見習い/魔女2
2,30メートルくらいの距離を開けて、ドラゴンの近くの地面に降りた。近くで見るとやはりでかい。帰りたくなってきたが、師匠はやると言ったらやる人なので、逃げるという選択肢はない。邪魔になりそうな荷物、箒や鞄を自分の影にズブズブと沈めておく。影に物をしまう魔法というのは、影使いとしては覚えておきたいと思ったので練習して習得済みだ。
影に潜ってワープする魔法も使えるようになりたかったが、影ワープを実現するには影の中に異空間を作る必要がある。そして、どうも空間を操る系の魔法は凄まじく高等らしく、難しくてできなかった。影に潜れれば、安全地帯からひたすらチクチクするだけで勝てたんだけどなあ。
ちなみに物をしまう方の魔法は空間魔法ではなく、魔女の定番、人をカエルにしてしまう呪い、とかの応用だったりする。物をペラペラの影に変えて影の中にしまっているのだ。取り出すときは元に戻している。いわばファイルの圧縮・解凍みたいなものだ。
物ならそれで問題ないのだが、こちらも私の腕の問題か、生き物は一度影に変えると元に戻せない。小鳥やネズミなんかの小動物系で実験したが、影になった生き物はどうやっても影のままだった。元に戻そうとしても、一時的に厚みを持った真っ黒い影の生き物になるだけ。しばらくすると影絵に戻ってしまい、影のまま勝手に動き回る。
この実験を繰り返したせいで、家の私の部屋の壁は、影絵の生き物が常時走り回る影の国に成り果ててしまっている。黒くて速いのが視界をよぎると、例のアレが出たかと思って焦るから正直どうにかしたいのだが、本当に例のアレが出たとき、影に変えてそこに放り込むと食べて処分してくれるので微妙に助かっていたりもする。
私の気配に気づいたのか、体を丸めて眠っていたドラゴンは、荷物をしまい終わった私の方をちらりと見た。ドラゴンはゆっくりと身を起こすと、巨木のような四本の足で立ち上がる。見上げるほどの高さだ。霧のような白い息を吐きながら、低い声で唸る。
「魔女、カ」
「喋るのか……」
言葉が話せるのか。若いドラゴンは獣と変わらないという話だったが。でもそれなら戦わなくても済むかもしれない。狩れという命令だったが、ドラゴンがここからいなくなるなら変わらないだろう。
「喋レルゾ。俺ハ、賢イ」
賢いというなら、虎の威をかる狐作戦で行けるのではなかろうか。
「ここは、星詠みの魔女ステラの縄張り……早く、立ち去れ」
「ナント! 知ッテイルゾ、星詠ミノ魔女。恐ロシイ大魔女ノ一人ダト聞イテイル」
おお、いけそう。師匠はなんか偉くてヤバい魔女らしいのだ。ドラゴンが割とガチビビりしているのだが、いったい何をしたんだろうか。詳しい話は教えてくれないから知らないけれど。
「大魔女ニハ逆ラウマイ。傷ガ治ッタラ出テイコウ」
私的にはそれで十分なんだが、師匠はそれでは許さないだろう。
「駄目。今すぐに」
「ムゥ……」
ドラゴンは少しの間、目を閉じて動きを止めていた。身の振り方を考えているのだろうか。目を開くと、瞳孔が縦に裂けた金色の瞳がギョロリと動き私を見つめた。
「デハ、滋養ガ有リソウナ、オ前ヲ喰ッテカラ出テ行クトシヨウ」
「そう……」
マジでクレバーで笑えない。そうだよね、ここ追い出されたら次に安全な場所が見つかるかわからないし、飛べないから移動中普通に他のマナニアに食われる可能性も高い。マナを多く溜め込んでいるドラゴンは他のマナニアにとってご馳走だ。傷ついた若いドラゴンなど獲物でしかない。
しかし、このまま居座っていても星詠みの魔女と敵対するし、どうせ敵対するなら、使いの小娘を食って早く傷を治し、さっさと立ち去るのがドラゴンにとってはベストな回答。ドラゴンと同様にマナを扱い、貯めこむ魔女は、それこそ滋養が有る食べ物らしいし。
ドラゴンは巨体に似合わない俊敏さでこちらに距離を詰めてくる。右の翼がバッキリ折れているのと、右後ろ脚を少し引きずっているようだ。機動力的には本来のウィンドドラゴンとは比べるべくもないだろうが、歩幅が違う。この辺りはそれなりに広いが、少女の足では到底逃げきれるものではない。そもそもインドア派だからこんな不整地で走ったら速攻コケる。
「『影絵騎士団』」
話を始めてからこっそり伸ばしていた影から影の騎士たちを立ち上げる。さらに踏み込もうとした足元に影の槍を針山のように生やす。分厚い皮を貫くことはできず、一瞬で踏みつぶされるが、それでも突撃の動きは止まる。その隙を狙って騎士たちに襲わせる。剣、槍、斧槍などで武装した影はドラゴンの太い足をチクチク刺す。大した傷を与えることはできないが、完全にはじかれているということもないので問題ない。
