ー アーリサの回想 2 ー
「君には丁度良い話かもしれないな……」
伯爵様はぼそりと呟くと 気をとりなおすように咳払いをひとつして話を進めた。
「今後の事だがね、君にお願いがあるんだ」
そう言って伯爵様は じっと私の目を見た。
もう瞳は笑っていなかった。
「私の息子、ハコルにこの先ずっと仕えて女神の雫の力を使ってくれないか?」
真剣な顔で私を見てくる伯爵様から目をそらせず じっと見返しながら、しかし私は状況がうまく理解できずにいた。
息子に仕える?え、私が!?
女神の雫だからって………何で?
混乱する私に伯爵様はやや目を伏せてゆっくりと説明してくれた。
「息子のハコルは生まれながらに魔力を体内で作り出す力がとても弱くてね。生まれた時は一年ももたないと言われていたんだよ。今はシロ……古の人形型の魔術具なんだが、それから魔力を少しずつ供給して何とか長らえている状態だ。
しかし魔術具の魔力も無限ではない。もし君がハコルに魔力を供給してくれたなら 私はとても心強い。……どうだろう、引き受けてはくれないかな?」
そうか、ハコル様は体が弱くて、次の伯爵を次ぐのは厳しいんじゃないかって よく街の人たちも話していたけど、本当だったんだ。
そうかぁ。可愛そうだなぁ。
私が魔力あげたら元気になるなら、やっても良いけど……
って、でも 待って。今この場でそんなに簡単に将来を決めてしまっていいの?もうちょっとよく考えなきゃいけないことよね?
うーん、伯爵様の事は……まだ少ししか話していないけど、悪い人じゃ無さそうだとおもうなぁ。
だって私ごとき下層の貧民、有無を言わせず「やれ!」って命令しちゃえば良さそうなものなのに、こうして選ばせてくれてるんだもん。
……ん?あれ、でも ハコル様に使えるってことは、つまり伯爵家に仕えるって事じゃない?
それってつまり、安定して高収入ってこと!?
私は気付いた事実に途端に興奮した。
伯爵家に仕える事ができれば、たとえそれが下働きでも、食べるのに困るような事は無くなると聞いたことがある。
そんな良い条件ともなれば やりたい者は後を絶たないが、そういう所はそうそう紹介もなく雇って貰えるものではない。ましてや私のような何の伝もない貧民には雲の上の話だった。
そんなオイシイ話が、今まさに目の前にぶら下がっている。
しかも仕事内容からしてそうそう変わりのきく仕事ではない。つまり……つまり、一生安泰って事だ!
「私、やります!」
私は勢いよく立ち上がると、驚く伯爵様に向かって声を張り上げた。
頭のなかにはめくるめく高収入な日々が投影されて、目の前の伯爵様が何か言っているのも全く頭に入ってこない。
お給料を貰えたら、母さんも出稼ぎに行かなくても良くなるんじゃない?そうしたらずっとずっと家族五人で暮らせるわ!
もうお腹を空かせることもないし、……そう、家だって南外区から城壁の内側に借りられるかもしれない!
城壁の内側は南区と言えど外に比べたら治安も格段に良いし、近くに井戸があったりするらしい。
城壁内の汚水が混じった水が流れる出る川に、わざわざ汚れる時間帯をずらして汲みに行かなくてもいいなんて、冬は寒さの厳しいコーフスネルでは本当に嬉しい。
私の頭は早くも楽しいに違いない未来予想図でいっぱいになってしまい、何度も何事か念を押す伯爵様の話しやその後の事務的な説明を引き継いだモルゾイさんの話をほとんど聞いていなかった。
ああ、早く家に帰って皆に報告したいわ!
一通り話が終わり、私はお屋敷から街の中央区までをお屋敷の馬車で送ってもう事になった。
なんと軽鎧を着た護衛までついた。本当にお姫様にでもなったかのような待遇に私が驚いていると「やれやれ、やはりきちんと話を聞いてなかったのだね」と苦笑いされた。私は恥ずかしさと申し訳なさで顔が火照るおもいだった。
伯爵様のお話を聞いていなかっただなんて、どんな罰を受けるのだろう、と私がしきりに頭を下げていると、伯爵様はたまらないと言わんばかりに声をあげて笑いだした。
「はっはっは!良い、良い。
早く家族に会いたくて仕方がないのだろう?
