最終話 はじまりの天文術式
天野大河の失踪から七年が経っていた。
星の知恵派の間では未だ天野の生存が強く信じられていた。
失踪の日、天野はシグナル送信天文術式の観測当番だった。術式が設置されていた建物の車庫には天野の車が放置され、屋上の術式付近には飲みかけのペットボトルが転がっていた。
知恵派の見解は「シグナルを受け取った異世界側に召喚されたのだ」というものだった。
天野は天文術式を作成する過程で世界各国を巡り、様々な縁を作っている。秘密魔術結社との繋がりもある。どこで恨みを買っているかは分からない。誘拐され、殺されたという可能性もある。人気の無い山奥ならばさぞ事を運びやすいだろう。しかし知恵派は天野が召喚されたのだと確信していた。
簡単な話だ。
監視カメラに光に包まれて消える天野が映っていたのである。誘拐犯が強烈なフラッシュを焚いてから一瞬で天野を連れ去るとう意味不明な演出をしていないのなら、天野の召喚は確実である。
星の知恵派は天文術式理論の証明に喜ぶと共に、深く天野の心配をした。
魔術の偉大な開拓者にして同士。星の知恵派名誉顧問、天野大河。彼は召喚先で無事だろうか。
もしかしたら物理法則が根本的に異なり、召喚先で弾け飛んで素粒子まで分解されたかも知れない。
もしかしたら質の悪い召喚主に召喚され、召喚先で研究材料として恐ろしい目に合っているかも知れない。
危険は幾らでも有り得た。
星の知恵派は天野の無事を信じ、諦めずに異世界にシグナルを送った。
天野が消えた日の天文術式稼働データなどから、理論上の転移先データを可能な限り洗い出し、そこに向けてシグナルを送ると共に、そこから送られてくるシグナルを受信できるであろう術式を作り上げた。天野が無事なら、必ず地球の星の知恵派に向けて何かしらのコンタクトは送ってくる――――送ろうとするはずだと信じて。
一ヶ月経っても、一年経っても、五年経っても、天野側からコンタクトは無かった。
星の知恵派は天文術式の改良を続けた。
術式の感度が悪く送られたシグナルを受信できていないのかも知れない。
もっと広範囲からシグナルを受信するべきなのかも知れない。
何かの都合で別の方式のシグナルで送ってきているのかも知れない。
考え得る可能性全てに対応し、目に見える成果が皆無に近い中、手探りで、理論だけを便りに根気強く彼らは進んでいった。
メンバーの誰もが天野が既に召喚先で死亡している可能性を考えていたが、誰もが諦めていなかった。皆、諦めの悪さは筋金入りである。
そして今夜もメンバーの一人が、満月の下で改良版天文術式Ver27を睨んでいた。天野が失踪した、あの山奥のビルのあの屋上である。
椅子に座り、缶コーヒーを飲みながらじっと待つ。腕時計を見ると、月に一度の365秒間のシグナル送信もあと二十秒で終わるようだった。
今回もダメか、と椅子から腰を上げようとした時、天文術式に光が瞬いた。
光は急激に強くなり、堪らず目を瞑る。
光が収まり目を開けると、そこには先端に水晶がついた杖を持ち片眼鏡をかけた黒髪の女性と、剣を差した金髪の女性、どこか見覚えのある黒髪の男が立っていた。
唖然として缶コーヒーを滑り落とす。
黒髪の男は不安そうにきょろきょろしている金髪の女性に何事か優しく言った後、驚いた様子で、しかし喜びを露わに駆け寄ってきた。
「……名護さん? 名護さんか! ありがとう、シグナルを辿って戻ってこれた! 絶対シグナル送り続けてくれるって信じてた!」
男は失踪した天野だった。名護に熱い抱擁をして、興奮しながら握った手をぶんぶんと振る。
「話したい事がたくさんあるんだ。魔法の成功、ドラゴン退治、妻と娘ができた事。ああ、異世界と往復できるようにもなったんだ!」
天野が嬉しそうに異世界での冒険譚……研究譚を語る。理解が追いついた名護も天野の帰還の歓迎を伝え、喜んで天野が失踪していた間の星の知恵派の術式改良について語った。
異世界からの帰還者は話を聞き、流石は星の知恵派だ、と満面の笑みを浮かべて言った。
「俺の発見と合わせればもっと良い魔法を作れるな。よしよしよし! 新しい、俺達の天文術式をはじめよう!」
完
ドーモ、読者=サン。クロルです。ここまで読んでいただきありがとうございます。「唸れ天文術式!」完結です。
今回は本当に書きたい時に書きたい事を書きたいだけしか書かなかった感がある。これ執筆に集中すれば二週間で連載終わってますからね。八話と最終話なんて一晩で書き上げてその勢いで投稿→完結ですよ。
資料として買った天文年鑑2015も結局読まないまま完結してます。最後の隕石の威力計算もちゃんとやってないですし(とりあえず直径1kmの隕石で人類滅亡らしい)、天文術式の理論も実のところ割といい加減です。だからあんまり深いところまで突っ込まれるとうろたえる。許して。
では特に語る事もないのでこのへんで。好みに合いそうだったら私の別作品も読んでみてやってください。
2015.11/24 クロル