その間に私は滑るように後ろに下がる。前衛芸術っぽい、左右非対称のねじくれた影の椅子を作り出し、それに座って椅子ごと高速で動くのだ。手すりもついてるし、靴も固定しているので激しく動いても転げ落ちたりしない。箒で飛んだまま上から爆撃できれば話は早いのだが、影絵の魔法は、影が私に直接つながっていないと威力や精度が下がるのだ。地面に落ちた飛んでいる私の影を操ることもできるが、それだとたぶんドラゴンに傷一つ付けられない。
足元の騎士たちを蹴散らすドラゴンだが、次から次へと騎士たちは補充される。それに対しイラついたのか、ドラゴンは少しの溜めの後、全方位に暴風の魔法を解き放った。ぺらい騎士たちはまとめて吹き飛ばされ、接続が断たれたために宙に溶けるように消えていく。影の魔法で作ったものは、地面から生えている以上ちょっとやそっとでは動かないのだが、流石にこの規模になると無理だ。
私自身も、結構距離を取っていたにもかかわらず、椅子ごと吹っ飛ばされる。崖の下の広場のようになっていた場所から、さらに下の斜面に叩き付けられそうになるが、影をクッションにして、勢いを殺しながら2,3度跳ね、最後は影に体をつかませて止まる。少し頭がふらつくが、ノーダメージだ。ただとんがり帽子が風で吹き飛んでしまっていた。遠くの斜面に落ちていたので、影を伸ばして中にしまって回収しておく。
すぐにまた騎士団を出し、椅子も作って、ドラゴンの周りをつかず離れず、弧を描くように動いていく。影は繋がっていても距離が離れすぎると維持や制御が難しくなる上、強度も下がるので、離れすぎてもいけないのだ。そして紙装甲の私は一発いいのをもらったらたぶん死ぬから、太くて長い尻尾での薙ぎ払いが特に脅威と言えるだろう。でも今は、足を怪我しているし、その足の怪我も積極的に狙っているので踏ん張りがきかないはず。突進も足狙いの効果が出てきたのか、どんどん動きが鈍っているし、即死の危険は少ない。
影の騎士たちはぼこぼこにやられているが、伊達や酔狂でペラペラにしているわけではない。あれが一番コストが安いのだ。厚みを持たせれば消費するマナが増えてしまう。しかし、ペラペラのままならほとんどいくらでも出せる。最低限の防御力と攻撃力を持たせた使い捨ての兵隊による無限の消耗戦。それが影絵の魔法を最大限に活かすために私が作り上げた戦法だ。参考にしたのは某戦略SLGの兵1多部隊特攻作戦だったりするが。
ドラゴンは再び力を溜めはじめる。大威力の魔法を使うときは、溜めだけでなく、周囲のマナの流れからも前兆がわかる。今回のもさっきと同じような感じがするから、暴風の魔法が来るだろう。椅子を降りて地面に伏せ、影で流線型のシェルターを作る。これで吹っ飛ばされることはないだろう。
ただ視界がふさがるので、騎士の一体を“目”にする。目も耳も鼻もないが、やろうと思えば使い魔の代わりにもできるのだ。こんなに優秀な我が騎士団だが、師匠の評価は“地味で泥臭い”というひどいものだった。確かにそうだが、ビームと比べりゃなんでも地味だろうさ。
ドラゴンの魔法で、まとわりついてチクチクやっていた騎士たちがまとめて吹っ飛ばされる。こちらにも余波が来るが、シェルターは上手いこと暴風を受け流してくれた。ここにとどまっている隙をついて突撃、とかされても困るので、騎士団を再出現させつつ、そのうちの一人を目にする。
すると、ドラゴンは暴風の直後に魔法を撃つ準備をしていたようで、ちょうどそれが発動するところだった。ヤバそうな感じがしたので、シェルターを即座に破棄して、影の補助も受けつつころころ転がる。転がっている最中に真横を何かがものすごい勢いですっ飛んで行った感じがしたので、この判断はどうやら間違っていなかったようだ。
騎士の視界で見ていたところによると、どうも風を固めた槍の魔法だったようだ。曇天の空に向かって飛んで行ってしまったので威力がどれほどかわからないが、マナの集中具合から貫通力に優れた魔法だということがうかがえた。
あのドラゴンは暴風で吹っ飛ばしてから身動きの取れない空中で串刺しのコンボを決めようとしたんだろう。私は影で足を引っ張ったりで空中制動を取れないこともないのだが、初回でそれが来ていたらヤバかったかもしれない。適当にぶっ飛ばせば死ぬだろう、と甘い判断をしたのが間違いだったな、ドラゴン君。
ドラゴンは必殺コンボを回避されて焦ったのか、先ほどの風の槍を連射してくる。椅子を出して、それなりの速さで動き続けて回避していく。連射といっても、撃つ前にある程度の溜めはあるし、単発なのでかすりもしない。さらに足を止めて魔法を撃ち続けているので、今が好機と騎士団は全力で攻めたてる。