君の家族を思う気持ちを考慮できなかった私の落ち度だな。
早く帰ってあげなさい。話はまた明日屋敷に来たときに詳しくしよう。
君はまだ小さいから、家の人を連れてきなさい」
「は、はい。ありがとうございます、伯爵様」
伯爵様は家まで送るようにと馭者に言ってくださったけれど、南外区に馬車なんかで護衛つきで戻ったら目立ってしかたがない。私が必死にお断りすると、伯爵様は「決して誰にも、家族にも自分が女神の雫であったことを話してはならない。いいね?」と私に約束させてから、しぶしぶ中央区までで納得してくれた。
女神の雫だって知られない方がいいって言うわりに目立つことしようとするなんて、お金持ちの人ってやっぱりちょっとズレてると思うんだけどなぁ。
伯爵様との面会の後、控え室に戻ると私は素早くいつもの襤褸に着替える。
今日着せられた服を返そうとしたら、メイドさんに「それはアーリサさんが着るようにと用意されたものです。アーリサさんは上級使用人におなりの予定ですので それなりの服を、との伯爵様のご配慮ですわ」と言われた。
上級使用人!?
下級使用人でも信じられないくらい幸運なのに!
私はあまりの事に叫んでしまいそうになったが、もしかしたらさっき伯爵様やモルゾイさんがしていたお話の中にその事もあったのではないかと思い至り、とっさに知っていた風を装う。
えっと、たしかこういう時は……
「ありがたき光栄のいたりでございますでさ……わ……?」
何言ってんの私!
驚きを無理に誤魔化そうとしたら言葉が途中から良く分からなくなった。
ちらっとメイドさんを盗み見ると、真面目そうな顔をしていたが口許が歪んでいた震えていた。いっそ笑って……
私は馬車を降りて護衛さんと別れたあと、南門を通り抜ける前に露店の並ぶ辺りへちょっと寄り道をして芋を籠に買えるだけ買った。
王都に連れていかれる前の一日分のお給金がスカートのポケットに入っていたのを、一年前コーフスネルをたつ前に伯爵様のお屋敷に連れていかれてから気付いたのだが、家族に渡す間もなく王都行きの馬車にのせられていたのだ。
王都で使うかと思ったが、あちらでは着るものも食べるものも全て揃えられていたので使うことはなかった。そもそもほとんど施設から出なかったので、使うタイミングもなかったのだ。
これから頑張っていっぱい稼ぐから、今日くらいは奮発してもいいよね?
元々が少ないお金なのでいっぱいは買えなかったが、きっとお祖母ちゃんも弟たちも喜んでくれるだろう。
足取りも軽く家に帰ると、薄暗い屋内で知らない男が酒を飲んでいた。
あれ?家を間違えた?
私は一度戸を閉めて辺りを見回した。
うん、ウチで間違いない、よね?
ではあの男は誰なのか?
もしかして、また新しいお父さんかな……やだなぁ。
私はもう一度そろそろと戸を引いて中を覗き込んだ。
すると、気配を感じたのか男がこちらを見た。
「ぁあん?誰だ、てめぇ。他人の家覗いてんじゃねぇぞ」
「こ、ここは私の家よっ。あなたこそ誰?」
私は男に凄まれて怯えながらも震える声を叱咤して言い返した。
「ああ?何言って……」
男は赤く充血した目を吊り上げながら、生意気にも言い返してきた私に怒鳴ろうとし、そこで はたと気づいたように言葉を切った。無精髭の生えた顎を撫でつついやらしく笑う。
「ははぁ~ん、お前 アーリサだろう。
クラリエットが領主様に売ったっていう」
むわっと男から強い酒の臭いが漂ってくる。
いなくなった父さん達と同じ息の詰まる臭いだ。どうやら予想は当たっているようだ。
私は顔をしかめた。
それに男の言った言葉も引っ掛かる。
私を売った?母さんが?この男は、何を言っているんだろう。
私は売られてなどいない。母さんがツテを使って私の秘められた能力を見つけてくれたのだ。
おかげで、私は領主様のお屋敷で雇ってもらえる事になったのだ。
私が悪口を言われたのだと思いムッとしたのに気づいたのだろう、男はますます人の悪そうな笑みを深くして、毒のような言葉を重ねてくる。
「なんだ おめぇ、その顔は知らなかったのか?
