【SS】ナノ
夜のとばりのなか、少女はもう一つの世界をつくる。
永遠に広がる小さな世界
雲ひとつ無い夜の中、燦々と月が輝き人々の暮らしを見つめていた。都会には人々が暮らす明かりが溢れ、喧騒が吹き出し、まるで月の光を見つめ返すほどの活気が溢れていた。だが少し外れた山の中腹、街を見下ろすことも出来ず、街からも木々に隠れて見えず、ただ月だけに見つけて欲しいとでも主張しているかのような小さな屋敷には、必要最低限にも満たないような僅かな明かりが灯っているだけだった。
「おはようございます、ナナ様。今日の月は大変美しゅうございますよ」
綺麗に肩で揃えられた黒髪の頭を下げ、幼い少女に挨拶をして幼いメイドが一人部屋へ入る。その部屋にある明かりはメイドが持ったランタンと窓から差し込む月の光、そしてナナ様と呼ばれた少女の前にあるディスプレイの発光だけだった。
「おはよう、ドロテア。今日は具合が良くて、既に皆と遊んでいたの。こんなに月が綺麗なお陰かしら?」
ナナ様と呼ばれた少女はドロテアと呼んだメイドに微笑みながら、視線を窓へ、月へと泳がせる。だがその間も、目の前にあるキーボードを叩く指は戸惑いすらなく動き続けていた。
それはよろしゅうございました、お食事が必要になりましたらどうか私共へお声がけ下さいませ。そう言い残し、ドロテアは笑顔で部屋を去っていった。
「ナナ様、少々気温が低くなってまいりました。こちらのブランケットをご利用下さいませ」
綺麗な三つ編みを垂らした黒髪の頭を下げ、まだ随分と若く見習いのようなバトラーがその部屋へ入る。片手にブランケット、もう一方の手にはランタンを持ったそのバトラーは、キーボードを叩き続けるナナ様の肩に優しくブランケットをかけた。
「ねぇ見てルドルフ、今日はこの子が特に元気なの。嬉しいわ」
ナナ様にそう声をかけられ、ルドルフと呼ばれたバトラーは画面を見る。そこには大量のアルファベットと数字が不規則に並び、画面を絶え間なく流れ、動いている。
「それは大変ようございましたね、ナナ様」
「こっちの子は少し元気が無いの。残念だわ。この子はね、ドロテアをモデルにした子なのよ」
画面が切り替わる。だが大量のアルファベットと数字が不規則に並び、流れ、動いているという表示は何一つ変わらない。
「ルドルフをモデルにした子がこの間から調子が悪いの。だからかしら?私が何とかできればいいのだけれども」
やはり画面が切り替わる。そして大量の不規則なアルファベット、数字も流れては動いている。
そうですね、私とドロテアは唯一の家族ですからね。そちらの子達も、きっと我々のように仲が良いのでしょうね。そう言いながら微笑むルドルフの笑顔は、先程のドロテアの笑顔と瓜二つだった。
結局その日の夜はナナ様からお食事の声が掛かる事無く、月が沈み太陽が上がる時間となった。
ドロテアとルドルフは少々大きなカートに点滴と黒く分厚い日除けのカーテンを乗せ、ナナ様の部屋に向かった。
「お楽しみの所申し訳ありませんナナ様、お休みの時間でございます」
二人が頭を下げて告げると、ナナ様はいじけた子供の様に頬を膨らませ、始めてキーボードから手を離した。そして小さな声で呟く。
――じゃあおやすみなさい、私の可愛い子供達、仲間達、世界達。
ベッドに入り目を閉じたナナ様に、ドロテアは慣れた手つきで点滴を挿す。その間、ルドルフは窓からの日の光を一切入らないように黒いカーテンを厳重に張り詰める。
――お願い、二人とも。そんな悲しい顔をしないで。
目を瞑り、とても静かに眠ったような顔のナナ様がはっきりした声でそう口にした。
「私はね、幸せなの。他の人のように太陽とご挨拶は出来ないけれども、いつ目を覚まさなくなるか分からないけれども、こんなに沢山の子供達と仲間達がいて素晴らしい世界まで作れたの。それに、ドロテアとルドルフもいるの。何も不公平じゃないでしょう?ドロテアとルドルフは太陽とご挨拶が出来るけれども、その分私の作った子供達や仲間達とは触れ合えないんだもの。私には、そっちの方が可哀想。お互い様でしょう?だからお願い、せめてドロテアとルドルフだけは、私を不幸だと思わないで」
全く同じ顔のメイドとバトラーが声を合わせて返事をする。はい、ナナ様。私達の主様。
ナナ様が眠り、ドロテアとルドルフは広間で二人向かい合い質素な朝ごはんを食べていた。小さなダンスパーティでも行えそうな豪奢な広間には、一組のテーブルセットがあるだけだった。
「美味しいね、ホンロン」
「そうだね、ウェンロン
「こんなの、昔の私達に食べさせたらどうなるかな」
「ホンロンだったら、どんな相手でもお礼だと言ってあの淫乱な笑顔で身体を差し出すんだろ。そして口移しでトリカブトでも飲ませるんだ」
「ウェンロンなら、そのまま相手の足に張り付いて折っちゃうね。食べ物だけじゃなく、身包みも剥いで売り飛ばすでしょ?」
「まるで獣だったね」
「ああ、今とは大違いだね」
「ナナ様が拾ってくれたから、人間になれたね」
「僕、このルドルフって名前も嫌いじゃないよ」
「私も、ドロテアって名前は大好きよ」
「じゃあ、僕もルドルフの名前はもっと好きだよ」
「幸せだね」
「ああ、幸せだね」
偶々運よくスラム街から拾われた双子の少年少女が、顔を合わせて笑顔で話をする。彼らは決してナナ様のパソコンの中身の話題は出さなかった。ナナ様、生まれてから迎えることが出来る誕生日は七回だけだろうと名付けられた七生様は、幼い頃からパソコンをいじっていたらしい。双子が顔も見た事がないナナ様の両親は、ナナ様に何でも与えてあげようとしたそうだ。可愛らしいぬいぐるみ、キラキラと光る宝石、愛くるしいドレス……でもナナ様が欲しがったのはパソコンと静かな環境、自分の世話をしてくれる聡明で若くて綺麗な男女の双子だけだったという。
ナナ様はいつも笑顔だった。何故かはわからない。でもいつもナナ様は言うのだ。私以外には決して認識できない素晴らしい世界が、目の前にあるから。私が八回目の誕生日を迎えようと、千回目の誕生日を迎えようと、その時の私に関わり無くこの世界は永遠だから。私が作った子達も、仲間達も、世界も、永遠だから、だから私はいつも楽しくて幸せで、全てが愛おしくて仕方がないのだと。