一話 作れ天文術式!
高校の入学記念に宝くじを買ったら、八億四千万円が当たった。
驚き過ぎて、驚けなかった。八億四千万円って何円ぐらい? 普段使う値段と桁が違い過ぎて実感がない。八億四千万円より八万五千円の方が高いんじゃないのか。ちょっとよくわからないな。
同じく理解が追いついていない親父の指示で口座を作り、入金。通帳を見ると、840,000,000という数字。すごい(小並感)。
凄すぎて何が凄いのか分からないので、通帳を八回連続で見直しながら計算してみた。
えーと、日本人の男の平均寿命が八十歳ぐらいだから、あと六十四年生きると考えて。840,000,000÷64=一年で13,125,000円。これを十二ヶ月で割って、一ヶ月で1,093,750円。
って事は死ぬまで月収109万?
親父、月収いくら? ……四十万ちょい? 倍以上じゃないか。これはもう、なんかもう、もう、わけがわからないな。
十万円ぐらい当たったらあれ買ってそれ買って、と妄想はしていたが、八億四千万はデカ過ぎる。欲しいもの全部買っても有り余るぐらいだ。正直怖い。
同じく意味不明な大金に恐れおののいている親父は、とりあえず成人するまで金庫に保管しておこうか、と提案してきた。確かに二十歳になる頃には使い道も思いつくだろう。
が、しばらく考えて断った。
どうせあぶく銭みたいなもんだ。ほとんど降って沸いたようなもの。パーッと使ってしまおう。死ぬまでニート暮らしできる、という選択肢があるとそちらに転がり落ちそうで怖いという理由もあるし、かといってどこかに寄付するほど人間できてもいない。
親父は複雑そうだったが、「お前の金だ。好きにしろ」と許可してくれた。サンキューパッパ。良い父親持って幸せだよ。八億四千万なら問答無用で取り上げられてもおかしくない。
さて。
八億四千万で何をするのか。
魔法の研究だ。
小さい頃はアニメや漫画を見て、無邪気に自分が魔法を使えると信じていた。かめは○波の練習をしたし、棒きれを振り回せば炎が出ると信じていた。
が、練習は実らなかったし、炎は出なかった。
当然だ。物理法則がそれを許さない。
小学生から中学生になり、科学を学び、世の中を学び。「魔法なんて有り得ない」という常識を学んだ。
まあ、中には幽霊や超能力を信じている人もいるわけだが、基本的には有り得ないというのが一般常識だ。法律が超能力や幽霊について触れていなくて、それでも世の中がうまく回っているという事は、つまりそういう事なのだろう。
かくいう俺も魔法を信じていない。
しかし。
あったらいいのに、とは思っている。心底思っている。
あったらいいのにと思っていても、無いものはない。
ならば作ろう。
八億円四千万もあれば魔法ぐらい作れるさ。だってはちおくよんせんまんえんだ。不可能はない。
……まあ真面目な話、たぶん金をドブに捨てる事になる。しかし、どうせ幻のような金だ。構いやしない。それに八億四千万円も使って魔法を作れない、魔法が存在しない、とはっきりすれば諦めもつく。これから一生持ちネタとして使える笑い話にもなる。世界で何人同じ事ができるのか、というレベルの貴重な経験にもなる。
という事で高一の夏から魔法の研究を始めた。
目標は魔法を使う事。埋もれている忘れ去られた魔法を発掘してもいいし、無ければ作る。
まず、情報を集めた。インターネットに溢れる、ただでさえ胡散臭い魔法(笑)の胡散臭さを十倍にしたような胡散臭い情報では信用できない。
古本屋を巡り、魔法に関連する本を買い漁り。
古本屋の店主にそのテの稀覯本の収集家を紹介してもらったり、そこからのツテで海外の本を取り寄せたり。
普通に調べて接触できる自称魔術師に会い、他の自称魔術師を紹介してもらい、自称魔術師のコミュニティから情報を漁ったり。
金にモノを言わせて世界中のパワースポットを巡るパワースポット巡りをしたり。
曰くつきの呪いの品をオークションで競り落としたり。
魔術に関連していると言われる古代遺跡を巡り。
そんな事ばかりして高三になる頃には、業界のちょっとした有名人になっていた。色々な自称魔術結社から誘いがあったし、相当なツテもできた。海外に調査旅行に出かけまくったおかげで十数カ国語をカタコトで話せるようになった。いやぁ、良い脳みそを持たせて産んでくれた天国のカーチャンに感謝だ。お陰でこんな無茶苦茶やっているのに高校の授業についていける。