まあ、そうだろうなぁ。でなけりゃ自分を売っぱらった母親の元になんざぁ戻って来たりはしねぇだろうよなぁ!」
ぐへへと笑う男からはひしひしと悪意を感じる。
私が苦しむのを見て喜ぼうとする類いの悪意だ。
この男は嫌いだ!
私は本能的にこの男の話を聞いてはいけないと感じ、家族の姿を探して家の中を見回した。
辺りは薄暗かったが、狭い家のなかだ。
この部屋には居ないのはすぐに分かった。隣の部屋で寝ているのだろうか。
「なあ、お前ちょっとばかし魔力があるんだって?クラリエットも運が良いぜ。
工場長が魔力持ちを探しているってぇ話を聞いて売ってみたら、なんと相手はあの領主様ときたもんだ!
知ってるか?お前、なかなかの高値で売れたらしいぜぇ!」
ぐへへと酒の混ざった唾を飛ばしながら悪意を撒き散らす男から顔をそむけて、私は外に向かって叫んだ。
「母さん!
母さんはどこ!?おばあちゃん!アニ!サラ!」
どこに行ったの!?
何で誰も居ないの!!
泣きそうになりながら外に駆け出そうとした私の背に向けて、その答えをくれたのは皮肉にも酔っ払いの男だった。
「バアさんはとっくに死んだよぉ」
「!!」
私の手から籠が滑り落ちる。
バラバラと痩せた芋が床に散らばったが、それに構う余裕はなかった。
聞いちゃダメだ!
私は自分に言い聞かせた。
だって、こんな酔っ払い男の言うことなんて、何一つ信用ならない。
この男の言うことは嘘ばっかりだ。母さんが私を売るわけ無いじゃない。
だから、お祖母ちゃんが死んだなんていうのも、嘘っぱちだ。ぜったい、ぜったい嘘っぱちだ!
早く、家族を探さなければならない。
どこに行ったんだろう?
早く会って、私たちの家に変な男がいるって教えて、それで……
頭のなかで必死にそう思うのに、足が地面に縫い止められたように動かない。
聞きたくないのに、耳が、全神経が男に集中してしまう。
「丁度お前が売れた頃だったかなぁ。
ばばあのクセに口ばっかり達者で煩せえったらなかったが、死んじまうとちょっと勿体無かったって思うぜ。何だかんだ稼ぎがあったからなぁ。
今はガキどもに山に採集に行かせてっけど、やっぱ所詮はガキだからな。酒の摘まみも買えやしねぇ」
男は忌々しげに酒の空になった瓶をテーブルに乱暴に置いた。
ドンという鈍い音に、私の体は勝手にビクッと反応する。
男が椅子からゆらりと立ち上がってこちらに一歩踏み出した。
「酒代も尽きたし そろそろクラリエットとも潮時かと思ったんだけどな。
金蔓が自分からのこのこ戻ってくるたぁ、オレもついてるぜぇ」
男が下卑た笑を浮かべながら更に数歩近づいてきた。
私は恐ろしくて金縛りにあったようにその場を動けなかった。
頭のなかでは警鐘が鳴り続けている。
ダメだ!捕まったらダメだ!
逃げなきゃ!早く!逃げなきゃ!逃げなきゃ!逃げなきゃ!逃げなきゃ!逃げなきゃ!逃げなきゃ!逃げなきゃ!
動け!動け!動け!動け!動け!動け!動け!!!!
