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二話 大丈夫か天文術式


 一瞬の目眩。光が収まったと思ったら、目の前の女性が腕を振りかぶり、勢いよく頭に何かを突き刺してきた。


「おがぁあああああああ!?」


 グサッといった。思いっきりいった。痛みは一瞬だったが、頭蓋骨を貫通して脳に達する言語を絶する生々しい感触だった。

 床に転がりながら全力で頭に刺さった物を抜こうとする。触った感じでは握りこぶし大の円錐形だろうか。何かは知らないが頭に刺さっていいものではない事は確かだ。というより刺さっていい物など存在しない。

 しかし抜けない。腕を引っこ抜こうとしてるみたいだ。やばいやばい。


「無理に抜かない方が良い。それは脳の言語野を侵食しているから、最悪失語症になる」

「なん、え? 言語野? ……あ、はい」


 混乱していた事もあり、耳で聞き取って脳が理解するまで時間がかかったが、確かにそう話しかけられた。

 恐ろしい事を言われたぞ。脳を侵食? なにそれ怖い。


 落ち着いて、というよりぞっとして頭が冷えた。刺さった物を刺激しないようにそーっと手を離す。よく分からないが、抜かない方が良いというならとりあえずはやめておこう。痛みも今は無い。違和感すら無いのが逆に不気味だが。

 恐る恐る立ち上がると、女性と目があった。

 テレビでも早々お目にかかれないような美人だった。背中まで伸びた黒髪に、物静かな黒い瞳。右目には金色の細い鎖がついた片眼鏡をかけている。身長は俺より頭一つ低い。服装はゆったりとした時代錯誤な黒いローブだが、不思議としっくりくる。図書館の隅の机か、老夫婦が経営する古い喫茶店でコーヒーを飲みながら本を捲っているのが似合いそうな知的な美人だ。

 彼女は容姿に相応しい、矛盾した表現だが静寂が音になったような声で言った。川のせせらぎや草木が風に揺れる音のように何気なく、しかししっかりと耳に染み入る心地よい声だ。


「召喚早々失礼した。意思疎通の為にそれは欠かせなかったものでね」

「は、はあ……」

「まあ、掛けると良い。事情を説明……君に椅子に座る習慣はあるのかな?」

「は? いや、まあ、はい、それは、もちろん」


 椅子も知らない蛮族扱いされたかと思ったが、彼女の表情は真剣だった。

 椅子に言われるまま腰掛ける。子供用らしい小さな椅子、普通の椅子、恐竜でも座るのかというサイズの椅子があったが、もちろん座るのは普通の椅子だ。

 改めて周りを見ると、どうやら地下室らしい。石の壁、床、天井。壁の四隅にはゲーム画面でしか見たことの無い松明があり、ゆらゆら揺れる明かりをなげかけている。俺と向かい合って座った女性の背後にある重厚な鉄の扉が唯一の出入り口らしい。


 山奥のビルの屋上から、光と共に地下室へ。

 まだはっきりとは分からないが、なんとなく事態を察した。

 どうやら異世界に召喚されたようだ。


 召喚は想定していた可能性の一つである。

 天文術式でシグナルを送り、それを何者かが受け取った時。起こり得る事態は幾つか想定していた。

 シグナルを送り返してくる。偵察を送り込んでくる。次元を航行できる何かで直接乗り込んでくる。次元を繋ぐゲートに相当する物が現れる。他にも色々と。

 その内の一つが、召喚だ。シグナルでこちらの位置座標を送ったのだから、その位置座標を頼りに、何者かがシグナルの発信者=俺を呼び寄せる可能性があった。

 異次元からの召喚は二十一世紀の地球では理論段階ですらない超々高等現象だが、宇宙が違えば法則も違う。案外、息をするように簡単に異世界召喚をできる世界もあるのかも知れない。