高校を卒業し、大学に入る頃には、集めたいと思った情報は八割集まっていた。後はどうしても年月がいる情報ばかりだ。特定の魔術結社に入会し、数年修行しないと教えて貰えない情報、とか。とりあえずそういうのはいい。三年かけて集めた情報は莫大だ。ここからは情報の整理に時間を費やす。
集めに集めた魔術的品物、メモの山、棚を埋め尽くす魔道書。それを項目別にリストアップし、共通点を探す事にした。
宇宙誕生から現在まで、この世界の物理法則は常に変わっていない。
ならば、魔法法則も変わっていないのではないか。
ジュラ紀だろうが白亜紀だろうが江戸時代だろうが平成だろうが、パンゲアだろうがマダガスカル島だろうが日本列島だろうが、魔法法則は変わらないはず。
古今東西の魔術に共通点を見つける事ができれば、それは「不変の魔法法則」が存在するという証拠になる。時代や場所が違っても、同じ魔法にたどり着くはず。いわゆるシンクロニシティである。
それを使うか、起点にすれば魔法を使うのも夢じゃない。
しかし言うは易く、行うは難し。
情報の整理はとんでもない荒仕事だった。山のような資料を年代、地域、形状や言語、言い回し、色、使用者、用途などなど、山のような項目に分類し、共通項を洗い出す。
恐ろしい手間だ。それでもたった二年で終わったのは俺の頭脳の為せる技だろう。おかげで大学の進学単位はギリギリだが。時々一体何馬鹿な事やってるんだと自分でも凹む。
だが! ただの馬鹿ではないッ! と自信を持って言える。俺は突き抜けた馬鹿だ! 恐れるものなどない!
大学三年になり、そろそろ就職が見えてきた。高一から始めたこの研究も六年目。就職までにはカタをつけたい。
魔法研究に完全に没頭せず、大学に進学したのも就職のためだ。魔法の研究は金にならない。むしろ金が吹っ飛んでいく。八億四千万を使いきり、満足して、後は普通に就職して普通に暮らす。そのためにはあまり長々と研究を長引かせる訳にはいかない。
幸いデータ整理も終わり、魔法の研究にも終着点が見えてきた。あと二年もあれば一応の結論は出るだろう。
データを集計した結果、「魔法とは天文である可能性が高い」という結論に至った。
この世に存在する、あるいは存在した魔法に最も多く見られた共通点は「天文」だったのだ。つまり、太陽や月、星である。
データが出てみればなるほど当然だ、と感じる。
有史以来、星の運行は全くと言っていいほど変わっていない。地球上どこからでも星は見えるし、月の満ち欠けや日蝕、季節による星座の移り変わりなど、神秘性を感じやすい。それに星という途方もないエネルギーと大きさを持ったモノで魔法を使う、というのも、人間というちっぽけな霊長類がモニャモニャ呪文を唱えて魔法を発動させるよりずっと説得力があった。古今東西の人々によって魔法に利用されるのも納得である。
「天文」という基準に従い、資料を整理した。
更にそこから共通の記号や様式を洗い出し、それが表す意味を考えながら、繋ぎ合わせる。三千年前のアメリカインディアンの呪文だろうが、二千年前のエジプトの星図だろうが、五百年前のチベット密教の碑文だろうが、根っこは全て「天文魔法」。ならば繋ぎ合わせても問題ない。はず。
資料を整理し、ツギハギの魔法理論を作っていると、不思議な共通性を見つけた。
共通性のあるものを集めたのだから当然かも知れないが、古今東西の魔法が妙にぴったりと噛み合うのだ。魔術的儀式や要素をツギハギをしてみても、ちょっとしたズレこそあるが、違和感なくスッキリ仕上がる。
例えばある文明で満月の夜に生命力に関する魔法儀式を行う、とあると、他の文明や魔術結社でも同じ生命力に関する魔法儀式が行われている。
火星が明るい夜は火の儀式。
日蝕の時は転生の儀式。
新月の時は眠りの儀式。
彗星が接近した時はこうする、隕石を使う時はそうする、金星がこの位置にあるときはああする、などなど。
驚くべき符号だった。
気味が悪いほどの一致。今まで面白半分でやっていた研究だったが、まさか本当に、と思い始める。
