四話 甦れ天文術式!
天文術式は星の力を利用する魔法だが、あまり遠い星は利用しない、というかできない。
夜空に見える星の大部分は何十何百光年も離れた距離ある。いくらなんでもそこまで遠い星のエネルギーを利用するのは不可能だ。従って、天文術式は近隣の星……自分のいる惑星を含めた一つの恒星系のデータのみを利用する。地球世界なら太陽系、この世界では極陽系だ。それより遠い星のデータは全く役に立たない。
極陽系に属する星の体積、質量、半径、公転軌道など、データが多いほど術式の精度が上がり、星の力を十全に受け取る事ができる。地球の天文術式は最大効率を100%とすれば80%程度だった。この効率を上げる最も手っ取り早い方法は、恒星(極陽)と自分のいる惑星……この世界ならスラエのデータを知る事だ。
惑星の運動の中心であり、恒星系の質量の九割以上を占め、核融合を起こし強大なエネルギーを発する恒星。まずこれについて、極陽について分からなければ話にならない。
そして自分のいる惑星、スラエ。これも言うまでもなく重要である。
逆に言えば、その二つを抑えておけば最低限の発動条件はほぼ満たせる。
極陽の直径、極陽とスラエの距離、スラエの直径と公転・自転周期、隣接する惑星との距離(地球世界なら金星と火星との距離)が分かれば、理論上は1~3%程度の効率で極めて単純な術式を起動できるはずである。原始的な方法で算出した大雑把な値しか使えない事を考慮すれば1%以下になるだろうが。
極陽の直径を求める方法は色々ある。
例えば、三角測量を利用した方法。1000km離れた地点Aと地点Bで、地点Bの真上に星が来た同時刻に地点Aから同じ星が45度の角度で見えれば、一辺の長さが1000kmでその両端の角度が90度と45度であるため、簡単な三角関数の計算でその星は1000km離れた位置にあると分かる。もちろん実際にはこれほど簡単にはいかないが。
他にも星の明るさから割り出す方法、月食を利用する方法など、複数ある方法でデータを出し、その平均をとった。実際の値との誤差は±5%程度だろう。
スラエの直径の算出には、エラトステネスの三角測量を使った。
地面に垂直に立てた棒は、太陽が南中した時、つまり太陽が真上にある時には影を作らない。しかし地面が球である時、同時刻に二箇所の離れた場所で棒を垂直に立てると、片方には影ができず、もう片方には影ができる。この影の長さと二箇所の距離の数値を使う事で、地球の半径を求める事ができるのだ。あとはそれを二倍すれば直径になる。
三角測量を使う都合上、遠く離れた二つの場所で計測を行う必要があったため、トリウィアに協力を願った。ツェーヴェ霊峰から下山して平地を歩き、歩幅を使った距離測量をしてデータを集めてきてもらったのだ。何しろ正確な縮尺の地図も測量機器もない。泣きそうになるぐらい原始的な方法に頼らざるを得なかった。もっと効率の良い方法もあるのかも知れないが、俺も現代機器を使わない測量法について全て知っている訳ではない。
トリウィアが山を降りている間、俺はひたすら望遠鏡越しに夜空と睨めっこをして星図作りをした。どれが極陽系の惑星で、どれが関係無い星なのか見極めなければならない。
そして星図を使った計算。地球ではエクセルや専用ソフトに数値を入れれば一瞬でできた計算を、ひたすら紙に数式を書き込んで力づくで解決する。計算ミスを防ぐために何度も検算したため、余計な時間もかかった。頭と目の使いすぎで頭痛に悩むようになったぐらいだ。
一ヶ月が経ち、翻訳角がポロリと取れ。
半年が経ち、測量の旅に出ていたトリウィアが帰還し。
一年経ち、最低限のデータが集まり、地球世界のものを流用してこの世界に合わせた天文術式の構築を始め。
そして二年後。極陽系スラエ式天文術式プロトタイプが完成した。
「本当に発動するのかい」
「それを確かめるための実験だろ」
「まあそうだね」
軽口を叩きながらトリウィアと共に庭先に天文術式を刻んだ銅板と鏡を運ぶ。
時刻は昼。燦々と輝く太陽が眩しい。高山植物の草原を刈って作った円形の空き地に、幾重もの同心円と星を表す記号を刻んだ銅板を慎重に配置し、鏡で太陽の光が銅板に集まるようにした。
