追いかけっこの先に
森へ行くにあたって、元々のアーリサの服はもう着れなくなっていたので程よいサイズの服を調達させたりと、向かうにも準備が必要だ。
モルゾイがそれらを手配しに慌ただしく動いている隙をついて僕はこっそりと部屋を抜け出した。
お忍用の目立たないコートをきっちりと着込み、帽子を目深に被って防寒は万全だ。
南外区で着ていたと言うアーリサの服をちらりと見たので、街では目立たないこの格好でも森へ行けばかなり人目を引いてしまうだろうと予想がついた。
途中何処かで服を調達する必要がありそうだ。
そんなことを考えながら屋敷の裏手に回る。
裏庭の奥の方には庭師のコナー翁が苗木を搬入したりするのに使う搬入口と管理のための小さな小屋、そして搬入用の荷馬車がある。
普段馬は繋がれてはいないが、今回の森行きのために繋いでおくように指示しておいた。
あれを先に使えば森へ先回りできるだろう。
そう、僕は森へ行くことを諦めてなどいなかった。
あの日僕が教会へ行くと言い出さなければこんなことにはならなかったという思いが拭い去れない。全てを自分のせいにするほど傲慢なつもりはないが、やはり責任は感じるし、じっとしてなどいられない。
しかし、モルゾイにどんなに言いつのっても首を縦に振らないことは明確だった。彼にも彼の立場があるのだから当然だ。
だからといってアーリサを一人危険な目に会わせるわけにもいかない。
だからこっそり先回りして馬車を奪い、僕が森へ行こうと決めた。
大丈夫だ。木に赤い枝をくくりつけたら、売人が確認しに来るのを何処かに隠れてこっそりと見張っているだけでいいんだ。難しい事じゃない。きっとうまくやれる。
そう心を奮い立たせた。
裏庭まで難なく降りることができた僕は、そのまま背の高い木の陰に隠れるように移動をする。
注意深く辺りを伺いながら小屋のある方へ進むがコナー翁の姿は今のところ見えない。
馬車の準備をしているのだろうか?
だとしたら馬車にたどり着いてからが厄介だな。
前庭で作業をしているとかなら良いのだが……
その時、誰かが僕の肩をトントンと叩いた。
「!!?」
「しっ!私よ!」
僕があまりの驚きに口から魂の叫びを迸りそうになったところを、素早く暖かな手がぐっと抑えつける。
「ゥヴー……!」
ロリー!
僕の上に覆い被さるように飛び乗って口許を力任せに押さえてくるロリーに驚きで目を見開く。
何故ここに!
「驚いた?ふふ、ハコルの考えることなんてお見通しよ!森へ行くのでしょう?私も着いていってあげるわ!」
とても楽しそうに満面の笑みを浮かべるロリーに僕は半ば諦めつつも諭しにかかる。
「ロリー、君は危険だから屋敷にいて欲しいんだ」
「あら、大丈夫よ。大人がついてくるのでしょう?」
「人数が増えると守りたくても守りきれなくなる。お願いだから屋敷にいてくれないか?」
「嫌よ」
「ロリー……」
僕がため息をつくと、ロリーがキッと僕を睨んだ。
「嫌よ。だってアーリサは平気なふりしてるけど、時々庭の隅で泣いてるのよ。
私、知ってるんだから。だから、嫌よ。
あの子が私の知らないところで不幸になっているのは嫌。私も行くわ」
ロリーの強い森色の瞳に滲む気遣いの色に、僕は自分を恥じた。
彼女は遊び半分なんかじゃない。彼女には彼女なりの、行く理由があるのだ。
「もし置いていくって言うなら、この足でモルゾイの所に言いに行くわよ!ハコルが一人で先に行こうとしてるって!」
「しっ!静かにしてくれ、ロリー」
僕が返答につまっている間に、ロリーが置いていかれてなるものかとばかりに立ち上がると、地団駄を踏みそうな勢いで声をあげる。
僕はとっさにそんなロリーの口を塞ぐと、腹を括った。
「分かった」
「本当!?」
やったーと喜ぶロリーにすかさず釘を刺す。
「ただし、森の入り口に赤い木をくくりつけたら、遠くに隠れて様子を見るんだ。その間決して声をあげてはいけないし、危険なようなら直ぐに逃げるんだ。いいね?」
「分かったわ」
ロリーが素直に頷く。
「よし、じゃあとにかくまずは裏の小屋に行こう。
荷馬車を準備するように言ってあるからそれで門までは行ける。門を出たら……いや、とにかくまずは屋敷の者に気づかれずに馬車を奪って街へ降りる!」
「分かったわ!」
説明の途中から瞳の精気を失い始めたロリーにとりあえずの行動を告げると、元気に返事が帰ってきた。
「そうはいきませんよ!」
僕とロリーが歩き出そうとすると、更に声がかかった。振り反ると今度はアーリサが厳しい目で立っていた。
「ハコルの部屋に様子を見に行ったらおられませんでしたので。まさかと思い先に馬車へ来てみればロリー、貴女まで……」
「アーリサ、僕は……」
僕がアーリサを説得しようと口を開いた時、ぐいと強く手を引かれた。
「走って!!!」
「!?」
ロリーが僕の手を引っ張ったあと猛然と走り出した。
僕も条件反射で走り出す。昔からイタズラがバレるとロリーは突発的に「逃げる」という選択肢を選ぶ。何時もなら僕は走りながら「どうせ最後は捕まるのだから、逃げることに意味はないのに……」などと思うのだが、今回は確かにその方が正解な気がした。
「あっ!こら!待ってくださいっ!!
