派な作りの額にはめて飾ってあった。
なかなかにリアルで気持ち悪い。僕は箪笥の中から布を一枚取り出して額に被せた。
たまに見かけるが、ああいう肖像画ってどうして右に行っても左に行っても目が合うのだろう。
しかもそういうのに限ってよく通る所に飾ってあったりするのだ。
精神衛生上よろしくないので切実に辞めてほしい。
さて、と。
あらかた見回したが、脱出出来そうなところはない。
ご丁寧に家具の取っ手に至るまで木製であったりするので、戸を壊すなどの力任せなやり方は出来そうにないな。
さて、どうするか……
その時、コツ コツと 足音が聞こえてきた。
まだ遠いようだが、絨毯が薄いせいか音が吸収され切らずこうも静かだとよく響く。
ヤツも色々と後ろ暗い所がある身だ。もしかしたらわざと音が聞こえるようにして、暗殺に備えているのかもしれない。
僕は毛布にくるまり、寝台に突っ伏して息を潜めた。
足音が次第に近づき、ぎぃっ と小さく木戸のきしむ音がして小窓からランプの明かりが漏れ、ドランの相眸が中の様子をうかがった。
僕が毛布にくるまったまま動かずにいると、ドランがハンミルテに「ガキはベッドから動く気配がありませんぜ」と報告する声が聞こえた。
それを受けたハンミルテが「開けろ」と短く指示を出す。
ガチャガチャと鍵の擦れる音がして、扉が開いた。
人の入ってくる気配がする。
その気配は毛布にくるまった僕の頭もとまで来るとピタリと止まり、次の瞬間僕の羽織っていた毛布を掴んで勢いよく剥ぎ取った。
僕は汗にぐっしょりと濡れた体をきつく抱えて浅い息を繰り返しながらハンミルテを睨みあげた。
そんな僕を見下ろしながらハンミルテは ふんと鼻で息をはくと後ろにいるであろうアーリサに声をかける。
「アーリサ、今日のところは多目に見ましょう。明日からもきちんと励めば、貴女も、ハコル様も悪いようにはしませんよ」
アーリサが微かに「はぃ」と言うのが聞こえた。
「また明日の夜に迎えをよこします。それまでに魔力を回復させているように」
そう勝手なことを言い残してハンミルテが部屋を出ていった。
鍵のかかる音がする。
「ハコル……」
アーリサの心配そうな声がため息のように小さく聞こえた。
震える彼女の指先が僕の手を捉えたとき、その冷たさに僕の心臓に痛みが走った。
パタリ、とドアの方から覗き見の小窓の木板が閉じられる音がして、ハンミルテとドランの足音が遠ざかる。
十分にその足音が遠くなるのを確認した後、僕はがばりと身を起こした。
「アーリサ!君、何て冷たい手をしているんだ!」
突然起き上がった僕にアーリサが暗がりの中で目を見開いた。
僕は自分の被っていた毛布をアーリサに被せかけると、ぐるぐるまきにした。
畜生、暖炉もないので暖める術があまりないのがいたい。
僕は箪笥の中の残りの布を全て引っ張り出し、それもさらにアーリサに被せていく。
そんな僕の行動に驚いたままだったアーリサが、ハッとしたように立ち上がろうとして、しかしフラリとその身がかしいだ。
僕は慌ててアーリサを抱き止めるとそのままベットに横たえる。
アーリサは抵抗を試みるも力が入らないのかされるがままだ。
横になりながら それでも疑問に思う気持ちが強かったのか、かすれた声で訪ねてきた。
「ハコル……熱があるのでは……?」
「いや、無い」
「え、……でも汗を……そんなにかいて……呼吸だって……」
「そう見せかけただけだ。病気の状態なんて嫌と言うほど知っているから再現はさほど難しくは無かったな。汗はそこの水差しの水を使った」
僕は椅子を窓に寄せて、掛けてあったカーテンをひっぺがす。
なかなかに良い布だ。厚みもあって暖かそうだな。
カーテンを手に寝台へ戻ると、横になったままのアーリサが ほう、と安堵の息を吐く。
「心配かけたね、すまない。
でも不思議とこちらに来てから魔力が満ちているんだ。あの水盆を潜ってからね」
そう言いながらも更にアーリサにカーテンを被せてぐるぐる巻きにしていく。
ミノムシみたいになった彼女の額にそっと手をやり、顔にかかった髪を避けてあげると、辛そうな彼女の顔が少しだけ和らいだ。
「でも逆に君は魔力が足りていないように見える。……原理は分からないが、僕に魔力が移動したのだろうか。だとしたら……」
辛そうな彼女に申し訳なくて目を伏せると、アーリサが小さく「いいえ」と言った。
「ハコルが無事で……良かった……。一人では、耐えられなかった……。
私は、直ぐに戻るから、心配しないで……」
「心配するよ!」
僕は無性に、腹が立った。
そのまま勢いよく立ち上がって椅子を担ぐと、次の瞬間窓へ行き無言でカーテンをひっぺがす。
それを抱えてアーリサの元に戻ろうとしたとき、廊下の方から再び足音が聞こえてきて、僕はハッと身構えた。
軽い足音はハンミルテやドランのものとは違う気がした。
何だか少しここにいただけで やたらと音に敏感になった気がするな。
僕は素早くアーリサのもとへ行くと、アーリサの頭から毛布をしっかりと被せ「けして声を出してはいけないよ」と耳元に囁いた。アーリサがビクッと震えて、コクコクと頷く。よし。
手に持っていたカーテンを自分でひっかぶると、程なく小窓が開いて明かりと共に女が顔を覗かせた。
僕はその女に見覚えがあった。
一度会っただけだが、忘れはしない。
アーリサの母親だ。たしか、名をクラリエット、と言ったか。
「アーリサ、お腹すいたろ?ご飯持ってきてあげたんだよ」
クラリエットは優しい笑顔でそう言うと、小窓から食事の乗ったお盆を差し入れる。
アーリサが僕のカーテンの裾をぎゅっと掴んだ。
僕はアーリサの手をさすってやって、彼女にだけ見えるように唇の動きだけで「大丈夫」と言ってみせた。
「ねぇ、アーリサ。強情張らずにこっちにおいでよ。
母さんとまた一緒に暮らそう?