本来、昼間は天文術式の行使に不適切な時間帯だ。太陽の力があまりにも強すぎて、他の星の力がかき乱される。簡単に言えば夜間と比べて術式の効率が1%前後まで落ち込む。使える術式の系統も、太陽の力をそのまま利用した発光か発熱のみ。しかも強烈な閃光あるいは高熱・炎の発生、といった単純な使い方しかできない。光学迷彩や保温といった気の利いた応用は不可能だ。
しかし、現在はスラエと極陽についての天文データしか集まっていないため、他の星の力が繊細に影響する夜間はデータ不足で術式の構築すらできない。効率が悪くても昼間用の術式を使うしかない。
シグナル送信に使った太陽系地球式天文術式と比べ、この極陽系スラエ式天文術式は酷い出来だ。
まず、データ不足により効率八十分の一。
更に昼間に使うため効率百分の一。
合わせて効率八千分の一。
発動するかも危うい。
天文術式の出力は、恒星系の惑星の相互関係によって決定される。一秒おきにめまぐるしく変わる、というほどの急変動はしないが、星の知恵派の間では百年で二倍あるいは二分の一程度の変動があるという意見が多数を占めていた。
これは極陽系の惑星のデータが揃っていれば算出できる。もちろん今はデータ不足で算出不可能だ。今現在、天文術式の出力はどれぐらいなのか? これから増えるのか減るのか? やってみないと分からない。
装置を設置した俺達は、近くに座って南中を待った。理論上、太陽が真上に来た瞬間に術式が励起して発熱するはずだ。水銀を使った手製の温度計を設置してあるので、後は見ているだけでいい。0.1℃も上がれば大成功だろう。二、三十年あれば効率は千倍程度まで上げられる見込みだから、100℃上昇にできる。
「今日は鬼鹿の果物ステーキにしようか」
「祝宴か? 気が早いな。成功するかも分からないのに」
「失敗した時は残念会にすればいいさ。もちろん、成功するのが一番だ」
そう言ってトリウィアは魔法瓶からカップに紅茶(のようなもの)を注ぎ、俺に渡してくれた。
本当に成功して欲しい。切実に。
この二年で俺がやった事と言えば、星を見た、計算した、トリウィアをパシらせた、服を作ってもらった、飯を食わせてもらった、魔道具で遊……研究させてもらった、疲れ目に効くマサージをしてもらった、ぐらいしか思いつかない。完全にお荷物だ。何一つ返せていない。
魔道具の改良アドバイスができれば良かったが、一年目は星図作りのために一晩中起きている反動で昼間は大体寝ていて何もできず、二年目は紙とそれを埋め尽くす数字数式、銅板・鏡加工以外記憶にない。
この二年間で、俺は魔法のマの字も示していない。天文術式はデータが無いと何もできないので仕方がないのだが、俺が魔法を使えるという目に見える証拠、実績を出せていないのは心に重くのしかかっていた。
正直、魔術師詐称疑惑をかけられているのではないかと気が気ではない。俺だったら疑う。
紅茶を飲みながらトリウィアの横顔を伺う。そよ風に長い黒髪をなびかせ、ハンカチを出して片眼鏡を磨いているトリウィアは美しい。見目麗しく、知的で、気遣いもできる。見た事は無いが戦っても強そうだ。完璧超人である。
そんな彼女と暮らしているのだから、いい加減に結果を出さないと隣にいるだけで萎縮してしまいそうだった。
「……ん?」
落ち着かない気持ちで紅茶を何杯もおかわりしていると、奇妙な唸りが聞こえてきた。
蜂の羽音のような、低い地鳴りのような。トリウィアも気付いたようで、どこから聞こえるのかと周りを見回している。
「術式、かな」
トリウィアの探るような目線を追えば、確かに天文術式を刻み、南中を迎えようとしている銅板が微妙に震えていた。
震えは次第に大きくなり、地面と接触して鳴動を始める。
え? なんだこれ。
「アマノ、あれは放っておいて大丈夫なのかい?」
「いや、俺も見た事が無い現象だ」
地震ではない。震えているのは銅板だけだ。
熱か炎が出るはずだが、はて。術式が変な方向に作用しているのだろうか。何しろこの世界では初の天文術式だ、十分ありえる事ではある。昼間は炎熱か光しか発動しないはずだが、理論が間違っていて、実は振動が起きる、という事も考えられる。