星や天文現象に応じた魔法について理解が進んでくると、ズレが目に付くようになってくる。
現代はインターネットをちょっと使うだけで、星の軌道や質量、公転周期に自転周期、地球との距離などが簡単に分かる。昔は人工衛星が無く、望遠鏡も無いか性能が低かった。そんな時代に作られた古代人や魔術結社の天文術式なのだから、ズレは生じても仕方ないのだろう。
パソコンに天文関連のブックマークが増え、知り合いに天文学者が増え、本棚には天文関連のものが増えた。四百万円の高性能な天体望遠鏡も買った。
天体への理解が深まるにつれ、古今東西の先人達の遺産を集め、繋ぎ合わせた天文術式は洗練されていった。
全ての魔法は天文に由来する。それが分かり、天文知識が増えると、面白いほど多くの発見があった。
あの記号は太陽を表している。あの楕円は彗星の軌道を表したものが変化したものだ。あの金星を使った儀式で息を吹きかけるのは、金星の大気の主成分である二酸化炭素と呼気に含まれる二酸化炭素を連動させているからだ。などなど。
天文術式は昇華を繰り返し、過去に存在したどの魔法とも似ているようで違う、自己流とも言うべきものになった。
魔術の媒体となるものには銅板を選択した。持ち運び易く、強度があり、刻みやすいからだ。銅という元素が天文術式と相性が良かったのもある。
使用する天体は太陽系。銅板に刻まれた多重円は太陽を中心とした各惑星の公転軌道を示し、記した記号は公転周期や自転周期、惑星の主成分、地軸の傾き、質量などを示す。
空欄に惑星の運行から計算して導き出した数値を書き込む事で、条件を指定。あとは決まった緯度・経度に銅板を置き、鏡で星の光を集めて当ててやれば、魔術が発動する。
……理論上は。
学業を放置し過ぎて卒業がヤバい。天文術式の起動実験をしたくて仕方ないが、その前に卒業論文を完成させなければ。
何にしようか。この四年間の大学生活で何も学んだ気がしない。
ええい、もういい! アレでいこう。
「世界各地の魔術的試みに見る共通点と文化的特徴」という題で卒業論文を書いたら結構ウケた。
大学の卒業の二ヶ月前、とうとう八億四千万円を使い切った。さあ真面目に就職しよう、と思ったところで、ツテができていた「星の知恵派」という魔術結社からお声がかかった。
なんでも名誉顧問になってもらいたいらしい。あの卒業論文を読んで感銘を受けたようだ。
星の知恵派は魔術結社と言っても比較的マトモな部類だ。会員は世界各国合計で二、三百人で、アマチュア天文科学者の所属が多く、メンバーの何人かは新しい天体の発見や望遠鏡の開発でそこそこ名が知れている。主な活動は古代文明や大昔の星図を収集して討議をするだけなので、魔術結社とは言ってもオカルトに造詣が深い集まり、という程度と言える。
名誉顧問は入会費十万と月一万の会費免除で、給料が出るらしい。
幾らですか。
一ヶ月三十万?
是非お願いします(媚びた笑顔)。
結局、真面目に就職するつもりが趣味全開になってしまった。
ま、まあ趣味を仕事にできるならそれに越した事はない。月一ペースで結社メンバーに講義するし、都心郊外にある結社が借りているビルの管理も引き受けたし、しっかり仕事をしていると言えなくもない。言えなくもないだけで、とても人には言えないが。お仕事は何を? と聞かれて魔術結社の名誉顧問です、なんて言える訳がない。
一応結社の許可を得て、「歴史的天文学調査委員会 顧問」という肩書きで名刺を作っておいた。嘘は書いていない。
名誉顧問は基本的に暇なので、結社のビルの一室を私物化して泊まり込み、天文術式の研究をする毎日だ。大学時代と全然変わらないな。他のメンバーと情報交換をしたり討議をしたりする機会があるだけ人との交流は増えたかも知れない。
就職してビルに住居を移した後、魔術発動に都合の良い星の並びが揃った日を狙って試作天文術式一号の起動実験をした。起動する魔術は炎。成功すれば術式を刻んだ銅板から炎が吹き上がる。
が、駄目……!
炎どころか発熱すらしなかった。失敗だ。
理論は正しかったはず。何が駄目だったのか。
やはり魔法など存在しないのか?
机上の空論に踊らされていただけだったのか?