そんな私を男が嘲笑う。
その時、
ガタン!
背後で音がした。
私が弾けるように飛び上がって振り返ると、そこには大きく戸を開け放って軽鎧を纏った男が立っていた。
「あ……」
そこにいたのは先刻中央区で別れたはずの、伯爵様に付けてもらっていた護衛さんだった。
「話しは粗方聞かせてもらった」
護衛さんはそう言うと、私の肩を押して背に庇う。
「この娘は伯爵様が買ったのだと、そう言ったな。
ならば貴様は伯爵様の所有物をそれと承知で売ろうとしたことになるな」
護衛さんが低い声で「伯爵に報告申し上げねばな」と言うと、酔っ払いは赤かった顔を青く変えて、顔の前でブンブンと両手を振った。
「と、とんでもねぇ!
オレァちょっとその娘をからかっただけで……」
酔っ払いが「なっ!」と私に愛想笑いをしてくるが、私は恐ろしさで護衛さんのマントの影に隠れる。
「おい、お前。この娘の母親は今何処にいる?」
「こ、工房におりやす」
「そうか」
そう言うと護衛さんは私の背をそっと押して外に出て、ドアを閉じた。
南区の城壁付近に来るときに使った馬車が止めてあった。
私の顔色が余程酷かったのだろう、御者さんは心配そうに護衛さんと少し言葉を交わしたあと、私を乗せてゆっくりと馬車を走らせてくれた。
馬車に揺られながら、私は向かいに座る護衛さんにおずおずと訪ねた。
「あの……、わたし。売られていたんですか……?」
「いや、私はそんな話しは聞いていない」
「でもさっき、伯爵様の所有物って……」
「ああ、あれか。あれはもしそうだとしたら、と言って……ちょっとからかっただけだ」
「そう、ですか」
酔っ払い男の真似をする護衛さんの無器用な気遣いが伝わるが、心は晴れない。
本当のところはどうなんだろうか。
ずっと魔力持ちはみんな検査を受けるのだと思っていた。でも、伯爵様はハコル様の為に女神の雫の能力持ちが必要だったから、私をわざわざ王都にやったのだ。ならば、私はすでに売られていたのか?
……いや、伯爵様は私に勤めるかどうかを選ばせてくださった。所有物になっていたのなら、そんな事を聞いてくるのはおかしいだろう。ならば やはりあの男はでたらめを言ったのだ、と思う。
そう思って安心するが、安心した端からまたムクムクと不安が沸き上がってくる。
もし、あの男の言う通り売られたのだとしたら……私の帰る家は、もう無いのかな。
そう思うとゾッとした。不安で叫び出しそうになるのを唇を噛み締めてこらえる。そんな私の頭に突然大きな手のひらがポンっと乗った。
何かと思って目を上げると、困ったような顔をした護衛さんが私の頭をぎこちなく撫でていた。
「私はただの護衛なので詳しいことは分からないが……、伯爵は人の身柄の売り買いをするようなお方じゃない、と私は信じている」
そう言って不器用に撫でる暖かい手の温もりに、私はやっと詰めていた息を吐き出した。
護衛さんが酔っ払いに母さんの居場所を聞いていたので、てっきり母さんの職場に行くのかと思ったが、馬車はまっすぐ領主様のお屋敷に戻っていった。
お屋敷に戻ると、少し驚いた顔をしたモルゾイさんに迎えられた。
「いったいどうされたのですか?お顔が真っ青ですよ」
「それが、あの……母さんがいなくて……酔っ払いが……」
要領を得ない私の説明に、モルゾイさんが護衛さんを見る。
「モルゾイさん、アーリサさんはとてもお疲れのようです。どうぞ今日は休ませてあげてください。
詳細は私から旦那様にご説明申し上げますので」
護衛さんがそう言ってくれて、モルゾイさんが伯爵に許可を取ってくれたので、私はその日お屋敷の一室で休ませて貰える事になった。
使用人用の一室に案内され、寝巻きに着替えようとしたとき、私は初めて自分がずっと拳を握りしめていた事に気づいた。
手を開こうとしても、白く握りしめられた手は全く動かなくていた。
私は焦りつつ何とか握り込まれた指先をベッドの角に引っ掻けて無理矢理少しずつ広げる。手を擦り会わせているうちに、次第に強ばりがなくなっていった。
私はため息とも安堵ともつかない息を吐くと、のろのろと王都で支給されていた寝巻きに着替えた。
今日は酷く疲れた。
もう何も考えたくない。
どさりとベッドに身を投げ、毛布に潜り込んでぎゅっと目を閉じる。
きつくきつく閉じたにもかかわらず、涙が後から後から溢れて、シーツに染みを作っていった。
次の日、朝の早いうちから使用人たちの起き出す音で目が覚めた。
私は手早く支給品のローブに着替えて顔を洗うお水をもらいに下に下りる。
厨房の裏口を進んだところにある井戸に手桶をもっていって顔を洗おうとすると、周りの人が私の顔を見て驚いたように目をしばたかせた。
何だろう?