ロリー!!ハコルっ!!!」
とっさの事に反応の遅れたアーリサが慌てて僕らの後を追ってくる。
屋敷の者に声をかけられたらどうしようかと思ったが、突然の事にアーリサもその選択肢は思い浮かばなかったのだろう。
令嬢なのに先頭をきり、指先をまっすぐ揃えた腕を豪快に振りながら胸をそらしぎみに走るロリーに僕は置いていかれまいと必死に走る。
うん、ロリーの逃げ足の心配より、自分の心配をすべきだったな……
走りながら僕は少しだけ悲しくなった……
どのくらい走っただろう。息が上がり始め、うちの庭はこんなに広かっただろうか、と少し不振に思った頃、ロリーが豪快にこけた。
段差につまずいたのだろう。あっと声をあげたかと思うと彼女の体が放物線を描いてふわりと飛んだ。
スローモーションのようにゆっくりであるのに、伸ばした手も空しく宙へ放り出されたロリーの体は植木の密集している隙間をうまい具合に縫うようにガサガサバザーッと音を立てて緑のなかに落ちていった。
「ロリー!!」
アーリサが悲鳴をあげ、僕らは追うもの追われるものであったのも忘れて揃ってロリーの落ちた方へ駆け寄った。
植え込みを掻き分けると、ロリーは植え込みを少し越えたところにうつ伏せに倒れ込んでいた。
えらく飛んだな、などという不謹慎な感想が頭をよぎるがさすがに口にはしなかった。
「ロリー、大丈夫ですか!?
けがは!?」
アーリサが傍らに屈み込んでロリーを抱き起こす。
「あっ痛たたいたーぃ……、やだ、手の皮がめくれちゃったわ~」
ロリーが体を起こしながらむくれたような声を出す。手の皮が捲れてそこまで冷静な令嬢って……いや、元気そうでなにより。
「もう、逃げようなんてなさるからですよ!」
「だってぇ~」
「ハコルも!まさかハコルまで一緒になって逃走するとは思いませんでした!」
「いや~、ははは?」
安心したアーリサがプリプリと怒っているのから思わず目をそらして、僕ははたとその景色に既視感を覚えた。
うちの裏庭にこんなところがあっただろうか?
高い木々に囲まれた、開けた芝生の広場。
よく知っているはずなのに、僕の頭の中にある庭の地図にこんなところはない。
しかし、見覚えがある。
「あれ、こんなことろありましたっけ?」
同じく屋敷に来てから間を縫っては庭に来ているアーリサも辺りを見回しながら言った。
僕は何となく胸がざわざわとするのに引かれ、足を踏み出す。
「どこに行くの?ハコル!」
ロリーが聞いてくるが、僕は答える言葉を持っていなかった。
何があるというのだ?
分からない。でも、何か大切なものがあった気がするのだ。
広場の片隅に覆い被さるように繁る木々に埋もれるように石造りのアーチがあった。
アーチを潜ってその先、低木で作られた小路を曲がると、視界が再び開ける。
そこには、優しいミルクティー色の煉瓦の日時計があった。
中心には青みがかった黒く固そうな石が日の光を受けてたたずんでいる。
あの日と同じように。
僕は蘇る記憶のままに、恐る恐るその真ん中の石に手を乗せた。