当初は分厚い皮膚を貫けないでいた騎士団の影の武器だが、度重なる集中攻撃により、今では、四本すべての足についた無数の傷跡から、ダラダラと翠緑色の血液を流している。初めから傷を受けていた足は特にひどく、骨まで達しようかという大きな傷がついていた。
先ほどから足を止めているのは、魔法による射撃に集中するためという以上に、すでにまともに動くこともできないというのが大きいのだろう。まとわりつく騎士団を蹴り飛ばし、踏みつぶすこともできなくなったため、影の騎士たちの攻撃はいよいよ激しくなる。
そうして回避しながらの攻撃を続けると、ついに残り3本の足も限界を迎えたのか、ドラゴンは横倒しに倒れた。ズン、と巨体が地面を震わし、土煙が巻き上がる。思わず安堵の吐息が漏れる。これで長く続いた戦闘も終わりだ。これほどの緊張感を長時間保ち続けるというのは、初めての経験だったのでいささか疲れた。早く帰ってゆっくりお風呂にでも入りたい……
「っ!?」
急速なマナの集中、まだとどめを刺してもいないというのに、油断しすぎた。地に伏しながらも、こちらを睨みつける眼光は闘志に満ちており、その殺気を受けて思わず硬直してしまう。瞬間、放たれたのは巨大な槍だ。先ほどまで連射していた風の槍をそのまま拡大したようなもので、凄まじい速度で飛んでくる。射線上の影の騎士たちはまとめて消し飛ばされた。直線的で回避しやすいと侮っていた風の槍だが、私を4,5人まとめて飲み込んでもお釣りがくるような太さでは、とっさの動きで回避できる範囲を超える。
だから私は、足元の影を強力なバネのようにして、自らの体を射出しつつ、数メートル横の地面から高速で伸ばした幾本もの影の触手で細い体をからめとり、全力で引っ張った。それによって起こるのは、斜め上方向への高速移動だ。体がちぎれそうな痛みを覚えつつも危機一髪、巨大な風の槍の回避に成功する。
その代償として、射出された私の体は触手の生えた地面の影を起点として弧を描いて飛び、頭から落ちた。手加減なしでやったので、影のクッションをもってしても吸収しきれない衝撃を受け悶絶する。だが動きを止めるべきではない。影のクッションに自分の体を固定し、高速移動を開始する。半円飛行による三半規管へのダメージや首の痛みをこらえつつ、追撃に備える。しかし、マナの収束する気配はない。
騎士団を追加しつつドラゴンのもとへ向かわせて様子を見るが、どうも先ほどのが死力を尽くした最後の一撃だったようだ。ドラゴンはすでに息も絶え絶えで倒れている。さすがにもう何もないと思うけれども、油断せず、さっさととどめを刺すことにする。
だが、このまま影の騎士団でブスブスさして殺すというのもあんまりだろう。クッションから身を起こし、腕を伸ばす。足元から根を伸ばすように広がっていた私の影がざわめく様に蠢き、急速に膨張する。
「『影の国の偉大な騎士』」
影絵の騎士団と違い、ちゃんと厚みを持った騎士、それも重厚な全身鎧をまとい、鉄塊のような大剣を持つ、3メートル越えの、巌のような巨人。それが影の中から立ち上がり、重みを感じさせない動きでドラゴンに近づいていく。これであれば、ドラゴンキラーにふさわしいと思う。
大騎士は、倒れ伏したドラゴンの首筋にぴたりと大剣を当て、一度構える。ドラゴンはゆるゆると息を吐く。抵抗する気はないようだ。漆黒の大剣を頭上に振り上げ、静止。風の音以外は何も聞こえない。痛いほどの沈黙。
大剣を振り下ろす。それは一撃でドラゴンの首の半分ほどまでを断ち切り、押し込まれるごとにズ、ズ、と刃を進め、最後にはその太い首を両断した。ドロドロとした翡翠色の血が吹き出し、漆黒の刃と騎士の鎧を染めた。役目を終えた大剣をドラゴンの傍の地面に突き刺すと、騎士は地面に溶けるように消えた。
「……勝った」
少し離れたところで私はぐっと拳を握る。そして、しばし瞑目。まともに“殺し合い”をするのは初めてだった。剣を交わし、雌雄を決した相手に、敬意を払おうと思ったのだ。そうしたい気分だった。巨大な躯と、墓標のようにそびえ立つ大剣に向かって、ゆっくりと歩いて近づいた。何か言葉をかけたかったが、祈りの言葉なんて知らない。だけど、この世界ではこういうべきだと直感した。
「お前の魂が大いなるマナの流れと共にありますように」
「最後のでっかいの初めから使ってよ。前半ひたすらすっごい地味でつまんなかった!」
戦闘が終わったのを見計らって飛んできた師匠の一言で、余韻とか、なんか色々な物がぶち壊しだった。年不相応に、見た目相応の少女のように口を尖らせる師匠を憮然と睨み付けるが、にやにやとした笑みが返ってくるだけだった。……やっぱわざとやってやがるなこの人。
戦闘シーンのイメージは東方の格ゲーのゆかりんですが、どっちかというとキャスター付きのイスで遊んでるちびっこが思い浮かぶ不具合。