六話 全ては天文術式
トリウィアのサララへの扱いは、雑というよりも冷たさを感じさせるものだった。
とりあえず身につけている武具を回収し、武装解除の後に焦げた料理を出し。倉庫室の端に申し訳程度に荷物を片付けて作った空間に毛布を敷いてこれが寝室だと言い放った。
酷い扱いだが、トリウィアは彼女に殺されかけたのだから無理もない。
個人的には、ルタオに強要されていたに等しいのだからサララも被害者だと思うが、殺されかけた当事者はそんなお利口には考えられないだろう。
むしろ感情のままに嬲り殺すか放り出してもおかしくはないのに、耐えているトリウィアは優しい。
サララに研究対象としての価値を認めているからだろうか。
焦げたパンと煮詰まったスープを文句一つ言わず、むしろありがたそうにたいらげたサララは、落ち着かない様子で肩身が狭そうに椅子の上に縮こまりながら、俺をチラチラ見てきた。
なんだどうした。そんな珍しい見た目はしていないはずだが。黒髪黒目はこの世界でも一般的だし、服もトリウィアに仕立ててもらった現地のものだ。
「何か聞きたい事でも?」
「あー、その。魔女トリウィアと親しげだが、貴女は彼女とどういった関係なんだ」
恐る恐る尋ねてきたサララに俺が口を開く前に、ちょうどサラダとバタートーストを持ってきたトリウィアが答えた。
「彼はアマノという。私の……友人だ」
「友人? 奴隷か召使いではなく?」
「は?」
「う、あー、すまない、悪気は無い。ただ不思議で。魔女トリウィアは人嫌いで、誰とも交流しないと聞いていたから」
低い声で威圧されたサララはしどろもどろに弁解した。
トリウィアが人嫌い。なるほど、そういう噂があるのか。実際は人当たりの良い魅力的な女性なんだが。噂なんぞいい加減なものだ。
「俺はトリウィアの共同研究者をやらせてもらってる。基本居候だから別に敬意は払わなくて良い。ただ、呪いの研究には俺も関わるから、協力してもらう事は多いと思う。その時はよろしく頼む」
「ああ、分かった。アマノは魔人なのか?」
「いや?」
俺はギフトのギの字も持っていない。異世界出身だから、この先ギフトを得られるかも怪しいものだ。
いいさ別に。俺には天文術式がある。羨ましくは……いや羨ましいな。俺もギフト欲しい。
ギフトという特別性を持たない無力な男が有名なトリウィアの友人をやっているのが奇妙に思えたのだろう、サララは訝しげだ。
これから研究に協力してもらうのだから、と、トーストを齧りながらサララに天文術式について説明する。
しかしついつい説明に熱が入り、一通り話し終わってもサララはポカンとほうけていた。ぬかった。そりゃ予備知識が無いとチンプンカンプンだ。
「ま、まあ要するに、新しい魔法で呪いを解こうって事だ。俺はその新しい魔法、天文術式の第一人者を自負してる」
「天文術式など聞いた事が無いが」
「それはそうだろうさ。新しい魔法だと言っただろう。だから既知の魔法ではどうしようもない呪いに全く新しいアプローチが取れる訳で」
「魔道具かギフトは使わないのか」
「それで解けるような呪いだったら誰かがもう解いてるだろ」
「それはそうかも知れないが。天文術式か……うむむ」
サララはモヤモヤした顔でモニャモニャと呟いている。生きる希望を見出した、という感じではない。
口ぶりからして、どうやら天文術式という未知の魔法を信用していないらしい。
自分に置き換えて考えてみる。不治の病を治してくれると言うから飛びついたら、手術や投薬ではなく宇宙人の技術で治しますと言われたようなものだろうか。確かに途轍もなく胡散臭い。
誰だって不安になる。俺も話していて少し不安になってきたぐらいだ。
説明する本人に自信が無いのだから説明して安心させられる気はしない。そう、ここは理屈ではなく心から出た言葉で攻めるべき。唸れ俺のイケメン力!