期待が大きかっただけに心が折れそうになったが、結社メンバーの励ましでなんとか立ち直った。
星の並びが良くなかったのかも知れない。より良い星の並びを計算し直す。
起動実験の途中で空に雲がかかったのがマズかったのかも知れない。晴れた日を選ぶ。
都心郊外は空気が汚れているので、星の光が上手く集まらなかったのかも知れない。実験の場所を人気の無い山頂に移す。
半年後、試作天文術式二号の起動実験をした。炎は難易度が高いかも知れないので、今度は光にしてみた。
しかしこれも失敗。手応え無し。
再び、仲間と反省会。俺は二度の完全失敗に挫けそうだったが、星の知恵派古参メンバーは動じない。俺が加入するずっと前から、俺よりも闇雲に魔術を探り、挫折し続けていたのだ。一度や二度の失敗は失敗の内に入らないと揺るがぬ態度で言い切った。凄い奴らだ。見習いたい。
より綿密に協議した結果、成功させる事よりも、データを集めるためにより多くのサンプルが要る、という事になった。
更に一年後から二ヶ月をかけ、試作天文術式三~十五号の起動実験を行う。
残念ながら全て失敗したが、「全て失敗」という事実から推測できる事があった。
理論上、どれかは成功するか、成功の兆しぐらいはあっていいはずなのだ。全くの失敗だったという事は、可能性は二つだった。
理論が根本から間違っていて、天文魔法など存在しない。
あるいは、エネルギー不足。
天体は日々変化している。
太陽は少しずつ膨らんでいるし、地球の自転はほんの少しずつ遅くなっている。太陽系の各惑星、水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星、その衛星達の配置は常に変化している。そういった天体の変化は、天文術式の効果に直結する。
俺達は古代の人々の天文術式は発動していたと仮定し、現代では発動しない原因が星の変化にあると考えた。
古代の人々が天文術式を使っていた時代の星の配置や状態を、現代から逆算。その結果を現代と比較し、何がどう違うのかを導き出す。
更にそれを天文術式と照らし合わせた。
計算に次ぐ計算、度重なる天体観測と議論の結果、結論が出た。
現代で目に見える規模の天文魔法を使うには、エネルギーが足りない。
昔と星の並びが変わってしまい、昔は発動した術式でも、現代では起動に必要なエネルギーが得られなくなったのだ。
数式から導き出した数値によれば、最新の検査機器ですら観測できないほどのとんでもなく小規模な魔法は発動しているはずだ。しかしあまりにもショボすぎて、目に見えない。観測できない。これでは発動していないのと同じだ。
更に悪い事に、次にマトモに天文術式が起動できる星の並びになる時期を計算したところ、約三百万年後と出た。
長すぎる。そんなに生きてはいられない。
流石の星の知恵派メンバーも失意を隠せなかったが、メンバーの一人の言葉ですぐに息を吹き返した。
魔法が使えないなら、使ってもらえばいい。
宇宙は広い。宇宙の世紀になるとまで言われた二十一世紀、人類は宇宙のどこかにいるかも知れない知的生命体へ信号を送っている。それは電波であったり、人工衛星であったり色々だが、とにかくどこかにいる宇宙人が信号をキャッチし、返事をしてくれる事を期待している。NASAがやっているし、大国も相当な予算を投じている、大真面目な試みだ。
また、逆に宇宙人のメッセージをキャッチする試みも日々行われている。宇宙からやってくる様々な電波を解析し、どこかに宇宙人からのメッセージが紛れていないか探しているのだ。
同じ事が、魔法でも言えるのではないだろうか。
星の知恵派式天文術式は、観測はできなくても、発動している。これが鍵になる。
星の知恵派は、今自分達が存在する宇宙とは別に、他の宇宙が無数に存在するという、俗に言う並行世界、パラレルワールド説を信じている。
無数にある宇宙のどこかには、魔法を発達させた存在がいて、他の星、他の宇宙の知的生命からのメッセージをキャッチする試みを行っているのではないだろうか。
その可能性は十分あるように思えた。
天文術式で、微弱だろうと「私はここにいる」というメッセージを送れば、それを受け取った存在が、返事を送ってくるのではないか?
早速、術式の構築を行う事になった。
別々のシグナルの形式を幾つか用意し、合計八つの送信用天文術式を作成。それを都心から離れた山頂に土地を借り、建物を建て、その屋上に設置。
この術式は満月の夜、365秒間だけ励起する。つまり一ヶ月に365秒間だけ異世界に向けてシグナルを送るという事だ。この天文術式は月に雲がかかっていると起動しないので、実際はそれよりも短くなるだろうが。
一ヶ月に六分5秒だけ、というのは短いようにも感じられるが、可能性ゼロよりはずっとマシだ。
毎月満月の夜、車で山頂へ行き、建物の屋上で設置した天文術式を見守り、ガッカリして戻る。
それが俺の仕事に加わった。
もっとシグナルの出力を上げられないか。送信時間を伸ばせないか。そんな議論と改良をしながら、先の見えない未来へ、手探りで、道が合っているかも確証を持てないまま、進んでいく。本当に進んでいるのかすら分からない。前進ところか、後退すらしていないのではないかとも思える。
星の知恵派の気の良い仲間がいなかったら、間違いなく途中で投げ出していただろう。
俺は仲間に、友人に恵まれた。
そして、送信術式の設置から三年と一ヶ月後の満月の夜。
俺は送信術式が眩しく光り輝くのを見たのを最後に、地球上から消失した。