そのまま食堂へ向かい朝食を頂こうとすると、今日も隙の無い身のこなしのモルゾイさんと目があった。
モルゾイさんは私を見ると他の人たちと同じように目を見開き、しばたかせた。
だから、何なの?
「何かおかしいですか?」
私が寝癖でもあるかと髪を少し撫でながら聞くと、
モルゾイさんはコホンと一つ咳払いをして私を手招き、廊下の突き当たりにある大きな鏡の前に連れてきた。
こんなところに鏡があったのね。
私は何気無く鏡の前に立って思わず声をあげた。
「きゃあぁ!何コレ何この顔っ!!」
目がパンパンに腫れ上がり、人相がふてぶてしい犬のようになっていた……。
年の近い下働きのキッチンメイド見習いの娘に付き添われ 井戸の近くで目の腫れを取ったあと、私は伯爵様に昨日と同じ書斎に呼ばれた。
「おはようアーリサ。昨日の話しは聞いたよ」
そう言って私に歩み寄ると、伯爵様は優しく頭を撫でてくれた。
ふと祖母がよく頭を撫でてくれたことを思い出した。目頭がまたじわりと熱くなる。
お祖母ちゃんは本当に死んだのだろうか?
アニエルとサララナはどうしているのだろう?
母さんは……
うつむいて涙を絶える私に、伯爵様がすっと真っ白なハンカチを差し出してくれる。
「さあ、涙を拭いて。怖かったろう。
……ねえ、アーリサ。
実は私はこれからここに君の母親を呼ぼうと思う。君の雇用の話もあるからね。
そこで彼女の口から今回の事の説明も聞こうと思うんだ。どうして私が君の身柄を買ったなどという話になっているのかもね」
私はビックリして涙が引っ込んだ。
目を見開いて伯爵様を見上げる。
伯爵様は王子さまのようなかんばせを辛そうに歪ませて私にゆっくりと聞いた。
「おそらく、聞くに耐えない辛い話を聞いてしまう事になるだろう。もし、君が聞きたくないと思えば、今はまだそれでも良いと私は思っている。誰も君を攻めたりはしない。
それでもアーリサ、一緒に真実を聞く気があるかい?」
部屋にしんと沈黙が下りる。
私は手にしたハンカチをじっと見つめながら考えた。
聞くのが怖い気もする。
でも聞かなかったからって、その事実が無かったことにはならない。
今聞くか、もう少し後になってから聞くかの違いくらいだろう。
正直聞きたくはない。
でも、もしかしたら今じゃないと間に合わない何かがあるかもしれない。
それにやっぱり、弟妹の事も気になるし。
私は顔をあげて伯爵様の森色の瞳を見返して言った。
「一緒に、聞きます」
伯爵様は「そうか。分かった」と言うと、私に時間まではゆっくりとお茶でも飲んでいなさい、と進めてくれた。
お昼をまわった頃、母さんと弟妹達がなけなしの一張羅でお屋敷にやって来た。
部屋の窓側に私と伯爵様と、何故か伯爵様によく似た顔の美しいけど知らない叔母さんが座り、向かいに母さんとアニエルとサララナが揃っていた。
戸口の近くにはモルゾイさんと護衛さんが立っている。
母さんは私と目が合うと、すっと顔を背けた。
胸が重りを入れたように苦しくなる。
母さん……やっぱり、私の事を……?