 召喚されたという事が分かると、一気に気が楽になった。

 十年の人生をかけた「魔法」は達成された。召喚されたという事は、そういう事だ。それだけでもう満足だった。底の無い深い喜びが体を、魂を揺さぶり、満たされる。

 人生全てを賭けて成し遂げるつもりだった事ができてしまったのだ。正直、もう思い残す事はない。

 あとは野となれ山となれ。


「改めて、初めまして。私はトリウィア。ツェーヴェ霊峰の魔女トリウィア。名前を聞いても良いかな」

「丁寧にどうも。私は天野。星の知恵派名誉顧問の天野大河です」


 何かカッコイイ名乗りを挙げられたので、それに形式を合わせて名乗る。

 霊峰の魔女がどれほどのものかは知らないが、星の知恵派を舐めるなよ。ゼロから魔術の構築に成功した魔術結社だぞ。


「疑問は多いと思うが、まずは私から説明をさせてもらいたい。落ち着いて聞いて貰えるとありがたい」

「……どうぞ」

「助かる。それと私に敬語を使う必要は無いよ、使いたいのであれば構わないが。さて、今の状況についてだけれど――――」


 トリウィアが語るところによれば、やはり召喚だったらしい。

 百年以上魔法の研究をしていたが、十年ほど前に限界を感じたそうだ。自分だけではこの閉塞感を打ち破るのは無理だと悟ったが、師事できる相手がいない。彼女はこの世界で最高峰の魔女なのだ。

 そこで別世界の最高峰の魔法使いを喚び出し、意見交換をしようと考えた。十年かけて準備を整え、実行。条件付として「意思疎通ができる事」を組み込んだ。いくら優れた魔法使いを召喚しても、思考形態が違いすぎたり、その他の理由で意思疎通ができなければ意味がない。


 その条件付けの召喚に、天文術式のシグナルが引っかかり、引きずりこまれたようだ。確かに俺と彼女は意思疎通できているし、最高峰の魔法使い、というの間違ってはいない。

 最初に刺された角は翻訳機能を持った魔道具だという。一ヶ月もすればこの世界の言語が頭に馴染み、抜けるようになるとか。


 一通り説明してもらったので、こちらも事情を話した。

 異世界との交流を求めていた事。

 そのために天文術式を開発し、シグナルを送っていた事。

 それが召喚に引っかかったのであろうという事。

 自分も異世界の魔法に興味があり、仲良くやっていきたい、という事。


 トリウィアは興味深そうに小さく相槌を打ちながら俺の話を聞き、最後に大きく頷いた。


「うん。私も是非君とは良い付き合いをしていきたいな。星の力を使うという魔術的アプローチは聞いた事が無い。実に好奇心を刺激される」

「俺もこの世界の魔法には興味がある、というか興味しかない。なんといっても魔法だからな。早速だが、俺にもこの世界の魔法が使えるように」


 身を乗り出して尋ねたところで、腹が鳴った。

 ……そういえば、真夜中に起きてビルに行く前におにぎりを摘んでから何も食べていない。

 トリウィアは微笑んで立ち上がり、外への扉を開けた。


「まずは食事にしようか」

「アッハイ。すみませんゴチになります」











 世界が違えば全てが違う、とまではいかないが、違いは多いはずだ。

 トリウィアが食べられる物でも俺は消化できないかも知れないし、空気が毒かも知れない。ちょっとした風邪で死に至るかも知れない。

 見た目が同じ人間に見えても、中身まで同じだとは限らないのだ。


 三日ほどの間、俺とトリウィアは異世界召喚の弊害チェックに時間を費やした。水を飲んでみたり、心拍を測ったり、軽い身体測定をしたり、日の光を浴びてみたり。

 少しずつ、慎重に、慎重に、あれを試しこれを試し。

 結論、オールグリーン。弊害無し。召喚に付随するメリットもデメリットも無いようだ。


 ラノベの主人公のようにスーパーパワーに目覚めなかったのは残念ではあるが、デメリットが無いだけでも万々歳だろう。物理法則が異なる世界に召喚された場合、最悪召喚直後に弾け飛んで素粒子まで分解された挙句消滅していてもおかしくない。

 トリウィア曰く、近隣の世界から召喚したため、世界の法則も似ていたのだろう、との事。ランダム異世界召喚ではあったが、エネルギー不足であまり遠くの世界からは喚べなかったらしい。天文術式のシグナルもエネルギー不足で遠くの世界には届かなかいから、短射程のシグナルと召喚が奇跡的に噛み合っての召喚だったと言える。


