物置を出て
ハンミルテを追おうとして僕は躊躇した。
いくら今暴力の気配を取り合えず回避したと言っても、彼らはシロを用済みだと思っているのだ。
シロに何かしないとも限らないのに、一時とは言え置いていって大丈夫なのか?
そんな僕の戸惑いを感じてハンミルテが立ち止まった。
「ああ、ソレですか。よほど大切と見える。……そうですな、ご心配なく。その猫はあなた方が私の要望に答えてさえくだされば、ちゃんとお返ししますとお約束しましょう」
そう言うとさっさと歩き出す。
……ころころと変化するこの男の言葉は全く信用ならないな。
しかし製糸社長のゴージルと三度起き上がったドランに追いたてられ、僕は渋々物置を出た。
起き上がらないまま、大丈夫だと頷いて見せるシロが気にかかったが、首の皮一枚で繋がっているような僕らにはどのみち選択肢は無かった。
物置はそれ自体が独立した一つの建物になっていた。
僕らのいたのは二階建ての物置の上の部分であったようで、急な造りの階段を降りていると後ろで二階の入り口の鍵を閉める音が聞こえた。
大振りの錠前は作り自体は単純そうだが、その分とても頑丈に見える。
そう易々とは逃げられそうにないな……
建物の中を横目で確認していると、ドランにイライラと背後をせっつかれた。時々脇腹をさすって舌打ちをしては睨んでくる。そう言えば、屈強な男でも鞭の痛みは耐え難いと聴いたことがあるな。不可抗力で思いっきり打ってしまったが、しかしやらなければやられるあの場では仕方がなかったことだ。むしろシロをその鞭で叩こうとしていたのだから当然の報いだろう。僕はドランを無視して両開きのドアを潜った。
物置を出ると、外の光が目に差し込んできて思わず目を細める。こちらに来てからはあまり時間はたっていないはずなのに、随分と久しぶりに日の光を見た気分だ。
目が慣れてきて辺りを見回せば、今出てきたのと同じような造りの物置が五棟ほどずらりと並んでいた。
「ここ、西門の外の資材置き場です、きっと」
アーリサがこそっと近づいてきて耳打ちをした。
やはりコーフスネル近郊にいたのだ。僕は領地内であった事に少しだけ安堵した。
しかし助けがそうそう来ないことには変わりがない。
いつでも逃げ出せるように、少しでも周りの状況を把握しようと再び目を当たりに走らせる。
目の前には管理小屋と馬屋、荷物を運ぶ馬車、塗り籠めの馬車、そして幌のついた、協会で見たのと同じ型の馬車があった。どこにでもある、よくある型だ。しかし、根拠はなくとも間違いないだろうと感じた。
ハンミルテは塗り籠めの馬車に僕らを案内すると「少し移動しますのでね」と乗るように促した。
ちらっとアーリサと顔を見合せた後、僕、アーリサの順で馬車に乗り込む。
富裕層の所有するこの手の馬車は入ってしまうと中の様子は外からはほとんど分からなくなる。
僕とアーリサが進行方向を向いて腰を下ろすと、向かい合わせにハンミルテが腰かけた。
ゴージルとドランは馭者席にいるようだ。
程なくして馬車が動き始める。
僕はアーリサの手を掴みながら、ハンミルテの動きに注意を払う。
しかしハンミルテは何かをしてくると言う事もなく、ただじっと僕らを冷たい瞳で見下ろしてきた。
「……何を、考えている?」
しばらくの沈黙を破り、思いきって僕が訊ねると、ハンミルテは表情をピクリとも変えずに静かに口を開いた。
「そうですな……世の中の歪みについて、ですかな」
「世の中の、歪み?」
「さよう」
そう言うとハンミルテはふいと灰色の瞳を明かりとりの窓へ向けた。
久しぶりに覗いた晴れ間に向けられた その相貌に、ほんの一瞬だけ優しげな色が滲んだ様に見えた。
しかし直ぐに正面を向いた彼の表情にはそれまでと全く変わらないものになっていた。
きっと陽射しがそう見せたのだろう。
馬車が西門から城壁の内側に入って少しすると、ハンミルテが再び話始めた。
「これから、貴方達には一人の女性に会っていただきます。その女性は眼が見えません。貴方達の事は遊びに来た私の親戚の子として紹介します。くれぐれも余計なことは言わないように」
「女性……?
その方とは、どういった方なのですか?」
唐突な指示に戸惑いながらも訊ねると、ハンミルテは表情を変えずに僕をじっと見据えたまま答えた。
「私の妻だ」
すみません、体調を崩したので今回は特に少ない文字量になってしまいました。