皆が揃うと伯爵様が母さんに話しかけた。
「さて、クラリエット。アーリサを長らく王都へやっていたが、ようやく昨日戻ってきた。お前もさぞや嬉しいだろう」
「は、はい、それはもう……はい」
母さんは恐縮してしどろもどろに答えた。
私は母さんの隣に座る弟妹の様子をうかがう。
一年の間に元々痩せてはいた体は枯れ枝のようになり、不安げな瞳で私と母さんを交互に見ている。
「私もアーリサにはとても期待をしている。そこでアーリサには私の屋敷で働いて貰いたいと思っている。アーリサ自信も働くと言ってくれたのだが、どうだろう」
伯爵様がにこりと微笑んで言うと、母さんは一瞬意味が飲み込めない顔でポカンとしたが、直ぐに頬を蒸気させながら頷いた。
「まあぁ、アーリサを!アーリサがお屋敷に!
ええ、ええ!もちろん!」
「そうか、それはよかった」
伯爵様も機嫌よくうなずく。しかし直ぐに思い出したような顔をした。
「ああ、そうだ、クラリエット」
「何でございましょう伯爵様!」
「アーリサはとても家族思いなのだね。アーリサには、彼女が王都で検査を受けている間に稼ぐはずだった生活資金を纏めて家族に渡してあると伝えたのだけれど、早く帰って元気な顔が見たいと戻ってすぐに自宅に帰ったそうだ」
にこにこと上機嫌だった母さんの顔から笑顔が無くなる。
そんな母さんから目を離さずに伯爵様はゆったりと両手を組むと話を続ける。
「ところがそこに見知らぬ酔っぱらいの男が住んでいて、戻ったアーリサに酷い事を言ったらしい。
……私はアーリサを買った覚えはないんだがね。
その男は君がそういう認識だと言ったそうなんだ」
そう言う伯爵様の手元にモルゾイさんが手渡したのは、私が王都に行くときに書かされた契約書だった。
私は当時は字が読めなかったので、別に書いてもらった私の名前を同じように書き写しただけだったが、今は王都にいる間に読み書きを少し習ったので少しは読めるようになった。ちらりと覗くと、そこにはとうてい私なんかには稼ぎ出せそうもない金額が書いてあった。
母さん、ぼりすぎよ!
一瞬呆れそうになったが、子供を少し良い値で売ればこのくらいの値段になると聞いたことがあるのを思いだした。金に困っていた時に、何人目かの父が言ったのだ。非合法というだけで、案外身近にそういう商売は存在している。その時はお祖母ちゃんが怒ってくれて事なきを得たのが、自分の子供を売る親も珍しくはなかった。
そう……これは、私自信の値段だ。
しかし書いてある内容に目を通すと、私が聞いていた通り、王都にいっている間の生活補償金となっていた。
「あの、私は……字が読めなくて……」
母さんが困ったように言った。
伯爵は「契約時に説明が有ったはずだがね」とため息をつきつつ言う。母さんはその説明は建前だと思ったそうだ。ちらりと私を見た後、言いにくそうに話始めた。
「あの、お金に困っていたところに、旦那様……勤めている工場の社長から魔力持ちを探しているというお話を聞いて……その、魔力持ちは高く売れるし、待遇も良いからアーリサにとっても悪い話じゃないって言われたんです」
「だが、人身売買は我が国では禁止されている。知らない訳じゃないだろう?」
伯爵が眼をすがめて訊ねる。母さんは震えながら一生懸命訴えた。
「それは、でも!実際にはやってる人は大勢います!お金がなくて、仕方がなかったんです!」
母さんは私の方を見ながらいい募った。
「アーリサ、ごめんなさいね。でもああするしかなかったの。アーリサなら、分かってくれるわよね?母さんも、本当にいいお話だったから旦那様にお前をお任せしたのよ。貴女のためを思って……。