「止まない雨は無いし、明けない夜はない。きっと呪いは解けるさ」
「雨が止む事と夜が明ける事は呪いが解ける事と関係があるのか?」
雰囲気で押し切ろうとしたら真顔で真正面から粉砕された。許して。
サララと俺が交わしたのは、俺が呪いを解く代わりに、サララは研究に協力する。至って単純な契約だ。
俺は研究が捗って嬉しい。サララは確実な死から脱出できる可能性が生まれる。どちらにとっても良い事しかないWin-Winの関係。この契約で俺は実質サララの命を握る形になる訳だが、命の重みは全然感じない。猶予はまだ五年もあるしなんとかなるのではないかと思っている。残り一ヶ月や一週間になったら分からないが、そんな先の事はとりえあずどうでもよろしい。
家主のトリウィアの負担、心労を増やしてしまう事が気がかりだが、トリウィアは家事をいくらかサララに任せるつもりだと言っていた。サララには頑張って欲しい。
さて。
解呪の研究だ。
最終目標はサララの解呪だが、まずこれをもう少し具体的にする必要がある。
呪いがどのような形でサララを死に至らしめるのか? これが分からなければ、かなり苦しい道のりになるだろう。
例えば、ルタオなんちゃらから呪いの力が常に放射されていて、サララに死の呪いが蓄積していき、蓄積が許容量を越えると死ぬ、としよう。この場合、ルタオが死ねば放射・蓄積が止まり、サララは助かる。これなら呪いの影響を遮断する術式を作れば良い。
あるいは、ルタオがサララに呪いを時限爆弾のように打ち込んでいる場合。恐らくルタオが死ぬ時に時限爆弾が自動解体あるいは停止するように仕込まれているはずだ。これなら時限爆弾にルタオの死を誤認させる術式を作れば良い。
ルタオが死ぬと呪いが解けるというのは嘘、という事も考えられる。そもそも現在サララに呪いはかけられておらず、五年後の時点ではじめてルタオがサララに即死の呪いを送りつけてくる、というパターンも有り得る。この場合はルタオが発する即死の呪いを無効化する術式を作ればよい。
他にも様々な可能性が考えられ、考えているだけでは候補を絞り込めない。
ありとあらゆる研究の基礎はデータ採りだ。まずはサララがどのような状態にあるのか把握する必要がある。そこから呪いの状態を導き出し、対策を練る。
年齢、身長、体重、体脂肪率、身体能力、ギフトを得た時期と状況、ギフトの詳細、食習慣、睡眠時間、誕生日、趣味、好きなもの嫌いなもの、トイレの回数から女性特有の問題についてまで。何が呪いに関係しているか分からない以上、恥ずかしがろうがなんだろうが微に入り細を穿ち思いつく限りのデータを採った。
命がかかっているのだから嫌とは言うまい、と内心怒らせそうだと戦々恐々としながら努めて事務的に質問を重ねたのだが、サララは怒るどころか無反応だった。彼女には羞恥心と常識が決定的に欠けていた。際どいどころか普通にアウトな質問をしても、簡単な計算問題のように淡々と答える。
聞けば六歳の時にルタオに攫われて以来、鍛錬と血飛沫しかないような壮絶な五年を過ごしてきたという。常識が育まれるはずがない。むしろ殺人を忌避し、助けを求める人間的な精神が保てているだけで極めて良識的と言える。
六歳の少女を攫って自分好みの戦闘者に育てようとするルタオは間違いなく畜生オブ畜生。光源氏もドン引きだ。十一歳が十五歳に見えるのも、発育が良いというより生き延びる為に大人にならざるを得なかった悲しみしかない。
「……サララはよく頑張った」
数日かけ、一通り質問攻めを終えてダメージを受けたのは過去を掘り返されたサララよりも俺の方だった。思わず抱きしめてしまう。
実の父が武道の達人だったため、彼女は幼くして自らの手で肉親を消し去る事を強要された事すらあったのだ。心身共にルタオに目をつけられるほど強靭だったばかりに、試練にも一片の容赦すらない。
親戚の子供にそうするように優しく頭を撫でると、サララは不思議そうに見上げてきた。
「この手は何だ?」
「え? あー、その、落ち着くかと思って、いやむしろ落ち着いてないのは俺の方なんだが、まあ、なんだ、あー、嫌だったか?」
経歴が経歴とはいえ、腕の中にいるのが会って数日の年頃の少女だという事を思い出してキョドる。何が親戚の子供にするように、だ。他人だぞ他人。
「……悪くない。人は、暖かいものなんだな。忘れていた」
サララの呟きが重い。もうやめてくれ、俺の心が砕けそうだ。
三ヶ月ほどの間、多岐に渡る方法での検査を続け、どうやらサララに呪いが滞留しているらしい事が分かった。恐らく時限爆弾式だ。
下品な話だが、排泄物から魔力が検出され、菌類が生えなければハエも止まらず、微生物もいなかった。サララから少し血を抜いて草地に撒くと、その部分だけ目に見えて成長が鈍り、ゆっくり枯れていった。滞留する死の呪いの効果だろう。
