街へつれていって
暑い。
暑くて暑くて、喉がカラカラだ。
ああ、でも体を起こすのも寝返りを打つのも、目を開けることすら億劫だ。
水が欲しい……誰か……
もうろうとする意識の中で喉の乾きに耐えきれなくなりようやっと重い瞼を開ける。ぼんやりと目に映るのは いつもの僕のベッドのいつもの天覆だ。
僕は……そうか、また気を失ったのか……
本当に、いやになる。
はぁ、と熱いため息を 吐き出すと、少女の少し低めの声がすぐ近くから聞こえた。
「あっ、ハコル様、気がつかれました?!
良かった、良かった……!」
そう言って覗き込んできたのは黒曜石の瞳の気の弱そうな少女だった。
誰だったか……
「シロさん、ハコル様が……っ!」
そう言って僕の手を握っていた両手を放し、後ろに向かって話しかける。
放された手が急に風通しがよくなってスースーする。もしかして ずっと僕の手を握っていてくれたのだろうか。
彼女は……ああ、たしかロリーの友達でアーリサ、だ……
ぼうっと記憶を辿っていると、「失礼します」と少年のような声が枕元で聞こえて、シロが僕の背中に腕を回して抱き起こした。
「ハコルさま、気がつかれましたなら、少しお水を飲んでください。ずいぶん汗をかいておられますので」
そう言ってわずかに浮かせた背中にクッションを詰めこみ、上体を少しだけ起こした状態にする。
僕を抱えるシロのヒゲが頬に当たってこそばゆい。
シロが僕の体を支えている所へ、アーリサがグラスに入った水を差し出してきた。
そのコップを受け取り少しずつ水を飲むと、まるで体の隅々まで水が染み渡っていくような錯覚を覚える。
「はぁ……」
ほっと息をつくと、途端にまた瞼が重くなってくる。
僕はシロに再び横たえられるのに任せて、眠りに落ちていった。
そうして何日たったのか、目を覚ますと久しぶりに頭がスッキリと軽くなっていた。
体を起こすと日はもう高いようで、窓から見える空がこの時期には珍しく青く濃く澄んでいた。
辺りを見回しても、熱に浮かされながら目を覚ます度に必ず側に付いていてくれたシロの姿が見当たらない。
また何処かで丸くなって寝ているのかもしれないな。
シロの寝姿を思い出して思わずふっと口元が緩んだ。
僕はベッドから起き上がるとベルを鳴らしてメイドを呼んだ。
寝ている間に汗をかいたようで、ベトベトと服が張り付いて気持ちが悪い。
お腹が空腹を訴えてくるが、先に着替えてスッキリしたかった。
するとしばらくして廊下の方からバタバタと足音が響いてきた。こんな足音を立てて歩く人物は当家にはいない。
続いてバーン!と音をたてて案の定ロリーが部屋に飛び込んでくる。
後ろでメイドが「いけません、お嬢様!」と必死に止めているがお構いなしだ。
ロリーは僕を見るとあからさまにほっとしたような顔をしたあと、見るまに頬を膨らませた。
「もう!ハコルが弱っちいせいで倒れるから、また私がお母様に叱られたじゃない!」
プリプリと怒りながら、「はい!」と僕に向かってタオルと着替えを差し出してくる。
後ろであわあわとしているメイドを見るに、メイドが気を利かせて運んでいた僕の着替えを、ロリーが奪って持ってきたようだ。
もちろん下着込みの。
僕が頬をひきつらせ、思わずロリーから一式を引ったくると、ロリーは気にした風もなく そのままドカッと近くの椅子に腰かけた。
え、なんで椅子に座るんだ。
「ねえ、もう元気になったんでしょう?
今日こそは街に行きましょうよ!ハコルが三日も眠りっぱなしだったから、私暇で暇で、体に苔が生えるかと思ったわ!」
そう言って僕の方を見ながらニコニコと話しかけてくる。
「……」
「……なによ、黙っちゃって」
「あのさ、これから着替えたいんだけど」
「?早く着替えなさいよ」
本気か、ロリー……
僕は頭を抱えたくなった。
「僕の着替えるところが見たいの?」
「!!?」
するとロリーはとたんに顔を真っ赤にして飛び上がった。
あ、ちゃんと羞恥心は有るんだな。良かった。
どうやら単純に全く異性というものを意識していなかっただけらしい。
あまりにも堂堂と居るからどうしようかと思った。
「べっべっべつにああんたの着替えなんか見たくないわよ!!レディに対して失礼よ!デリカシーが無いわ!!!」
ロリーは僕から不自然に目をそらし、絨毯の一点を睨みながらそう叫ぶと、フン!フン!と鼻息も荒く部屋を飛び出していった。
メイドが慌てて僕を見るので、手を振ってロリーの面倒を見るように指示をだすと、一礼して追いかけて行った。
部屋に一人ポツンと残された僕は、「はぁ」とため息を一つつくとタオルで体を拭って服を着替え始めた。
しかし、ロリーの口からデリカシーという言葉が飛び出すとは思わなかったな。
意味が分かって言っているんだろうか。
その日、ロリーはさすがに街に行こうと食い下がっては来なかった。
追いかけて行ったメイドが、気を取り直して僕を街に連れ出そうとするロリーを、叔母の存在をほのめかして必死に宥めてくれたらしい。
ロリーとしても近隣の領地にご挨拶に回っている母親をまたも呼び戻してお説教をくらうのはさすがに避けたかったようだ。
次の日、一日も我慢したロリーは朝食の席で眉を吊り上げながら「今日こそは街に行くわよ!」と言い放った。
ここのところ大人しくしていたせいでだいぶ鬱憤が貯まっているのだろう。
まあ、僕としてもたまには街に出て気分転換をするのは嫌いではない。
僕が領主の息子で、連れが暴れん坊のロリーという事を除けば、だが。
ただでさえ周りは領主の息子が来た、と気を使っているところへ、ロリーが「暴れる・壊す・いなくなる」の三原則を必ずやらかすので、周りの大人達は、やれ責任問題だと大騒ぎになる。
ロリーとは、僕が学生寮に行ってから3年も連れだって街へは行っていないが、その間に彼女が大人になったとは先日の事件からも到底思えない。
しかし、ロリーの気質からこのまま行かずにこの冬を済ませられるともやはり思えない。
仕方がない。遠くからの見張り役に、若いのを更に二人連れていくように後で家令のモルゾイに言っておこう。
「分かった」
僕が頭の中で計画を立てながら言うと、ロリーは両手を上げて「きゃあ!」と言って喜んだ。
横でアーリサが「良かったわね、ロリー!」と言いながら、自身も嬉しそうに笑う。
その後は街に着いたら何を見たいかの話で盛り上がっていた。
基本的にはロリーが喋り、合間合間でアーリサがあいのてを打ったりちょこっと質問を挟んだりしているのだが、ずいぶんとウマが合うらしく楽しそうだ。
さすがに二人してそんなに素直に喜ばれると、僕も何だか久しぶりに少し楽しみになってきた。
そう言えば、街に新しい焼き菓子店がいくつか増えたと聞いたな。
僕は昔から甘いものが大好きだ。
とは言え可愛らしい雰囲気のお店には僕だけだとなかなか入り難い。しかし、二人を案内するという形でなら堂堂と入って品物を物色できるだろう。
ふむ、しばらくは甘い菓子を楽しめそうだな。