それに、ほら、お陰で貴女こうして伯爵様の所で働けることになったんだもの。本当に、何て素晴らしいの!ただ魔力があるだけならそこまで珍しくもないのに、愛玩奴隷の枠を越えて大出世ね!お母さん皆に自慢できるわ!」
私は母の顔から目が反らせなかった。
母は心のそこから嬉しそうに笑っている。
私を売った事を、私も良かったと言うと信じているのだろうか。
「クラリエッタ、止めなさい。どんなに言い繕っても君が非道な行いをしたことには何ら変わりがない。それに君は先程からお金がなかったとしきりに言うがね、アーリサを雇うと決めたとき、私が君たちについて調べなかったとでも思っているのかね」
伯爵様が母を嫌そうに見ながら言った。
「君は工場で稼いだ給金の殆どをアーリサの出くわした男に貢いでいたようだね。その金があれば、娘を売りに出すようなマネをしなくともやっていけたのではないよかな?その娘も少ないながらも稼ぎを得ていたようだし、君の母親の収入も少ないながらもあったようだ」
「貢ぐなんて、そんな。ただ私は……あの人の事を愛しているんです。だから喜んで欲しいと思って、私にできる限りの事をしただけです。……っだいたい、私が汗水たらして稼いだお金を何に使おうと私の勝手じゃあありませんか!」
「親でなければ。君は子供達の母親だ。君が育てなければ誰が彼女らを育てる?」
母さんはそれまでの笑いを引っ込めると苛立ちをにじませる。
「子供なんて、欲しくて生んだんじゃないわ!母親だの義務だのと、もううんざりなのよ!
自分のしたいこともできない、お金も自由にできない。そりゃ、子供が可愛い時だってあるけれど、わがままを言って私に恥をかかせたりするし、私の足を引っ張るようなことばかり……!それなのに、私はこんなに頑張っているのに、誰も私を誉めてくれない。でも、あの人は違うわ。私の事を魅力的だって言ってくれるの。私の辛さを分かってくれるのよ」
恍惚とした母の表情にゾッとした。
「弟妹の面倒を見て、アーリサは本当に良い子ね」そう言って褒めてくれた母の笑顔がどんなだったか、何故か全く思い出せなくなった。
弟妹の方を見ると、弟は話の意味が分かってしまったのだろう、俯いて小さく震えている。妹の方は母さんの異様な様子に怯えながらも小さな枯れ枝のような手で母の服の裾を握りしめている。
その顔にはあまり生気がない。
成長期に一年も会わなかったのに、二人に成長した様子は全く見られなかった。
二人の姿は栄養が足りていない、親を無くした孤児が道端で死を待っている姿を思い起こさせるに十分だった。
私はきつく目を閉じた。
そして、決断した。
「伯爵様にお願いがあります」
「何かな?アーリサ」
顔をあげて伯爵様を見据える。伯爵様は話に割り込んできた私の目を見て訪ね返してくれた。
緑色の瞳は、私ごとき子供の話を侮らずに聞く意思を示していた。
「私と弟と妹を、この屋敷に置いていただけませんか。
もちろんお金を貯めたら ちゃんと どこかに部屋を借ります。子供ですがお仕事の邪魔になるようなことはさせませんし、大人しくさせます!
このままあの家に母さんと弟妹を返すことはできません。そうしたら、きっとこの子達、死んでしまう……」
「なっ、何をいっているのアーリサ!?」
母さんが慌てたように立ち上がるのを片手で制し、伯爵様は私に訪ねてきた。
「思っていることを話してみなさい」
「はい……。母さんはこれだけのお金を受け取ったんですよね?