 トリウィアが住んでいるのはツェーヴェ霊峰の頂上の小さな屋敷で、俺が召喚されたのはその地下室だった。万が一手に負えない存在を召喚しても閉じ込められるよう、厳重な封印が施してあったそうだ。どんな大きさの存在を呼び出しても良いように色々な大きさの椅子を用意したり(水槽も別室に用意してあった)、強力な鎮圧用魔道具も用意してあったというが、召喚されたのはこんなんだ。すみませんね、ショボくて。


「そろそろこの世界にも慣れたかな?」

「ああ、暮らしていけそうだ」

「それは良かった」


 朝食のデザートに果物を剥きながら、トリウィアはいつものようにさらりと言った。まだ三日の付き合いだが、彼女が取り乱すところは見た事がない。


「……ところで」

「そうだな、当面問題無い事も分かった。魔術交流を始めてもいいんじゃないか」

「うん。素晴らしいな、これほど胸が高鳴るのは何十年ぶりか。いや、三日前に召喚成功した時以来か」

「トリウィアは魔法好きなんだな」

「君も相当だよ。魔法が無い世界で魔法を作り出すなんて。失礼な言い方だが、ほとんど狂気じみている」

「そうか?」

「断片的に話を聞いただけでも分かる。心から尊敬するよ、私にはとても真似できない」

「まあ、天文術式をこの世界で使うのは苦労しそうだけどな」


 トリウィアから皮を剥いたみかん(のような果物)を受け取りながら、窓の外を見る。そこには一つの太陽と、二つの月があった。

 この世界の天体は、地球世界の天体とは異なる。月の数が違う時点でとんでもない差だし、惑星の数も違うだろう。

 天文術式は、惑星間の距離、惑星の構成成分、公転・自転の軌道と周期などの数値が複雑に影響し合い成り立っている。地球世界での―――水星、金星、地球、火星などの―――数値はこの世界では使えない。術式の型は大部分流用できるだろうが、星にまつわる数値が分からなければただの中身の無いハリボテだ。クッキーの型だけがあって、小麦粉もバターも無いようなものである。

 俺の呟きを疑問に思ったのか、トリウィアが首を傾げた。


「そういえば昨日もそんな事を言っていたね。何か魔法の行使に支障でも?」

「故郷の世界と星が違うから、術式にイチから数値を代入し直す必要がある。それさえ分かれば調整は必要だろうけど、理論上は発動するはずだ」


 どれぐらいの期間で地球世界用天文術式をこの世界用天文術式にコンバートできるかは、この世界の天文学の発達度合い次第だ。

 自力でも調べられない事は無いが、面倒過ぎる。コンピュターが無いから計算も手計算オンリーになるのも痛い。

 まあ、基本的な数値だけ使った単純な術式なら、二、三週間もあればいけるだろう。


「トリウィアは天文に詳しいか? 太陽系の惑星の数と距離だけでも分かると助かるんだが」

「太陽系? 変わった言い方をするね」

「ん? 変な翻訳されたのか。あー、恒星を中心とした、この星を含めた惑星群の情報が分かれば助かる。知らないか?」

「……待ってくれ。君の世界では太陽を中心に星が回っていたのかい?」

「恒星を中心にして惑星が回るのは当然だろ? これだけ似通った世界なんだ、天体の配置は違っても基本法則が違うはずはない……いや待て」


 まさか。

 まさか……!


「ト、トリウィアさん。地動説を御存知で?」

「ああ、あれは中々面白い冗談だね」


 う、うわああああああああああああああああああああああああああ!


「望遠鏡は!?」

「ボウエンキョウ? なんだいそれは?」


 いやああああああああああああああああああああああああああああ!


「大地の形は!? 平板!? それとも球!?」

「平板だと思ってるが……違うのかな?」


 にゃあああああああああああああああああああああああああああん!


 もうやめてくれ!

 助けて!

 誰か助けてくれ!

 この世界の天文学が息してない!


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― 新着の感想 ―
[良い点] 前話から続くスピード感がいいです。トリウィアの知的さも会話の言い回しや指摘からくみ取れます。そして次の話までのつなぎとなる問題発生がテンポ良く、読んでで気持ちがいいです。クロルさんの半ギレ…
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