よく見てみようと銅板に近寄ると、熱さを感じた。
銅板が、熱を放っている。肌を焦がすような熱は急激に高まり、銅板の近くにある草が水分を奪われみるみる萎れていく。
血の気が引いた。一歩下がって懐中時計を見る。時刻は南中直前だった。
「ヤバい! 逃げ――――」
身を翻して叫んだ俺の背中を、銅板から天高く吹き上げた火柱と、高温の熱風が襲った。
「危なかったね」
「ああ、銅板覗き込んでたら死んでた」
ベッドの上にうつぶせに転がり、トリウィアに背中の火傷に軟膏を塗ってもらう。痛みは無い。その代わり感覚も無かった。
火柱は数秒で止まり、熱は消えたらしい。気絶した俺をかつぎ込んだトリウィアは背中に冷水を流し続け応急処置。目を覚ましてからはベッドに運ばれ、こうして治療を受けている。
「内臓まで焼けていなかったのは幸いだった。この程度の火傷なら問題無く治る。安心してくれ、跡も残らない」
「凄いな、現代医療超えてないか。その薬絶対高いだろ、幾らぐらいするんだ」
「気にする必要はない。君が無事なら何よりだ」
トリウィアは優しく言って、優しく包帯を巻き始めた。女神か。
しばらくお互いに無言だったが、気絶から覚めてから気になって仕方ない事がある。
「なあ、銅板はどうなった? 無事か?」
「銅板より自分の体の心配をした方がいいと思うけれど。頭を打ったりしていないかい?」
「問題ない。そんな事より魔法だ。設計図はあるからもう一度作れるが、直接見てみたい」
「……今持ってくるよ」
トリウィアは呆れたようにため息をついて一度部屋を出ていき、歪んだ銅板を持って戻ってきた。
「おお! 大丈夫だったか」
「歪んでいるけどね」
銅板を受け取り、寝転がったまま観察する。
銅板は一度融解して固まったらしく、酷く変形していた刻まれた円や記号もかなり潰れてしまっている。
興味深いのは融解した痕跡がある場所と、比較的無事な場所がある事だ。
同じ銅板上でも熱分布に差がある? 全体から一様に放熱したわけではないのか。ふむ……
ひっくり返したり叩いてみたり、舐めまわすように見たり舐め回したりしていると、トリウィアに銅板を取り上げられた。
「あ、ちょ、俺の魔法! 魔法が! 魔法! 返せ魔法! 魔法!」
「……君でなければ頭がおかしくなったと思う所だ。手当はしたが、大怪我には変わりない。休息が必要だ。ステーキはおあずけ、絶対安静。いいね」
ぐぬぬ。
まあ手当が遅ければ死んでいた大火傷だ。我慢しよう。
俺が渋々頷くと、トリウィアはベッド脇の椅子に腰掛けて本を読み始めた。
見ていてくれるのか。
……大人しく寝ていよう。
それから一週間ほど、ベッドの上で療養しながら分かった事をまとめた。
計算したところ、この世界で想定される天文術式の出力は、地球での10^34~10^46倍と出た。何度計算しても数字は変わらない。凄い数値が出てしまった。
最低値をとって10^34倍と考えてもとんでもない。耳慣れた単位に直せば千兆×千兆×一万倍。小学生でもこんなに頭の悪い数は使わないだろう。流石天文学。文字通り天文学的数値だ。
そんなとんでもない倍率を掛けても元が極小の数値だから、一滴の水を沸騰させる~原爆数十個程度のエネルギーにしかならない訳だが。
そこそこの出力だが、驚くほどでも……あ、いや十分大きなエネルギーか。天文学に携わっていると数字の感覚が狂ってくる。天文の世界で百年なんて瞬きに等しいからな。原爆二十個なんて恒星が持つエネルギーに比べれば塵のようなものだ。超新星爆発と比べれば誤差。
装置の唸りは大きすぎるエネルギーを受け取った際のエネルギーロスによるものだと思われる。稼働中の電気製品が発熱するように、稼働中の天文術式は震動するのだ。ロスが無くなれば震動しなくなるだろうが、あれほどいい加減な術式であの威力。ロスを減らして威力を上げる意味を感じない。
今現在でこれほどの出力が出るなら、百年や二百年の星辰の変化でも十分な出力は出し続けられるだろう。
実験し放題。研究し放題だ。
テンション上がってきた!