このお金、私やおば……祖母の稼ぎよりとっても多いんです。
それなのに これだけのお金があって、一年間の間にあれだけ弟と妹が飢えているのは おかしいんです」
私は母さんを見た。
母さんは怒った顔をしていた。
「母さん、あの男の人に私の……稼ぎ分として家に支給されたお金まで渡したのね?」
「そんなこと!」
売った、とは言えなかった。言いたくなかった。
母さんは図星だったようで、明らかにしまったという顔をして目をさ迷わせた。
そうだろうと感づいてはいても、真実を改めて突きつけられると堪える。
私はついカッとなって母さんに文句を言った。
「どうして?
どうして私たちが食べる分まであげちゃうの?
母さん……私たちよりあんな、酔っぱらいの男の人が大事なの?」
「煩い!煩い!だまれ!!」
私が捲し立てると、母さんは誤魔化せないと知ったのか、開き直って逆に私を責め立て始めた。
「こんなに私が頑張って働いて育ててやってるのに、恩を仇で返すつもり!?私だけが悪者なの!?
ああ、どうして私ばっかりこんな目に……!」
わっと母がその場に泣き崩れる。
大好きだった母の泣く姿に、自分が何だかとても酷い事をしている気持ちになる。しかし、私はここで引く訳にはいかない。弟妹を、死なせないためにも。
「分かったわ!」
私が唇を噛んで耐えていると、突然 朗らかな声が部屋に響いた。
驚いてそちらを見ると、それまで黙って成り行きを見ていた伯爵似の美女が立ち上がっていた。
「アーリサと弟妹は私の屋敷に下働きとして住み込みでやといます!」
「ルマンダ……」
仁王立ちで宣言する美女に伯爵様はやれやれと言った風だ。
「いや、アーリサはもともと教養を身に付けるのとロリーの相談役としてしばらく一緒に学校に通ってもらおうとは思っていたが……下の子も君が預かるのかい?」
「ええ、兄さま!
この女は恋人の世話はしたくても、子供達は要らないのでしょう?
なら、子供は私が貰ってあげるわ!
ちょうどこないだ殿方達が『育ったのを雇うのも良いけど、小さいうちから育てるのもオツだ』って話してらっしゃるのを小耳に挟んだところでしたの!
これにて一件落着ね!ほーっほっほっほ!」
美女……ルマンダ様はそう言って見事な高笑いを決めたあと、ふと真顔に戻って母さんを見た。
「貴女、もう用はなくてよ。さっさと酔っぱらいの元にでも帰りなさいな。
貴女の話は『私が』『私は』ばっかり!つまらないったらないわ!」
ルマンダ様の氷のような視線を受けて、母さんはかっと顔を赤くした。
何か言おうとした母の前に先に伯爵様が紙を差し出す。
「残念だが君には子供を育てる力がないようだ。
アーリサはうちの大切な使用人だから、私には彼女を守る義務がある。厄介事に巻き込まれるのはごめん被りたい。
従って君が今後私の許可なしにアーリサとその弟妹に近づく事は堅く禁ずる。これにはその旨が書いてある」
サインしろと言われて、母は青ざめた顔で辛うじて書ける自分の名前を書いた。そして書き終えると妹の手を振り払い、振り向きもせず部屋を出ていった。
私は追いすがろうとする妹を抱き止める。
母を求めて泣く妹をなだめていると、そのうち泣きつかれて眠ってしまった。
伯爵様が詳しい話は後日するとおっしゃってくださったので、私たちはとりあえず昨日私の泊まった部屋に行った。
部屋の戸を閉めると、それまで大人しくしていた弟が震える手で私の首筋にぎゅっと抱きついてきた。
寂しいのかとポンポンと背中を撫でる私の耳に、弟は消えそうな声で告白した。
「姉さん……姉さん……、あの男が、お祖母ちゃんを階段から落としたんだ……。
母さんは、見てたのに……たっ、助けてくれなくてっ。
ぼ、ぼく……誰にも言えなっ……、こっ、恐くて……
次は僕たちだって、恐くてっ……」
私は頭が真っ白になって、何も考えられなくなった。
ただただ、震える弟の体をぎゅっと抱きしめた。
視界が霞んで、何も見えなかった。
眠っている妹を起こしてはいけない、と、どこか冷静な自分がいて、私は弟と二人、声もなく哭き続けた。