俺が召喚された時に使われた魔法遮断結界のある地下室に入れても、結界が破られるどころか魔法の干渉を受けた反応も無いため、呪い蓄積式でもない。
現在は呪いが徐々に強まり死に至る形式なのか、決まった年月が経つと急に活性化して死に至る形式なのか、など、より詳しい検証をしつつ、呪いの解呪に有効そうな力を発する星の並びを特定しようとしている所だ。星の並びが作り出す魔法的効果の種類は、それこそ天文学的な数に及ぶ。中には解呪魔法に使える星の並びもあるだろうが、片端から試して目的の術式が偶然構築できる、という可能性は無いに等しい。この世界の天体の法則を正確に把握し、術式を計算して導き出す必要がある。問題は計算に必要なデータが穴だらけという事だが……これは時間はかかっても地道に天体観測を続けるのが最善手だ。
今日もまた星図の山をテーブルの上に積み上げ、頭をガリガリ書きながら計算用紙にガリガリと演算を書き付ける。
全然終わらないし終わりも見えない。それが苦しくもあり、楽しくもある。やっぱり魔法は最高だ。
二つの月が両方同時に新月になる「無月」の発生周期を計算していると、暗殺者のように音も気配もなくサララが部屋に入ってきた。手に持った紙を俺に差し出してくる。
「アマノ、できた」
「ん、見せてみろ……お、全部合ってる。偉い偉い」
柔らかな金髪を撫でると、サララは猫のように目を細めて気持ちよさそうにした。
サララはこれまで学ぶ機会が無かっただけで、地頭は相当良い。文字は書けないし、足し算すら怪しかったが、教えればするする覚えていった。思い返せば出会った時から大人のような喋り方・対応をしていたし、高い知性は垣間見えていた。
クソドラゴンは知性面の教育をぶん投げていたようだから、ここは俺が教えなければと使命感に燃え、今は二桁の掛け算を教えているところだ。
「アマノ、私もできた」
「ああ、お疲れ」
ひとしきりサララを撫でていると、俺の斜め後ろで静かに星図を纏めていたトリウィアが紐で纏めた冊子を渡してくれた。パラパラ捲って確認するが、相変わらず見やすく、分かりやすく、仕事が早い。もしかしてこの屋敷で一番頭が悪いのは俺ではないだろうか。いや知識は一番あるが。
自分の計算がまだ終わっていないので、冊子はとりあえず脇に置いておく。サララに次の問題を渡したところで、トリウィアがどことなくソワソワした様子で妙に頭をこっちに寄せているのに気付いた。
…………?
なんだ。何をしているのか分からない。
あ、糸くずがついている。
髪に引っかかっていた糸くずをつまんで取ると、トリウィアは顔を上げ、糸くずを見て、俺を見て、自分の頭に手をやった。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
そこはかとなく不満そうだ。
本当になんなんだ。何かあるのか。
「アマノ、トリウィアは頭を撫でて欲しいのではないか。アマノの手は気持ちいい」
直球で何が不満か尋ねるべきかと躊躇っていると、俺とトリウィアを見比べていたサララが言った。
自分が嬉しい事は誰でも嬉しいだろう、という子供らしい台詞が微笑ましい。
トリウィアはナデナデで喜ぶ歳ではない。見た目こそ同年代だが、何歳離れてると思ってるんだ。軽く二世紀差はあるぞ。まず間違いなく孫かひ孫ぐらいにしか思われてない。
「そんなまさか、子供じゃないんだから。トリウィア、実際はどうなんだ」
「……いや、別になんでもないよ。アマノはサララを子供だと思っているのかな?」
「十一歳は子供じゃないのか? いやこっちの世界の成人年齢は知らんが。俺としてはむす……親戚の子ぐらいに思ってる」
サララと父の過去を思い出して途中で言葉を変えた。見える地雷は避けるに限る。本人は気にしていないように見えるが、心の内までは分からない。
「親戚の……なるほど。アマノがそう思っているなら、私もそう扱おうか。サララ、おいで」
トリウィアはそこはかとなく張り詰めていた態度を何故か急に軟化させ、自分の膝を叩いてサララに手招きした。
戸惑いながらおずおずと寄ってきたサララを膝に乗せ、そのまま算数を教えはじめる。
あ、あれ? なんだこの態度の変化は。
この三ヶ月ずっと出涸らしの茶しか出さなかったり、わざわざ倉庫の奥からカビ臭い服を引っ張り出してきて替えの服として渡したり、サララの部屋だけ掃除しなかったり。
殺されそうになった恨みは相当深いものだとばかり思っていたが。
俺が親戚の子だと言ったからかそれに倣ったのか? そんなに尊敬されていたんだろうか。
……照れるね!