ハンミルテ様はね、とっても気前の良いお方でね、アーリサのこともスッゴク買ってくださってるんだ。
私の今の旦那もね、今度こそ良い男でね。さっきアンタも会っただろう?ドランっていうんだけどさ」
ええ!?
ぼくは思わず顔をあげて声を出しかけて、何とか思い止まった。
ビクッと反応した僕のほうを見ながらクラリエットは関心を引けたことに気を良くしたのか、ドランとのなれそめを語り始めた。
どうやら思った通りに僕のほうをアーリサと勘違いしてくれたようだ。ハンミルテに僕が元気だと知れない方がいいので上手くいってよかった。
まあ、僕ら二人がいて、片方が寝込んでいたら まずそっちを僕だと思うだろうな。不本意ながら。
クラリエットの話を要約すると、ドランに言い寄られて良い仲になったあと、ハンミルテを紹介されたらしい。
しかしクラリエットのハンミルテに対する評価はほぼドランの受け売りのようだ。
おおかたアーリサを手中に納める為にハンミルテの息のかかったドランに丸め込まれた、といったところだろう。
クラリエットはしばらくダラダラと夢物語のような甘いフィルター越しのドランとのなれそめを語っていたが、一通り話してスッキリしたのか残りの夕食を差し入れると、まるでもう仲直りが済んだ親子のように「また明日の朝来るよ」と笑顔で言って木板を閉め、去っていった。
彼女はまだ気づいていないのだろう。自分がいかに危険な立場にいるかということに。
アーリサを見るときつく唇を噛み締めていた。
僕は立ち上がるとテーブルをベッドに寄せてクラリエットの置いていった食事の盆をそこに運んだ。
クラリエットが置いていった盆には蝋燭が添えられており、チラチラと揺れる明かりが僕らの影を壁に大きく写し出して揺れた。
「アーリサ、食事をとろう」
「欲しくありません……」
「だめだよ、食べなきゃ。きちんと栄養をとらなければ治るものも治らない、と言ったのはどこの誰だったかな?」
僕がニヤリと笑って言うと、アーリサは以前僕に説教をしたことを思い出して ふっと気の抜けたような笑いをこぼした。
スープとパンと茹でて塩をふっただけの芋という質素な食事は、お昼抜きになっていたせいでこんな時なのに妙に美味しく食べられた。
食事に何か混ぜられるのでは、という危険はあまり考えていなかった。
僕のことは殺すかもしれないが、アーリサの事は飼い殺しにしたおはずだ。ならばどちらがどちらを食べるか分からない状況で毒は盛られないだろう、と思ったからだ。
しばらく無言で食べた後、僕は残りのカーテンをひっぺがしてアーリサにかけようとした。
しかしアーリサに「ハコルは今は元気でもあまり無茶をしないでください。今倒れても助けてあげられないかもしれません。それはハコルが着てください」と拒否された。
確かにその通りなのだが、冬の寒さがしんしんと忍び寄る中で明日のために活力を作るべく休まなければならない。
どうしたものか……と考えて、閃いた。
「では、二人出掛けよう」
「えっ!?」
驚き何故か顔を真っ赤にしながら拒絶するアーリサに「では代案を出したまへ」と学校の教師よろしく要求すると、暫くうんうんと唸った後、毛布の共用を受け入れた。
受け入れたくせにうだうだと渋るアーリサの毛布をひっぺがし、二人で全部かけてぎゅっとちじこまっていると、少しずつ暖かくなってくる。
「ほら、やっぱりこれが一番合理的だった」
僕がパズルを解いたときのようにウキウキと言うと、アーリサは諦めたような顔で「そうですね」と言った。
空気を吸うだけでも鼻が痛くなるくらい寒くなってきたので毛布を頭から被ることにし、蝋燭は勿体無いので火を消す。
暗闇の中、アーリサに身を寄せるとアーリサがその分逃げる。
「あ、あんまりこっちに来ないでください!」
「何を言っているんだ。離れると寒いし、話ができないだろう」
僕が声を潜めて文句を言うと、アーリサがキョトンとした顔で逃げるのを辞めた。
「話、ですか?」
僕はそんなアーリサにニヤリと笑ってみせた。
「そう。明日の……サプライズについて、ね」
アーリサは驚きに固まった後、僕の話を聞いて、珍しくニヤリと人の悪い笑みを見せた。