二人の会話をBGMに無月の発生周期計算を続ける。二人とも騒ぎ立てるタイプではないので、会話があるとは言っても静かなものだ。
「トリウィア、マイナスとマイナスをかけるとどうなる。超マイナスになるのか」
「いや。そこはもう少し後の学習範囲だけれど、せっかくサララが気付いたのだから先にやっても構わないよ。どうする?」
「やる」
「ん、いい返事だ。マイナスとマイナスをかけるとプラスになる。例えば-2×-3なら+6、-4×-5なら+20、という様に」
「なるほど、後ろを向いて後ろ歩きをすれば前に進むようなものか」
マイナスの掛け算もすぐに自分なりに解釈して飲み込んでいる。やっぱりウチのサララちゃんは天才なんじゃないだろうか。
計算結果を元にグラフを書きながら聞く。
「サララ、勉強は楽しいか?」
サララは考え考え答えた。
「勉強が楽しい、というより、勉強を教えて貰うのが楽しい。胸が暖かくなるんだ。怪我も苦しみもなく何かを身に付ける事ができる、というのは素晴らしい。本当にここに来てから嬉しい事ばかりだ。
アマノと一緒に星を見るのも楽しい。冷たい夜気もアマノの隣なら寒くは無かった。
誕生日を祝ってもらったのは嬉しかった。あんなに甘いもの……ケーキなんてはじめて食べた。
アマノがくれるモノはどんな強力なギフトを手に入れるよりも良いものだ。
トリウィアも――――」
「あ?」
ホンマエエ娘や……とジーンときながら星図を見ていたが、電流が走った。
サララ、トリウィア、ギフト、星図、誕生日――――幾つもの言葉が頭の中を駆け巡る。言葉が合わさり一つの形を成し、俺は思わず叫んだ。
「あああああああああああああああ! それだ! これだ! 多分絶対いや八割は、九割か? トリウィア! 見つけた! 分かった! 絶対これだ! これだったんだ! いややっぱり確かめないと分からんな検証だ検証検証!」
山と積まれた紙の束から目的の星図のデータを引っ張り出す。山が崩れて紙が舞うが知った事ではない。
これだ。この瞬間だ。この「分かった!」の瞬間がたまらないんだ!
頭の中に溢れ出る閃きに手が追いつかない。何事かと目を白黒させているトリウィアに応援を頼む。
「トリウィア、トリウィアが磁力のギフトを手に入れた日の極陽系惑星の配置を描いてみてくれないか? 俺はサララのを描く」
「ん、分かったが……あ、まさか?」
「そうそれそれそれだ。多分考えてる事同じだ」
流石トリウィアだ。察しがいい。俺達は二人で計算機と化した。
思いついたのはギフトの由来だ。恐らく、この世界のギフトというのは、一種の天文術式なのだ。
どんな条件でギフトが手に入るのか? という問題は、この世界でも大昔から長い間学者達の頭を悩ませてきた。俺も一通りはトリウィアから聞いている。
もちろん、誕生日が関係しているとか、出身地が関係している、といったすぐ考えつくような要素は検証され、否定されている。実際、トリウィアとサララは誕生日が違うし、出身地も違い、ギフトを手に入れた年齢も違う。
しかし天体は同じだったのではないか。
ここ三年ほど、うんざりするほど星図を作ってきた。おかげで夢の中にも頻繁に星図が出てくるぐらいで、何年前のどの時期、と言われれば大体星の並びを思い浮かべる事ができる。
それによれば、トリウィアとサララは誕生日こそ違うが、誕生した日の極陽系惑星の配置はよく似ている。ギフトを獲得した日の星の配置も同様だ。計算してみないとはっきりとは断言できないが、まず間違いないだろう。
ギフトとは、天体の配置が特定のものになった時、生物に影響を及ぼした結果――――つまり、天然の天文術式だったのである。
天文学がほとんど原始人レベルのこの世界の住人に、この法則が掴めるはずがない。
星の並びが生物に、人に影響を及ぼすというのは何も不思議ではない。
地球にも「幸運の星の下に生まれた」とか、「運命の星の下に宿命付けられた」といった言葉があった。それらはもしかしたら、古代のまだ星の力が強かった時代に地球にも実際に存在したギフトから生まれた言葉だったのかも知れない。
トリウィアと計算結果を照らし合わせた結果、二人の誕生日とギフト獲得日では、極陽系の第一、第五、第六惑星の位置が同じである事がはっきりした。
「うおおおおおおお……!」
「これは……なんと言えばいいのか、言葉が無い……!」
大発見に頭が痺れるような感動に包まれる俺達二人を、サララは不思議そうな顔で見ていた。
「サララ! 解呪は近いぞ!」
「! 本当か! 流石アマノとトリウィアだ!」
サララも巻き添えにして三人で喜びを分かち合う。全く、天文術式は最高だぜ!